みれいは水面に映る自分の顔を見る。やや疲れているように感じた。
「黒騎士……。うーん……よく分からないことだらけですわ」
水面に顔を突っ込んでぶくぶくと泡を出して遊んでから、みれいも脱衣所に向かった。既にるねっとは体を拭き終わっていて下着を身に着けている。少し遅れてしまったのでみれいも急いで体を拭く。
沢山ある籠の横に浴衣があったので、みれいとるねっとは同じものを着た。女性用の浴衣は二着用意されていたが、本来ならこのうちの一着は、みさっきーが着るものだったのだろう。
みれいはドライヤーで髪を乾かす。るねっとはみれいよりも随分短い髪なので、僅か数分で乾いたようだった。なんともエコな髪型である。
「あ、あの、みれいさん。私ちょっとお手洗いに行ってもいいですか?」
「ええ、どうぞ。ここで待っていますわ」
「すいません、すぐ戻ってきますね」
るねっとが急ぎ足で脱衣所から出て行く。一人にさせない方が良かったかもしれないと思ったが、みれいの中にはちょっとした考えがあった。それを実行するのに、ちょうどいい。
みれいはまだ乾ききっていなかったがドライヤーの電源を切る。素早く廊下に出ると、すぐに左手に見える扉へ向かった。そこは、みさっきーの死体がある談話室である。
みれいは扉を開けて、談話室を覗いた。この探究心を唯一止められそうな冴木は、残念ながらここにはいない。
談話室には、散らかった本に埋もれるようにして、みさっきーと思しき女性の死体がある。胸元からナイフが生えて、周りの血はすでに乾いていた。
「うわぁ……直視しなければ、何とかなりそうですわね……」
みれいは一歩、中へ踏み込んだ。
余り見ないようにしておこうと思ったものの、好奇心があっという間にその誓いを崩す。結局、恐る恐るではあるがみさっきーの死体を確認した。顔には十字のような切り傷が付けられている。爛ただれた痛々しい傷のせいでよく分からないが、整った顔立ちの女性で、黒髪が印象的に見えた。顔の横に置かれているマスクは、全く汚れていない。
確か、あの人たちの話ではみさっきーは談話室に行くまでマスクを付けたままだったと言っていた。刺される前にマスクが取られ、その後顔に傷を付けられたのだろう。だが、みれいにはまだ何かが引っかかっていた。
「あっ……!」
それに気付いたとき、みれいは思わず小さく声を漏らしていた。そのまま音を立てずに気になったものを確認する。
同時に、女性用トイレの方から水を流す音が聞こえてきた。
みれいは探索を止め、静かに廊下に戻り扉を元通りに閉めると、脱衣所の前まで足音を立てないように慎重に戻った。幸い、ふかふかのカーペットのせいか、走りでもしない限り足音がしなさそうだった。
みれいが定位置に戻るとすぐに、女性用トイレからるねっとが顔を出した。
「ごめんなさい、お待たせしてしまって。あれ? 髪まだ濡れていません?」
「このぐらいが、潤ってベストなんですの」
みれいは首を傾げるるねっとと並んで二階西通路へ行き、玄関ホールの上にある像がある場所まで来た。今も悠然と、剣を突き刺して立っている黒騎士像がある。
「この像って……本当に黒騎士と同じ服装なんですの?」
「はい、そうですよ。全く同じアバターですね……。本当にビックリしました。本物の黒騎士がいるみたいで」
「もしかして、黒騎士のスキルで敵を十字に斬るものとかありますの?」
「えっ、よくご存知ですね?」
「ええ、それはもう、父の会社のゲームですから」
みれいは嘘を吐いた。それは父の会社のゲーム、という部分ではなくスキルを知っていた、という部分のことだ。
だがこれで少し納得がいった。殺された人物の顔に十字のような傷がついていたのは、黒騎士のスキルによるものだと印象づけるためだろう。
みれいとるねっとは、階段を降りて玄関ホールに着くと、すぐに大食堂に通じる扉を開けて、中に入った。
大食堂には、冴木、あんず、イーグル、たくみんの四人がまだ座っていた。テーブルには真新しいワインボトルが開けられていて、冴木以外の三人がグラスを傾けている。
「あら、ワインなんて飲んで……呑気ですわね」
あんずが風呂上がりの二人を見て赤い頬を持ち上げる。
「ああ、調理室の奥にワインセラーがあってね、結構品揃えがいいから拝借したんだ。お嬢さん方も飲むかい?」
「お誘いはありがたいですが、遠慮しますわ」
「私も、止めておきます」
「そうかい、まぁ無理強いはしないよ」あんずは誘いを断られても全く気にしていない様子だった。「もし飲みたくなったらグラスを用意するから言ってくれ」
あんずはそう言ってまたワインを味わう。会話が終わったのを確認して、たくみんが立ち上がった。
「さてと……次は俺が風呂に行こうかな、誰か一緒に行こう」
「ああ、ワインが無くなりそうだ。イーグル、また持って来てくれないか?」
「ちょっと、あんずさん。程々にしてくださいね」
イーグルが立ち上がり、調理室の方へ向かっていく。たくみんは話の腰を折られてしまって肩を竦めた。それを見て、冴木が助け舟を出す。
「僕が一緒に行きましょう。良いですか? たくみんさん」
「おう、心強いよ。こんな酔っ払いより全然良いね」
何だと、とあんずが
「あ、ちょっと、冴木先輩」
「何?」
「その、大浴場は人が出入り出来そうな所はありませんでしたわ」
「あ、そう。外からは誰も来ないと思うけれどね」
「もう……そうかもしれませんけれど」
「話はそれだけ?」
「あ、ええと……後で二人になったときに話しますわ」
「……よく分からないけれど、分かったよ」
歩き出そうとする冴木に、みれいは追い打ちをかけることにした。
「あと、入浴なさるなら私と一緒に入れば宜しかったのに」
みれいは冴木が困るだろうとわざと提案した。冴木の困った顔を見るのが、みれいの密かな楽しみになりつつある。
「有栖川君、ワインを見ただけで酔えるなんて面白い体をしてるね」
冴木が動じずに即答したので、みれいは大きく肩を落とした。
「もう……冴木先輩のバカ」
「君よりは、馬鹿じゃないと自負している」
「ふんだ、冴木先輩のむっつりすけべ!」
みれいが声量を上げて言ったので、この場にいた全員の視線が冴木に集まった。
「ちょっと、有栖川君。誤解を招くようなことを平気で口にするのはやめた方がいい。オオカミ少年になっちゃうよ」
冴木が困った表情をしたので、みれいは満面の笑みで答えた。
「私、オオカミになっても少年にはなりませんわ」