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心の闇を照らすもの(1)


 *┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈*



 日は高く昇り、白亜のガゼボに光を注ぐ。日が当たるところは眩しいほどだが、相反して光が届かぬ場所には暗い影を落とす。

 獅子宮殿の南庭にしつらえのあるガゼボは、緑の木々の波間に白々と浮かぶようだ。


 宮殿の外廊下を渡り、数人の侍従らが銀製の大きなカートを運ぶ。

 ジルベルトの傍に立ち、彼らを横目に見るフェルナンドは怪訝な面持ちを崩さない。


「下女を食事の席に招待するなど。後宮であなたからの誘いを待ち続ける姫たちが聞けば卒倒するでしょうね」


 ガゼボの低いテーブルの下では持て余してしまう長い足と腕を組み、ジルベルトは白いアイアン細工が繊細な椅子に悠々と座る。


「そういつまでも臍を曲げるな、フェルナンド。マリアはもう下女ではない。俺の大事な『お茶役』だ」


「どちらにせよ後宮の姫たちは納得しないでしょう。それに快眠が都合良く続くとも限りません。

 素性も知れぬ女を寝所に入れて寝首を搔かれでもしたら。噂になって広まれば皇太子の威信にも関わります」


「言われずともわかっている。そんなに心配なら、マリアの生まれ育ちと身辺でも調べれ上げれば良いだろう?

 何をしても埒があかなかった不眠が改善したのだ。今朝は日が昇るのを見過ごすまで眠ったのだからな」


 ──こうして目を閉じただけで、殺害された女性たちの断末魔の叫びが聞こえると言うのに。


 三年前──現皇帝が不治の病に臥した事を契機に二人の兄の愚行を裁き、秘密裏に死罪を処理したのは、当時彼ら二人とは腹違いの第三皇子だったジルベルト・クローヴィスだ。


 理知的なジルベルトを突き動かしたものは、煮えたぎる胸の内より這い出たであった。


  とは言え、帝国の繁栄と安寧の為だけに行動することを信念としてきたジルベルトには必要な過程だった。

 というのも、ジルベルトの兄である二人の皇子は己の利権のみを優先し、保身のために善良な万の民をも殺す愚王の素質を備えていたからだ。


 ジルベルトの想いを察したフェルナンドが二の句を継ぐ。


「ご自分を責めるのはもうおやめください。愚行の口封じのために彼女らの居場所を暴き、刺客を遣って殺害したのはあなたの兄上たちです。

 あなたは彼女らをかくまい、守ろうとした。彼女たちが殺害された事を直々に伝え、頭を下げた事にも遺族らは感佩かんぱいしているのです。

 この三年という歳月のあいだ、あなたは誠意を尽くし十分に償ってきた」


「最愛の娘や婚約者を失った者たちに対して十分などという言葉はあるまい」


 ──それにあの時、俺は兄上らを激昂の赴くまま、侮蔑を込めて殺したのだ。


 真実が明かされぬまま、第三皇子の兄殺しの噂だけが広まり続けた。

 殺害された女性たちの尊厳を守るために口を閉ざしたジルベルトは、いつしか『自身の出世のためには兄弟をも殺す。人の心を持たぬ冷酷皇太子』と言われるようになった。


 そしてあの日生まれた狂気は黒々とした闇となり、今でもジルベルトの心をむしばみ続けている。


「あなたは人を見定める目がある。シャルロワの王族とてあの皇子たちと同じだった」

「フェルナンド。その話、今はよせ」


 シッ、と人差し指を立てたところで、


「おいでになりました」


 傍に控えた侍従がかしこまる。


「仰せの通り、あなたの『お茶役』の身元を調べさせましょう。このあとの議会、遅刻は禁物ですよ」


 フェルナンドは耳打ちをして一歩下がり、丁寧に一礼したあと外廊下を渡って宮殿の奥へと消えた。

 ジルベルトにとっては口煩くちうるさい介入者がいなくなったも同然、やれやれと息をく。


「ジルベルト……?」


 ジルベルトの名を呼ぶ鈴のの声とともに現れたのは。

 幾重にもシフォンの生地を重ねた花のようなドレスを纏い、緩やかにまとめた髪を片方の肩に垂らしたマリアだ。

 化粧気は無いが、唇にほんのり薄くべにを乗せている。


「これは愛らしいな……」


 陰惨な闇の中に、淡い桜色の光がふと差し込んだようだった。

 ジルベルトは思いがけず見惚みとれてしまう。


 ──あの明るい光にふれていたい。


「マリア、そばにおいで」


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