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『星祭り』


 今より遥か昔、いにしえの頃の話。

 全ての神々の祖となる「ゼロ」──「無の境地」から、“大地の女神「エルーラ」”が誕生した。

 そののち「ゼロ」は天空神、海神、山神を次々と生み出し、大地の神「エルーラ」の他にも“奈落の神「ヴォルタール」”、“恋心と性愛の神「フルラ」”、“地下世界・暗黒幽冥の神「ゲルボス」”、そして“夜の女神「リュクシール」”が続く。



 夜の女神「リュクシール」は配偶神無くしてその愛息子、“夕星の神「ラウエル」”を誕生させる。

 華やかな神々の誕生の陰に身を隠すようにひっそりと生まれたのは、“暁の女神「ガイア」”。


 決して交わるはずの無かった若い神々に、“恋心と性愛の神「フルラ」”が悪戯いたずらを仕掛けた。

 曖昧となった昼と夜の境で出逢い恋に落ちたのが、“夕星の神「ラウエル」”と“暁の女神「ガイア」”だ。


 愛息子を不憫に思った夜の女神「リュクシール」は、一年にたった一夜だけ、「ラウエル」と「ガイア」の逢瀬を許す。


 それが──昼と夜の境界が曖昧になる『星祭り』の日だとされている。






 *┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈*




「ラムダさん、あれは……?」


 ジルベルトとの昼食を済ませ、自室に戻る回廊を歩きながらマリアはその光景に目を留めた。


「あら。今年も準備が始まったようですわね」


 キラキラ輝く星形のオーナメントを、柱や梁の至る所に飾り付けているメイドたちを見遣りながら、ラムダが答える。


「来月の『星祭り』に向けて、帝都のみならず皇城でも、あのように盛大な飾り付けを行うのです」


 マリアを守るように寄り添うラムダは、十三時という時間きっかりにマリアをガゼボまで迎えに来た。

 丁寧に摂った食事で舌と腹を満たし、マリアのしたあと。わずかに睫毛を伏せた柔らかな眼差しで、ジルベルトは言った。


『形だけの茶の用意は要らぬ。その代わりにマリア。今夜は君の《一番大切なもの》を持って、俺の部屋においで。』


 物言いは穏やかだけれど、艶やかで良く通る声。


 ──私の一番大切なもの……。


 ジルベルトはどうしてそんな突拍子も無いことを言うのだろう?

 マリアは首を傾げてしまうし、同時に困り果ててしまう。


 ──大切なものなんて、お母様を失った時に全て消え失せてしまったわ。



 回廊を渡って、壮麗な幅広い階段を登る。

 階段の手すりの欄干にも、腕のいい職人が手がけたと思われる繊細な細工のオーナメントが幾つも輝いていた。


「星祭り、ですか?」

「ええ。帝都で盛大に行われる毎年恒例のお祭りです。あら、マリア様は『星祭り』をご存知ありませんでしたか?」


 ──いけない。

 前にいたウェインだって帝国の属国だもの。そんな盛大なお祭りを知らないだなんて言えば、きっと不信がられるわね。


「あの、ごめんなさい。田舎育ちで、私を一人きりで育ててくれた母は病がちで、私は小さい頃からほとんど家から出た事がなかったものですから……。お祭りというものの記憶が無いのです。

 ウェインにいた頃も、下働きの仕事でそれどころではありませんでしたし」


「そうでしたか、失礼いたしました。『星祭り』の日は早朝から帝都中に露店が立ち並びます。次の日の明け方まで光が溢れて、人々が喜びの笑顔に包まれます。皇城に従事する者たちも、短時間ですが交代で外出が許されるのですよ。

 マリア様は、夜の女神『リュクシール』の神話はご存知ですか?」


「星々にまつわる神話なら、小さい頃に絵本で見た記憶があります」


 シャルロワの離塔に幽閉されていた頃、そのほとんどの時間をマリアは離塔の書庫室で過ごした。そこにあるほぼ全ての本を読み尽くしたと言ってもいい。

 ファンタジーにラブロマンス、礼儀作法、各国の歴史や政治のこと……。塔の外に出なくとも、世界の全てが書庫そこに在った。


「もしかして『星祭り』って……が現れる、あの夜の事でしょうか?」


「ええ、その通りです! 昼と夜の境目が曖昧になる、あの不思議な夜です。ルイベラの天体観測官によれば、今年は来月の三日だという予測ですから。帝都中の皆がとても楽しみにしています」


 この世界には、二つの太陽が存在すると言われている。

 けれど人間が肉眼で確認できる太陽は一つだけ。


 夕陽が地平線の向こうに去った後も、空は一晩中青紫の色を保ったまま、あかつきを迎える。「もう一つの太陽」によってそのような現象が起こるとされているが、それを証明する確かな根拠はまだ見つかっていない。


 夜の女神「リュクシール」とその愛息らの神話も、人々の信仰心と、この不思議な現象を理由づけるものとして生まれたのだろう。


「夕星『ラウエル』の下で愛の誓いを立てた者たちは、暁の女神『ガイア』の加護を受け、生涯幸せに寄り添うことができると言われています。なので昔から結婚の約束をするならこの日だとも言われます。

 とはいえ、夕星『ラウエル』は、必ずしも星祭りの日に見えるとは限らないようですが」


「本当に……。素敵な言い伝えですね」


 この夜空の神秘については、離塔に居た幼い頃から不思議に思っていた。


 明け方まで藍紫色のグラデーションをえがき続ける夜空。

 爛々と煌めく星々を見上げながら、天体について書かれた本を読み解くほどに興味を惹かれ、神話や伝承についても意図せず詳しくなった。


 ──帝都の盛大な『星祭り』だなんて。夜通し光に溢れる帝都は、すばらしく綺麗でしょうね……。


 皇城の使用人さえも交代で外出が許されるという『星祭り』。

 ジルベルトは昼食の席で『お茶役』は皇城の使用人ではないと言っていた。帝都民でも皇城の使用人でもないマリアが、祭りに行ける希望はなかろう。


「ラムダさんにお願いがあります。もしお祭りに行かれたら、お話を聞かせてくださいね……!」


 見たことのない煌びやかな一夜に想いを馳せながら、マリアはアメジストの瞳を輝かせるのだった。



 マリアが自室に入れば、仔猫が待ってましたとばかりに足元にじゃれついてくる。小さな頭を一生懸命に擦り付けて、身体中で喜びと愛情を表現する仔猫ジルはとても愛らしい。


「さて、マリア様。そのドレスはとても良く似合っていますけれど、またお着替えですわ」


 はい……と、小さく答えたマリアはクローゼットへと向かう。


「そういえば。ラムダさん、私の鞄がどこにあるかご存知ありませんか? 中に部屋着が入っているのですけれど……っ」


 マリアが持っている服は、この宮殿内で着るにはあまりに粗末なものだ。

 けれど部屋着まで何もかも甘えるわけにはいかないのだし、すかすかの鞄の中をかき回して、ジルベルトが言う《マリアの一番大切なもの》だって、どうにか探さなければならない。


「マリア様の鞄ならクローゼットの奥です。でも今は必要ありませんわ」


 マリアがきょとんとしていると。

 ラムダは手に提げていためし革の四角い鞄を下ろして、ぱかり、と開ける。


「ラムダさん、それは……?」


 ラムダが胸の前に広げたのは、ふわりと丸い袖とフリル飾りの付いた白いブラウス、黒いワンピース。


「メイド服です。これを着ていれば宮殿内を歩いても目立ちませんわ。少し休憩をされてからで構いません。フェリクス様にマリア様をご紹介したいのと……そうだわ、ついでにお許しをいただいて、獅子宮殿周辺を探索しに参りましょう! うまくいけば剣の稽古をつけてらっしゃるジルベルト様が見られるかも!」


 沈着冷静なラムダが、なぜだか顔を紅潮させて嬉々とはしゃいでいる。


「あの、急に、どうしたのですか……?」


「え、見たいと思いませんか? ジルベルト様のご勇姿」

「見たいとか、見たくないとかではなくて。えっと……それを見て、どうなるのでしょう??」


「え、だって、マリア様。好きな人がスマートにお仕事しているところ、見たくないのですか?」


「私には……よくわかりません」

「わたくしなら、是が非でも見たいですわっ!」


 濃紫の瞳を輝かせるラムダは、一体どうしてしまったのだろう。


 ──それにって。


「ラムダさん。私はこの通り、皇城の使用人にもなれない下女です。下女が高貴な方に恋心を抱くなど、許されることではありません。ジルベルトは……その……とても素敵な方だと思いますけれど、ただそれだけです」


 本心に蓋をしてうつむくマリアに、今度はラムダが首を傾げる。


 ──もしや、マリア様は無自覚……? それとも身分差の恋を遠慮なさっているとか。まぁそこが愛らしいのですけれど、無理もありませんわ。もしもわたくしが同じ立場なら、マリア様と同じことを考えるでしょうから。


「ジルベルト様にとってマリア様は特別なのです。その証拠にジルベルト様を敬称もなく呼べる女性ひとは、この広い帝国で……いいえ。この世界中でマリア様ただお一人だけですわ」


「それは、その……っ。敬称を付けずに名前で呼べとおっしゃったり、意味もなくじっと見つめて微笑んだり。

 私にもよくわからないのです。ジルベルト、様が……何を想い、そのようになさるのか」


 遠慮や謙遜ではなく、心からの疑問を吐き出しながら眉をひそめるマリアに目を見張り、ラムダは呆れ声を吸い込んだ。


 ──驚くほどに《鈍感》ですわね?!




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