「見立て殺人?」
冴木が初耳だといった顔をしたので、みれいはゆっくりと頷いた。
「黒騎士という虚像が、犯行をしたと思わせているということですわ」
「ふぅん……二階にあったあのリアルな像をみれば、そう思う人も中にはいるのか」
「ええ、そうですわ。それで更に……みさっきーさんの死体はコートを着ていなかったんですの」
この内容が爆弾発言であり、みれいが実際に現場を見たから分かったことである。
「コートを着ていない? それは本当?」
「ええ、しっかり確認しましたわ。マスクは顔の横、コートはそれより離れた所に脱ぎ捨ててありましたわ」
みれいと冴木がたくみんから聞いた説明によれば、シュダやあつボン、たくみんは暖房で暖かいので上着を脱いだと言っていた。唯一上着を着てマスクも付けていたのはみさっきーだけである。
「そして、コートに血は付いていませんでしたわ」
「コートを脱いでから、刺されたんだね」
「冴木先輩は、何か気付いたことはないんですの?」
「そうだね……」
冴木は記憶を手繰り寄せるように、どこか遠くを見つめながら口を開いた。
シュダがトイレットペーパーを探すために調理室に顔を出したこと、その後外で音を聞いたこと、たくみんが最初に娯楽室に来たときに暖炉の火がいつの間にかついていたことを聞いた。
「すごいですわ! この短時間でよくそんなに聞き出しましたわね」
「皆、何故かぺらぺらと話し出す。自分の無実を証明したいのか、はたまた嘘を交えて、自分を優位に立たせたいのか……どっちともとれるね」
「多分、今冴木先輩が一番この事件の真相に近いと思いますわ」
「犯人の次に、ね」
「冴木先輩、今の台詞いいですわね。私も真似していいかしら?」
「……言葉なんて、君の自由に使えばいいんだよ。それより、コートが脱ぎ捨てられていたんだったね。女性用トイレで脱いで持ち歩いていたんだろうか」
「でも、手に持っていたら刺されたときに血液なんかが付着しそうですわ。それにマスクもいつ外したのか、ああ……やっぱり、気になりますわね。折角ですし、ちょっと見に行きません?」
みれいは何だかんだで考察し始めた冴木に拍車をかけようと思い、徐ろに立ち上がって冴木を引っ張る。何故だか今日は引っ張ってばかりな気がした。
「なんで僕も行くんだ?」
「犯人がいるかもしれないのに、一人で行けと仰るの?」
「行かないという選択肢は君には無いのかな」
またしてもみれいは嫌がる冴木を引っ張って、廊下へ出た。すぐに左手に移動して、ふと足を止める。
「ここって、何ですの?」
南側に扉がある。この通路の反対、すなわち西に位置する通路にはない扉だった。
「バルコニーだよ」
「よく覚えていますわね。あら、鍵が掛かっていますわ」
「一応二階とはいえ、外に繋がるわけだから当然だろう」
みれいと冴木はすぐ横の階段を使い一階西通路に降りる。
今度はすぐ左にある扉を開けた。
「ここはゴミ捨て場ですわね」
無機質なコンクリートの地面がのっぺりと広がっており、肝心のゴミは一つもなかった。シャッターがあったが、故障中、と書かれたテープが貼られており、確かに鍵の部分が壊れて潰れていた。みれいは念のために確認したが、もちろん開くことはなかった。これでは何のためにここにゴミを置くのか理解に苦しむ。理解できそうな推理としては、この黒騎士館は長らく使われていなかった、ということぐらいだろう。
「やっぱり玄関しか入り口はないですわね」
「まだあるね」
「えっ、どこですの?」
「煙突」
「もう……冗談はやめてほしいですわ。そんなところ通れたとしても、煤だらけになりますわ」
二人は廊下に戻り、男性用トイレの前にきた。面倒くさがる冴木を無理やり放り込んで中をざっと確認してもらったが、高い位置にある窓には相変わらず鉄格子があり、怪しい物はない、と断言された。
仕方なく今度は玄関ホール側にある管理室の扉を開けた。
「有栖川君、いちいち全部見て回るつもり? 日が暮れるよ」
「全部調べないと何だか気になりますわ。ゲームのダンジョンなんかでも、全フロアを隈なく確認してからでないと先へは進めませんの。宝箱とか、全部拾いたいでしょう?」
「さながら強盗だね」
みれいは、冴木のジョークを軽く流して管理室に置いてある机の引き出しを開けた。
「あっ! これ、鍵置き場ですわ」
そこにはいくつかの窪みがあり、右側には二階バルコニーの鍵と一階ゴミ捨て場のシャッターの鍵がはめ込まれていた。
「鍵が多いね。調理室とか、ワインセラーのはないようだ」
他の窪みは、全客室とスタッフルーム、玄関の物だろう。今はみんなに配っているのでここにはない。みれいはしっかりと数を数えて納得した。
「外に通じるところと、客室なんかは施錠できるようになっているんですわ」
みれいは早くも引き出しをしまい、他の箇所を調べ始める。管理室とはいえ引き出しの鍵以外には特に何もなかったので、諦めて廊下に戻った。
そのまま玄関ホールを抜けて玄関の鍵がきちんと閉まっていることを確認し、二階へ上がる。後ろを振り返ると、冴木がゆっくりと歩きながらついてきていた。
二階西通路に行き、真っ直ぐ進んで階段を下りる。先ほどの管理室やゴミ捨て場がある場所の正反対に位置する一階の西通路に着く。
みれいはすぐ右側にある娯楽室を開けて二人は中に入った。ここはオフ会メンバーが各々客室に行ったあとに指示された場所である。イーグルだけは、何故か脱衣所という指示だったが。
「暖炉の火は、もう消えてしまっていますわね」
みれいは暖炉に近付いて中を覗き込む。もう熱はなかった。中には真っ黒に焦げたものしか見当たらない。流石にここを通って外に行くのは不可能だろう。諦めて振り向くと、後ろで冴木が腕時計を確認していた。
「あ、冴木先輩。今何時ですの?」
気付いたみれいが質問すると、冴木が機械的に即答する。
「二十三時四十分」
「もうすぐ日付が変わりそうですわ」
日付が変わればクリスマスだ、とみれいは考えながら娯楽室を眺める。
娯楽室にはあんずの説明通りにビリヤード台と卓球台があるだけで、他は暖炉ぐらいしか目に留まるものはなかった。
二人は娯楽室を出て正面の電気室へ入ることにした。
そこはよく分からない機械が整列しており、この黒騎士館のブレーカーも配置されていた。
「ここは、オフ会メンバーの人たちは入っていない場所だね」
「電子機器以外には、何にもありませんわね」
みれいは自分から積極的に探索を始めたわりに早くも飽き始めており、欠伸をしながら機械を確認した。狭い空間に押し込められている機械には、どれもよく分からないボタンがいくつもあり、ちんぷんかんぷんだった。手持ちのスマートフォンでさえ操作が危ういみれいにとって、ここは摩訶不思議な空間である。
しばらく眺めて満足したので、二人は外に出て女性用トイレに向かう。
「冴木先輩も見にいらっしゃいます?」
「僕がはい、と言うと思う?」
「いいえ、思わないから聞いたんですわ」
「君の考えていることが僕には全く分からないよ」
「当然ですわ」
みれいはふふん、と鼻を鳴らして女性用トイレへ入った。
入り口付近のスイッチプレートを押して電気をつけ、中を見渡す。女性用トイレは大きな鏡台に流しがあり、個室トイレが二つあった。どの個室にも上着をかけられる箇所が個室の扉についていたが、何もかかっていなかった。そして男性用トイレとは違い、トイレットペーパーはしっかり常備されている。
結局隅々まで確認したものの何も見つからず、諦めて廊下に戻ろうとしたが、あちこち触って手が汚れていたのでついでに手を洗うことにした。そのまま温風が出る部分に手をかざし、濡れた手を乾かすとスイッチプレートを切る。その時に一瞬、何かが目にとまった気がした。
「あれ……?」
入り口付近だったので、冴木が声に気付いて顔を出した。
「どうかしたの? 有栖川君」
みれいは呼びかけに答えずに、スイッチをつけたり消したりする。
「冴木先輩、ここ……」
みれいは電気を消した状態でスイッチプレートの出っ張り部分を指差す。あまりに暗いのでスマートフォンを取り出してそこを照らした。
スイッチプレートの電源がオンになるときに隠れてしまう部分に、小さな赤黒い汚れがある。みれいと冴木は、思わず顔を見合わせた。
「冴木先輩、これって……血、ですわよね?」
「君が今つけたんじゃないなら恐らく、そうだね」
「誰の血ですの?」
「元からついていたか、あるいは、二人の女性の内どちらか、そうじゃなければ……」冴木がちらりとみれいを見る。二人の視線が交差した。「犯人がつけたか」
その時、脱衣所の扉が開き、風呂上がりのあんずとイーグルが出てきた。
「すっかり酔いが覚めてしまったな……。おや、どうしたんですか冴木さん、女性用トイレの前で……。あ、有栖川さんもご一緒でしたか」
みれいは怪しくにやりと笑ってから、二人の前にぴょんと飛び出す。
「冴木先輩が、一人で部屋で待つのが怖いって仰ってついてきたんですわ」
「またまた……」イーグルが苦笑しながら眼鏡押し上げる。「トイレなら部屋にもあるじゃないですか。冴木さんも少しは何か言わないと駄目ですよ」
「はぁ……」冴木が気の抜けた返事をする。
みれいはきっと冴木が困った顔をしているだろうと様子を窺ったが、冴木は何食わぬ顔で腕時計を見ていた。みれいも手にしていたスマートフォンのホームボタンを押す。ロック画面に表示された飼い犬――
「ははは、イーグルの言う通りだ。さぁ、冴木さんなんか言ってやって」
時刻を確認した冴木が真面目な表情で返答した。
「じゃあ、メリークリスマス」