「フェリクス公爵様。ラムダさんは、私にとても良くしてくださいます。ラムダさんをご紹介くださって、有難うございます……!」
「ラムダ、今の聞いたか?! 可愛いマリアちゃんが僕に感謝している! 嬉しいなぁ」
「……は?」
ラムダはあからさまに眉をひそめた。
「マリア様、お座りくださいませ。公爵様のおっしゃる事は適当にスルーで構いませんので」
「ぇ……?」
「ほらー、マリアちゃんが戸惑ってるだろう! ラムダ、君は僕にもっと敬意を示すべきだと思うが? って僕の執務室で、なんで君が僕よりも先に座ってんだよ」
「どうだっていいじゃないそんな事。心が小さい男って格好悪いわね」
「なんだと……? いくら君だって言って良いことと悪いことがあるだろう」
今にも火花を散らしそうな二人の剣幕に、マリアはわけがわからずたじたじとなる。
「あのっ。お二人とも、どうかお気持ちをおさめてくださいませ……っ」
心底困り果てるマリアを見て、フェリクスとラムダは互いに睨み合ったあと、ふぅと嘆息した。
「マリアちゃん、ごめん」
「申し訳ありません。わたくしが至りませんでした」
「ごめんね、本当に。これでも僕らはかつての学友なんだよ。友達と言うか、まぁ成績トップを競い合った《犬猿の仲》だけど!」
「犬猿のって、今必要?! ひとこと余計なのよ、あなたは。でもわたくしよりも少しだけ地頭が良ろしいようですわね? そこは認めます」
「君の方こそ。美術は卒業まで学年トップを貫いたろう? 僕がどう足掻いたって君には勝てなかったぞ」
──馴れ合いの理由……このお二人は。
なんだかんだおっしゃっていても、お互いを認め合っているのですね。
「お二人がそんなご関係だったなんて。では、ラムダさんはフェリクス様と年齢が同じなのですか?」
「彼女は二学年を飛び越える天才だ。だから今はちょうど二十歳、だよね?」
自分ごとのように自慢げに話すフェリクスをラムダは冷ややかに見遣る。これでも、犬猿の仲だったというライバルのフェリクスに讃えられ、照れているのだ。
「そ、それにしても。皇族の血を引いているからと言って、公爵位を継いだあなたが何故、いつまでも
「何故、僕が
──……から。
何やら小さく呟いて、フェリクスは照れたような顔をする。
「え……?! なんですって?」
「もぅいいだろう、そんな事はどうだって」
──この礼服、カッコいいから。
「呆れた……。まったく、よい大人が恥ずかしくないのですか?! お脱ぎなさいっ!」
「嫌だよ、何を着ようが僕の勝手だろう?!」
「お脱ぎなさいってば!」
「だから、嫌だってば!」
仲の良い兄妹か、恋人かのような二人のやり取りは見ていて微笑ましく、マリアの緊張がゆるりとほどけていく。
「お二人は仲がよろしいのですね。私は一人っ子でいつも母と二人きりでしたし、学校には通っていませんし。
世話を焼いてくれる大人が何人か周りにいましたが、同年代のお友達と関わることはありませんでしたから。そんなふうに想いのまま言葉を交わせるお二人が、とても羨ましいです……!」
「嫌だわ、わたくしたち。見苦しいところをお見せしましたわね。そう言えば、マリア様はフェリクス様にお尋ねすることがあったのでは?」
「ぁ、ええ……ジルベルト様のことなのです。ジルベルト様が皇城でどのようなお役目に就かれているのかを、フェリクス様にお聞きしたいと思っておりました」
聞き逃してはいない。
ラムダは、漆黒の礼服と鷲のブローチが『皇族の証』だと言ったのだ。
──もしかして、ジルベルトも……っ。
「マリアちゃん。今、なんて言った?」
「ジルベルト様に爵位やお役職があるなら、そばでお仕えする者として、知っておきたいと思っています」
「えっと、それは、だな……」
にこやかだったフェリクスの面輪が、虚を突かれたような色を見せる。
「殿……ッ、あぁ、いや。ジルベルトだ、そうだジルベルト。《彼》に直接、聞いてみてくれないかな! イッッッッッッッ!!」
マリアには何故だかわからぬが、ラムダの靴裏の直撃でフェリクスの足の甲がまた悲鳴をあげる。
マリアは思案に暮れる──フェリクス公爵なら、さらりと答えてくれると思っていた。
ラムダとて同じではないのか。だからこそフェリクスに聞けと言ったのではないのか。
「……そ、そうですよね? では、そうします」
マリアはすっかり呆気に取られてしまい、困惑のままに睫毛を伏せた。
「そうだ、ラムダ」
フェリクスがおもむろに両手のひらを打ち付ける。
綺麗な指先からぱちん! と乾いた音が
「マリアちゃんと宮殿の周りを散歩したいんだろう? それはいい! 行っといでよ。
ただし獅子宮殿だけだからね! 他はともかく、本宮にだけは近づいちゃダメだよ。獅子宮殿のメイドだと言ったって無駄だ、本宮に無関係な者は容赦なく警吏に捕われてしまうからね。獅子宮殿の敷地からは出ないように気をつけて!」
本宮とは、扉前に四人もの衛兵が立っていたあの巨大な宮殿の事だろうか。その本宮とやらにあの皇太子がいるのだろうか。
マリアの脳裏に、皇太子が頭に被った黒銀色の甲冑の頭頂に揺れる白い羽飾りと、振り向きざまに見せた、ぎろりと睨め付ける氷のような瞳がよみがえる。
そういえば──あの時、あの瞬間も、王女リュシエンヌはメイドの格好をしていた。
リュシエンヌが第二の母親のように慕っていたシャルロワの侍女、リーナの、咄嗟の機転によって。
──ああ、リーナ。
あなたのお仕着せを着せてもらったお陰で、皇太子に気付かれずに済んだのよ……? 私が今、アスガルド帝国の皇城にいると知ったら。あなたはどんな顔をするのでしょうね……。
「まぁ、適当にいたしますわ」
ラムダは、ふいっ、とそっぽを向いた。
──フェリクス公爵様、もちろんです。
リーナに救われたこの命。
恐ろしい皇太子がいるかも知れない場所になんて、絶対に近寄ったりなんかしません。