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幻想ミスディレクションⅢ

 みれいとるねっとの二人は、玄関ホールから二階へ上がり、二階西通路の階段を降りて一階西通路に向かった。そのまま脱衣所に続く扉を開けて、中に入る。

 道中、みれいが本当に玄関ホールから一階西通路に向かう扉は開かないものかと、試してみたが確かに開かなかった。打ち付けられた板は、一筋縄では取れそうもない。

 脱衣所には綺麗なタオルが何枚も重なっており、藁で出来ているような籠がいくつもあった。その一つに、みれいは脱いだ服を乱雑に放り込む。るねっとは頬に付いていた星のタトゥーのシールを剥がしていた。簡単に付け外しできるのだろう。


「あら? それ、なんですの?」


 みれいがるねっとの首から下げられているロケットペンダントを指差す。


「これは、 母と私が映っている写真がはめ込まれているロケットペンダントです」


「まぁ、お母様想いなんですわね。絶対に私は付けたくありませんわ」


 みれいは苦々しい表情を作る。母親の話題となればお手の物である。


「みれいさんは母親と仲良くないんですか?」


「ええ。毎日些細な小言をマシンガンのように浴びせられて、私は身も心も穴だらけですわ」


「ふふっ、きっとそれだけ、みれいさんの事が心配なんですよ」


「どうでしょうね。有栖川家に汚名を付けたくない一心に見えますわ。お父様も厳しいですし……」


 みれいが愚痴をこぼすと、るねっとが僅かに表情を曇らせた。その変化をみれいは敏感に感じ取ったが、追求しないことにした。

 大浴場に続く扉を開けると、後ろにいたるねっとがすぐに声を荒げた。


「わぁ、凄い。大きな浴場ですね……みれいさん、どうしました?」


「うーん、ちょっと狭いですわ」


「あ、あはは……」


 みれいとるねっとは隣同士で髪を洗い、体を洗うときは背中を洗いっこした。それはみれいが妹と共に入浴するときによくする行動だった。


「ところで、るねっとさんは電車を間違えたんですの? それともバス?」


「えっ? みれいさん……イーグルさんたちの話を聞いていたんですか?」


「ええ、当然ですわ。一字一句逃していません」


「まぁ……てっきり何も聞いていないかと思っていました。途中で電車を間違えてしまって、一本遅いバスで来たんです」


「あら、案外抜けてるところがあるんですの? そういうのはキチンとしているような人に見えたので……」


「どうしてです?」


「脱いだお洋服を、綺麗にたたんでいましたわ」


「ふふっ、よく見てますね。私は産まれてすぐに父がいなくなって、母子家庭でしたから……。洗濯物とかよくたたむんです。みれいさんは?」


 両親の離婚。そのせいで、先ほど父親の話題を出したときに表情が曇ったのか、とみれいは納得する。努めて明るくるねっとを見て、深く触れずに自然と会話を続けることにした。


「私は自分で言うのもなんですが、箱入り娘と言うものでしたわ。家事は全くやらせてくれませんの。けど、ようやく羽を伸ばして色々見れるものですから……つい、他人の行動が気になるんですわ」


「へぇ……凄いですね。人間観察ってものですか?」


「よく分かりませんわ。でも、るねっとさんが意図的に左腕を隠しているのはお見通しです」みれいはへたくそなウインクを放つ。「これって人間観察ですの?」


「……本当によく見ていますね」


 諦めたように息を吐いたるねっとが、左腕をみれいに見せる。

 みれいは得意げな表情で左腕を見たが、すぐにその表情は崩れてしまった。るねっとの左腕、そこには無数に傷があった。リストカット痕である。


「それ……ご自分で?」


「はい、そうです。一時期精神的に参ってしまって……でも、今はもう大丈夫ですから、心配しないでください」


「そうでしたの……辛いことがあったら、私に相談してほしいですわ。一緒にお風呂に入ったら、もう友達ですわよね?」


「ふふっ、そうですね。ありがとうございます」


 二人は大きな浴槽に浸かる。みれいは冴木に報告しようと、今一度浴室内を隈なく見たが、大浴場に人が出入りできる場所はなかった。換気扇のみが、ぐるぐると回っている。そういえば誰が湯を沸かしたのだろう。


「るねっとさん、今回の事件をどう思います?」


「奇妙ですね……でもそれよりも、かなりショックです。これでも、無理をしているんです。亡くなった二人とは長い付き合いでしたから……」


「でも、ここに来たメンバーとは初めてお会いしたのでしょう?」


「はい、そうです。だからあんな姿になって……」


「ごめんなさい、辛いことを思い出させてしまいましたわ」


「いえ、大丈夫です……」るねっとは湯で顔を洗う。「みれいさんは平気なんですか?」


「なんだか、実感が湧きませんの。直接見たわけでもありませんので」


「そうですよね。見るものじゃないです。死体なんてものは」


「ゲームでは、みさっきーさんやあつボンさんはどんな方でしたの?」


「ええ、二人ともかなり強かったですよ。黒騎士には到底敵いませんが、皆とも仲が良かったみたいです」


「黒騎士ってそんなに強い方なんですの? 男性?」


「ボイスチャットをしたこともありますけど、声は男性でしたよ。強さはもうピカイチ。いつもランキング上位で、誰も同じジョブにしなかったぐらいです」


「なんてジョブなんですの?」


「ええっと、重歩兵と奇術師を混ぜたもので、凄く重量のある装備なのに、エキセントリックな動きをするジョブです」


「まぁ、面白そうですわ。私もやってみようかしら」


 みれいは両親の作ったゲームでもあるレッドアトランティスをプレイしたことがなかった。一人暮らししている今の部屋にパソコンがないというのもあるが、あまりMMORPGというジャンルに惹かれないという部分もある。


「あれは素人じゃ操作が難しすぎて出来ないと思います。中でも強いのが、シャドートランジットという移動スキルですね」


「なんですの? トランシーバー?」


「トランジット、通過する、みたいな意味だったと思います。自分の影に潜って、壁なんかを通り抜けちゃうんですよ」


「まぁ、便利ですわね! 他には何かありませんの?」


「そうですね……特殊なもので、ミスディレクションナイフとかあります」


「み、みす……?」


「ミスディレクションですよ」


 るねっとがゆっくり発音してからくすくすと笑う。よく噛まずにいえるものだとみれいは感心した。


「ナイフが至る所に反射して、敵の急所を的確に射抜くんです。あれはもう芸術ですね」


「よく考えられていますわね……。でもその二つを使えば、今回の殺人も出来そうですわ」


 ぴたり、とるねっとの笑い声が止んだ。


「ごめんなさい、先に出ますね」


 るねっとが浴槽から出る。その表情は暗かった。


「すいません、部外者なのに色々聞いてしまいましたわ」


「いえ……でも、確かにゲームの中の黒騎士なら出来ると思います」


 ぎこちない笑みを浮かべ、るねっとは先に脱衣所に行ってしまった。

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