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ラムダとフェリクス公爵(1)


 獅子宮殿内にあるフェリクス公爵の執務室は……派手だった。

 扉が開かれ部屋の中に案内された時、はしたなく視線を泳がせてしまったほど。


 執務室という場所がら、こっくりとした茶系の落ち着いた部屋をマリアは想像していたのだが──。


 ダークグレーの壁紙、床全体に敷かれたワインレッドの絨毯が目を引き、その上に黒塗りの家具が整然と並んでいる。

 巨大なクリスタルのシャンデリア、銀のテーブル、銀の額縁、銀の花瓶に銀の食器。

 本棚さえ黒塗りに銀ぶちで、とにかく銀色のものが目立つ……なんと言うか、執務室全体がぎらぎらしているのだ。


「悪趣味」


 マリアの後に入室してきたラムダがぼそりと呟いたのは、聞こえなかったふりをする。


「公爵は間も無く戻られます。応接椅子に掛けてお待ちください」


 侍従が去ったあと、扉の前から動けずにいるマリアの腰元に手を添え、ラムダが促した。


「座って待ちましょう!」

「でもっ、もうすぐ公爵様が来られるのですよね? 私たちが先に座っていても、よろしいのでしょうか……」


 フェリクス公爵がおじ様だかおじい様だか知らないが、マリアは初対面なのだし、ここは公爵の執務室なのだから礼節を心がけるべきだろう。


「平気ですわよ。案内の侍従だって椅子に座れと言ったでしょう?」


 戸惑うマリアを、執務室の向かって右側に揃えられた応接家具の長椅子に座らせると、ラムダも隣に堂々と腰を下ろした。


 ちょうど目線の先にこじんまりとした本棚、その隣に大きな書卓と執務椅子が見える。公爵は平常、あそこで執務をこなすのだろうか。


「そんなに緊張なさらなくても大丈夫です。フェリクス公爵は悪趣味ですが、マリア様を怖がらせるような人ではありませんから」


「はい……。ただ、思っていたお部屋の感じと、少し違っていたので」

「想像以上にど派手でしょう?」


 ラムダは無遠慮にくすくすと微笑う。


「ぇ……」

「彼はこれをって、思っているのですわ、きっと!」


 部屋の派手さにも驚いたが、ラムダのあけすけな物言いに気圧けおされてしまう。それに────・・・


 ・・・──今、「彼」と?


 いくらなんでも少し馴れ馴れし過ぎやしないか。マリアが戸惑っていると、


 ガチャリ

 よく通る明るい声とともに執務室の双扉の片方が押し開かれた。


「あー、待たせてごめんね! いやぁ参ったよ……色々と面倒な調査を押しつけられちゃってさ。ただでさえこっちはリュシエンヌ王女の捜索で手一杯だっつーのに。僕はみんなの便利屋じゃないんだよ。ったく、あの老害どもが!」


 リュシエンヌ王女の捜索。

 思いがけずマリアの耳に飛び込んで来た文言に、冷や水を浴びせられたように心臓がぎゅっと縮こまる。


「さてと、固っ苦しい挨拶は抜きだ。そのままでいいよ? お嬢さんたち」


 先の尖った黒皮のロングブーツが、ワインレッドの分厚い絨毯を軽快に踏み進む。

 栗色の癖っ毛の後頭部をくしゃくしゃっと指先で掻きながら、若い青年が応接椅子に向かった。


 ラムダがすっと椅子を立ち、青年に歩み寄れば、


『わかっていますわね……? ジルベルト殿下の事、マリア様に知られぬよう、言葉にはくれぐれも気をつけて下さいませ』


 息を吐くように耳打ちをする。


 マリアはひどく戸惑いながらも、失礼があってはならぬとすっくと長椅子から立ち上がった。

 背中に冷たいものが伝い落ち、心臓も縮こまったままだ。


「は……初めてお目にかかります、フェリクス公爵様。マリアと申します」


 目の前の青年に青ざめた顔色を悟られるのではないか。

 案じながらマリアは深々とお辞儀をする。


 一呼吸置いて頭を上げれば、応接机の向こう側に立つ美丈夫な青年の、若々しく生気に溢れたヘーゼルの瞳と目が合った。


「おおっ、君が、マリアちゃん……?!」


 華奢な身体を包むメイド服、ストロベリーブロンドの長い髪は三つ編みにして後頭部に小さくまとめ、白いリボンを結んでいる。


 今度はフェリクスが真顔で、隣に立つラムダに囁いた──


『可愛いな、おい』


 途端、ラムダの靴裏がフェリクスの尖ったブーツの足の甲に直撃した。


「イッッッッ!!」

「余計な事を言うからです」


 ──ジルベルトと、同じ礼服……?


 マリアの目にとまったのは、ジルベルトが着ているものと良く似た漆黒の礼服。顔のまわりを囲む襟はジルベルトのものほど高くないが、襟元には金色の鷲のブローチがきらめく。


 フェリクスは足の痛みを必死で堪えながら、身体ごと固まっているマリアに笑顔を向けた。


「初めまして、マリアちゃん。フェリクス・ドゥ・ライデンベルクです。帝都の別邸にいる父は健在で公爵家の領地運用もしているが、心労が重なって精神を病んでしまってね。二十二歳の若輩の僕が公爵位を継いでるってわけ。あー、そんなに緊張しなくてもいいんだよ?! 座って、楽にして?」


「はい……」


 楽にして、と言われたけれど、恐怖心と緊張で消え入りそうな声しか出ない。


 ──お願い。ひるまないで、マリア。

 帝国は今でも雲隠れした王女を探している。わかっていた事よ?! 今更、動揺なんて……っ。気持ちを立て直して、フェリクス公爵様にきちんとお礼を言わなくちゃ……!


「って、どうしたの? 怖い顔をして」

「いっ、いえ……! 公爵様とお聞きしていたので、もっとご年配の方だと……」


 鼓動の乱れを抑えようと呼吸を整え、マリアはどうにか笑顔を取り繕う。



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