あんずは文字通り頭を抱えていた。たった一瞬で、大食堂にあった和やかな雰囲気は悲痛なものに変わってしまった。
みさっきーの死体と二枚の紙切れを確認した後すぐに警察へ連絡しようとしたが、立地、あるいは天候のせいなのか、スマートフォンは圏外という頼りない文字を映し出しており、連絡が出来なかった。
嫌な汗が額に滲んでいるのがわかった。あんずはポケットからハンカチを取り出してそれを拭う。冷め始めている料理の前で、黒騎士が残したのであろう紙切れに目線を落とした。
黒騎士の裁きは、執行された。
そして、もう一枚には二階の見取り図。その下の方にまだ文章があった。
「各自、荷物を自分の部屋に置きに行け……か。皆、どうする?」
「どうするも何も……まだ食事を済ませてないだろ」
シュダが机にあるフォークを触る。金属の音がして、皆が視線をシュダに移す。それを見て、るねっとは手で口元を覆った。
「えっ、信じられない。とてもじゃないけど、あれを見てしまったあとでは食べられないわ……。あの、あんずさん、鍵と紙切れを取りに中に入りましたよね。あれは本当にみさっきーさんの、その、死体だったの?」
るねっとは遅れてきたため、みさっきーに直接は会っていない。そこを疑うのは必然に思えた。
「ああ、見た感じみさっきーに間違いないだろう。なぁ、たくみん」
「う、うん」たくみんは青ざめている。「女性はるねっとがまだいなかったから彼女だけだったし、談話室に行ったのも彼女だけだ。俺はあの部屋に入っていくのを見た」
「でも、じゃあ一体誰が……こ、殺したの?」
広い大食堂は静寂に包まれる。
最初に館にいたのは、あんず、イーグル、たくみん、シュダ、あつボン、みさっきーの六人。六人が入ってからるねっとが来るまで、玄関の鍵は施錠されていたという。
あんずは現状を確認しながらたくみんに手招きする。
「ちょっと、たくみん。るねっとが来た時、確かに玄関の鍵は閉まってたんだよな?」
「そうだよ。それを解錠して、るねっとを入れたんだ」
「それでそのあと、施錠したと」
「うん、忘れかけてたところをシュダが鍵閉めろって言ったから思い出してね。そこはるねっとも見てたはずだ」
「外の玄関の鍵は誰が持っていたんだ?」
「そりゃ、ずっとみさっきーが持ってたよ。荷物は玄関に置いてあったけれど、ポケットに入れてたように見えた。だから死体の所に落ちてたんだと思う」
「ということは、誰もこの館に入れないわけだ」
「いや、まだ窓がある。どこか開いているのかも」
「しかし、ぱっとみた限り談話室には本棚ばかりで窓はなかったぞ?」
「うーん、西通路側の何処かが開いているのかも……。いやでも、外は雪が強まってるようだったし、こんな所に人がいるとは思えないな。そもそも外から来たら床が雪のせいで濡れるだろうな」
「全く、おかしな話だ……」
「あの、黒騎士が……殺害したんじゃ?」
たくみんが恐る恐る口にした。あんずは目を閉じて腕を組む。
「分からない……。それより、この黒騎士の書き置きだ。従ったほうがいいかもしれん」
あんずもたくみんも考えこんで、静寂が場を支配する。
そこで突然、シュダが声を出した。
「ぼ、僕は料理を食べるぞ。ずっと腹が減っていたんだ」
「やめとけよ、シュダ。オイラだって我慢してんねんから。もしかしたら、黒騎士が料理に毒を盛っているかも知れへんやろ」
黒騎士が毒を盛る、という言葉からして、あつボンは少なからずみさっきーを殺害したのは黒騎士かもしれないと心のどこかで思っているのだろう。
あつボンの毒という言葉に全員が押し黙る。突然、たくみんが「あっ」と声を出して喉に手を当てた。
「俺、飲み物飲んじゃったぞ」
「ほらみろ。飲み物にないならきっと大丈夫だ。僕は食べる、皆も食べようよ」
るねっとが両手を口に添えたままシュダを見つめている。普段のまとめ役であるイーグルも困り果ててどうしたらいいのか分からない様子だった。
シュダは皆の心配をよそに、ローストチキンをナイフで大雑把に切り、躊躇なく口へ運んだ。
「だ、大丈夫ですか?」
イーグルが怪訝な表情で質問すると、シュダは首を小刻みに頷かせながら咀嚼し始めた。
考えすぎだったかと一同がほっとしたとき、突然シュダが低い唸り声を発する。
「んっ……んぐぐっ!」
「ど、どうしたんや。大丈夫か?」
あつボンが立ち上がってシュダの元に駆け寄る。あんずも腰を浮かせはしたが、一歩も動けなかった。いったところで、自分には何もできないという無力さが体を支配している。
皆が息を飲むのが聞こえる。
そんな中、シュダはむせながらも飲み物を口に運び、片手を前に突き出して手をパーにするとゆっくりと
「ご、ごめんごめん。ちょっと喉に詰まっただけ」
「なんやねん……脅かしやがって。ああ、オイラの寿命が縮まったわ」
「ああ、私の寿命も縮まったかも」るねっとが安堵の溜め息を吐く。「心臓に悪いよ……でも、何事もなくて良かった。食事は大丈夫なのね」
大食堂では、シュダだけが豪華な食事を堪能している。
あんずは、自然と悠長に食事をするシュダを見ていた。ふと、あつボンと視線が交差する。
「オイラも食べようかな……ここに来るまでに疲れたし、こんな美味そうなもん、滅多に食えへんやろ」
「そ、そうだな。少し冷めてしまっているが、食べないともったいない」
一人だけ黙々と食べるシュダのせいか、皆の食欲が再び訪れたようだ。各々が自分に言い訳をつきながら、食事を口に運びだす。
最終的には、一番非難していたるねっとも食事を始め出した。
隣の談話室には死体があるというのに、この奇妙な状況は何だろう、とあんずは不気味に思った。
結局、料理に毒が盛られていることはなく、皆無事に食事を終えることが出来た。食器は全員で、とりあえず調理室のシンクまで運んだ。その間も、黒騎士の姿はどこにも見えなかった。
「食事も終えたことだし、とりあえず書置きの指示にしたがって各自荷物を部屋に運ぼう」
あんずは二階の見取り図を確認する。
二階の西側。つまり、大浴場などがある上に位置するのが、客室A、B、C、Dであり、調理室の上にある二階の東側に、客室E、F、スタッフルーム、倉庫、があると記載されている。
全員が賛同し、各々が自分の客室の鍵を手に持つと、荷物が置いてある玄関ホールへ向かう。そして置かれたままの荷物を手にした。
あんずが鍵のキーホルダーを確認していると、真っ先にたくみんが行動した。
「えっと……じゃあ、俺は”客室D”だから西側だ」
「僕は”客室C”だ。隣だな、たくみん」
シュダが大きな体を揺すりながら西側に移動する。イーグルが眼鏡を持ち上げながら同じ方向に動いた。
「あ、僕もこっち側です。部屋は”客室B”です」
「俺もそうだな。”客室A”だ」
あんずが西側に寄ると、必然的にあつボン、るねっとが残る。
「ということは、オイラとるねっとは東側か。オイラが”客室F”だから、るねっとは”客室E”やな」
「はい、そうです。あの、あつボンさん、私……何だか怖いから何かあったら助けてくださいね」
「お、おう。まぁ、オイラに任せろ」
こうして西側の階段をあんず、イーグル、シュダ、たくみんが上り、東側の階段をあつボン、るねっとが上った。
しかし、玄関ホールの上は広いフロアになっており、別れて上ったものの結局二階でまた合流してしまった。シンメトリーにするために左右に階段を設置したのだろうか。
そして二階のフロア、南側にあるものを見て、一同が恐怖の混ざった驚きの声を上げた。
「えっ……!」