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前途暗澹なプロローグⅠ

 真っ白で冷たい雪が、小径こみちを埋め尽くさんばかりの勢いで間断なく降り続いている。二人分のキャリーバッグを持った冴木さえきけんは、早くもここに来たことを後悔し始めていた。

 冴木の目の前には、パンの耳と同じ色をしたチェスターコートを羽織り、ブランド物のショルダーバッグを肩から斜めにぶら下げて歩いている有栖川ありすがわみれいの背中が見える。ファッションに疎い冴木がなぜブランド物だと分かるのかというと、初めて自分のお金で買ったのだと散々自慢されたからである。

 そんなみれいの、長いピンクレッドの髪を見失わないように用心して冴木は黙々と歩く。段々とキャリーバッグを持つ手が痺れてきた。

 結局、目的地までだんまりを続けるつもりだったが、あまりにも長く、変わらない景色に痺れを切らす。腕の痺れも切らしてほしいものだ。


「有栖川君。まだ君の別荘とやらには着かないの?」


 みれいはまだ元気が有り余っているのか、軽やかに振り返った。


「せっかちですわね、冴木先輩。うーんと、この調子だとあと三十分もかからないぐらいかしら」


「え? それは……無理だ」


「あら、どうしてですの?」みれいは首を二十度ほど傾けた。「こんな山道ですけれど、道は分かっていますわ」


「いや、あのね有栖川くん。君の荷物を僕が持っているっていう事に気付いてる?」

「ええ、もちろんですわ」


 冴木は思わず立ち止まって、白い息を吐いた。


「君のキャリーバッグが重たいんだよ。一体何をこんなに詰め込んだのさ」


「えーっと、着替えでしょう? あと、そうそう。サンタクロースのコスプレ衣装も入っていますわ。冴木先輩、コスプレはお好き?」


「何故そんな余計なものまで詰め込んだのか理解に苦しむね。いいかい、有栖川君。自分の部屋や近所の友人宅でコスプレに興じるのは構わないけどね、山の奥にある君の別荘でのクリスマスパーティーにわざわざ持っていくものじゃない」


「冴木先輩、あの別荘は私の親名義の物件ですから、自分の部屋と同じですわ」


「……なるほど理屈は通ってるな。ならせめて、自分の荷物は自分で持ったらどうなんだい」


「あらやだ、女性にこんな重たい荷物を持って山道を歩けと仰るの?」


「重たいっていう自覚があるなら、少しは軽くする努力をしたほうがいい」


 冴木はこれ以上の口論は労力の無駄遣いだと察して、再び歩き始める。みれいも器用に横目で冴木を見ながら、歩を進める。


「もう、冴木先輩ったら文句ばっかり言って……って、きゃぁ!」


 しっかり前を向いて歩いていなかったせいか、みれいが盛大に尻餅をついてスカートが雪に埋もれた。冴木は仕方なく一旦自分のキャリーバッグから手を離して、みれいに手を差し伸べる。


「有栖川君。歩き慣れない道なんだから気を付けたほうがいい」


 みれいは何故か嬉しそうにしながら手を伸ばしかけて、すぐにはっとした表情になり足を閉じた。そのままの姿勢で、冴木に鋭い視線を向ける。


「冴木先輩……見ていませんわよね?」


「え? 何を?」


「……はぁ、何でもありませんわ」


 みれいが寒さのせいか頬を赤らめながら一人で立ち上がると、スカートのお尻についた雪を払いながらそっぽを向いて歩き出した。

 冴木は差し伸べた手を逆再生のように引っ込めて再び自分のキャリーバッグを握りしめると、唯一の道しるべであるみれいを見失わないように後を追った。

 雪は次第に激しさを増してくる。何とか早く辿り着いて、暖をとらないと凍死しかねない。冴木が命の危機を感じていると、みれいが突然「あ!」と大声を上げた。

 冴木は声を出して立ち止まったみれいの横に並ぶ。


「今度はなにかな。玄関の鍵でも閉め忘れた? いや、それはないか」


 冴木は自分で発言しておきながら、今日、十二月二十四日の午前中のことを思い出す。

 そもそもなぜ冴木とみれいがこうして歩いているのかというと、二人が通う大学のミステリー研究会が起因している。

 冴木は小学校からの腐れ縁である萩原はぎわら大樹だいきの強制的な勧誘のせいで去年からミステリー研究会に所属しており、今年の新入生であるみれいはミステリーオタクだと豪語し、ミステリー研究会に参加した。

 そして、みれいが今年の冬に親族が所有しているという山中の別荘でクリスマスパーティーを開こうとミステリー研究会に要望した結果、インドアな冴木の細やかな反論も虚しく、サークルメンバーの多数決という数の暴力に屈したのだ。

 こうして本日開催予定だったクリスマスパーティーだったが、午前中にみれいが下宿先のアパートでサンドウィッチを作ろうとしたところ何故か軽いボヤ騒ぎに陥った。

 神の悪戯か、はたまた悪魔の罠か。悲しくも隣人であった冴木も巻き込まれて、他のサークルメンバーよりもかなり遅れて夕方からの出発になってしまったのである。

 なぜサンドウィッチ作りでボヤ騒ぎになったのかという謎は、大量のサラダ油で焼いたスクランブルエッグが暗黒物質のようになっていたためだというのは一目瞭然だった。トースターにセットされていた食パンすらも、書道に用いる固形墨に成り果てていたのだ。

 危なっかしい隣人のみれいを見かねて、出発時に戸締りを確認したのが冴木だった。もちろん、ガスの元栓もチェック済みである。


「わたくし、良いことを思いつきましたわ!」


「どうせ、ろくでもないことだろう」


「ちょっと冴木先輩? 話の腰を折らないでくださいます?」


「悪かった。それで?」


 冴木は仕方なく譲歩することにした。約半年以上もミステリー研究会で顔を合わせているから分かるのだが、みれいはわがままで、自分の意見を中々曲げたがらない性格なのだ。それが彼女曰く長所でもあり、短所でもあるらしい。


「まだわたくしの別荘までは距離がありますけれど、この近くに確か他のお屋敷があるんですわ」


「こんな辺鄙へんぴなところに屋敷なんてあるわけないだろう。一日にバスが五本しか来ないようなバス停から、どれだけ歩いたと思っているのさ」


「世の中にはですね、色々な物好きがいらっしゃいますのよ。一度寄ってみましょう」


「仮にあったとしても、絶対に人はいないと思うよ」


「あのですね、冴木先輩。冴木先輩が駄々をこねるから私が雨宿り――いいえ、雪宿りの提案をしているんですわよ?」


「分かった。分かったから、そんな子供扱いはよしてくれ」


 冴木が困った顔をすると、みれいは得意げに頬を緩める。慣れ始めていたが、冴木が困った仕草をするとそれに比例するようにみれいは微笑むのだ。理解しがたい謎の反射現象である。


「ふふーん。少し道を逸れるだけですから、明かりが点いていなかったら少しだけ休憩して屋敷に向かいましょう」


 クリスマスイヴだっていうのに、僕は何をしているんだろうと、冴木は落胆しながら芯まで冷え切った体に鞭を打ち、みれいの後を追う。

 しばらくして、デジャヴのようにみれいが声を出したので横に並ぶと、彼女の指さす先には煙突から煙を出している大きな屋敷が、イルミネーションで豪華絢爛ごうかけんらんに仕上げられていた。


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