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微睡みはとけて──*


 *┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈*



 睫毛に差す眩しい日差しに目を覚ませば。

 ふかふかの柔らかな枕に、自分の頬が沈んでいることに気が付いた。


「ぅん……」


 油断をすれば閉じようとする目蓋をゆっくりと持ち上げる。

 まどろみの中でもそれがわかるほど身体中が心地良くて。


 ──私、夢の中にいるの?


 きらきら眩しい光に目を細める。

 そこは昨日までマリアが寝起きをしていた、狭くて薄暗い屋根裏部屋ではない。


 全体に茶系の、落ち着いた色調でまとまった豪華なしつらえ。

 小さい頃に本の挿絵で見た美術館のような部屋だ。


 ──ここは、どこ……?


 軽くてふわふわの寝具に身体がすっぽり包まれている。余りの心地良さにもう一度、目を閉じた。


 ひと呼吸したのち……「いけないっ」と意識を引き戻す。


 がば、と寝具をめくって起き上がる。

 夜着も薄いガウンもソファで眠ってしまったそのままで、指先に巻かれた真っ白な包帯が神々しい。

 みるみるうちに昨日の出来事が思い出され、微睡まどろんでいた身体が突然冷や水を浴びせられたように縮こまってしまう。


「私ったら、また失敗を……っ」


 ──どうしてあのまま眠ってしまったの!


 けれどもマリアが寝てしまったのは窓際のソファだったはず。

 きょろきょろと見回してみてもソファなどは見当たらず、今いる場所がソファのある部屋とは空間を隔てた、広々とした寝室である事を理解した。


「……ジルベルトは……?」


 軽い晩酌のあとジルベルトの要求に応じ、膝枕をした。そのあとはソファで眠っていたのではないのか。


 マリアが座っているのは、大きなベッドの左側。

 ふと信じたくない心配が胸をよぎり──こわごわ視線を右側にやれば。

 頭の下に敷かれていたものと同じ、ふわふわの枕がもう一つあって、その下のシーツに若干の乱れがある。


 横たわった痕跡だ。


「ひっ!」


 思わず変な声が出てしまう。想像した心配ごとを、もう否定しようがなくなった。


 昨夜──。

 あのあとジルベルトが目を覚まし、ソファで眠ってしまったマリアを寝台まで運んだ。

 そして自分も眠ったに違いない、何も知らずに眠っている呑気なマリアの隣で。


「は、はこ……っっ」


 ──はこ、ばれた。それにジルベルトと……


「……一緒に、眠った……?!」


 ぶるぶると背中が騒ぎだす。

 眠ってしまった自分のだらしない寝顔を、あの美しいジルベルトに見られてしまったのだろうか。

 それどころか寝室まで運ばれ(はばかりながら言ってしまえば横抱きにされたものと思われる)、あろうことかジルベルトのベッドで横並びに眠ったなんて!


「はわ、わ、わ、わ」


 ──私は、どんなお叱りを、受ければ……っ


 祖国シャルロワをたった一人きりで追われた時、マリアは十四歳の少女だった。この三年間、勿論、人に親切にしてもらった事もある。だからこそここまで来られた。

 けれど「身寄りの無い子供」が生き抜く環境は厳しく、そそっかしいマリアの失敗は疎んじられ、時には折檻や、酷い罰を受けた事もあった。


 思わず両手で口元を押さえる。頬がこわばり、頭の中が真っ白になって卒倒しそうになる。


 使用人が、ベッドで眠ってしまった。


 慌ててベッドを這い降り、乱れた寝具をできるだけ綺麗に整える。

 部屋に残してきた子猫のジルも気掛かりだが、マリアが『仕事』をしている間はラムダが面倒を見てくれているはずだ。


「とにかく、早くお部屋に戻らなきゃ」


 ベッドサイドの小卓には左右それぞれに照明器具が置かれているが、マリアの側の小卓の上に、小さなメモのようなものが白く浮き出るように目に入った。

 折り畳まれてもいないその紙の表面に「マリア」という文字を見つけ、おそるおそる手に取ってみる。



『おはよう、マリア。良く眠れたか?』



 整った筆跡が、その一文を綴っていた。


 ──ジルベルトが、これを……?


 マリアの失敗を咎めるどころか、伝言を残してくれたのだ。

 なんでもないこのひと言がマリアの心を強く揺さぶる。先に寝室を離れたジルベルトの気遣いが、心の底から嬉しかった。


 そういえば。

 ジルベルトは昨日の馬車の中で、マリアに朝の着替えも手伝えと言ったのではなかったか。


 ──とんでもない粗相をしたばかりか、寝坊をして朝のお勤めも果たせなかった……!


 ジルベルトに、何と言って謝れば良いのだろう。

 マリアはジルベルトが残したメモを、胸の上に両手のひらで包むように抱きしめた。



 沈みきった心を抱えながら、ジルベルトの部屋を出る。

 誰かが運んだのか、昨日の夜マリアがティーポットをひっくり返してしまった真鍮製のティーワゴンは跡形もなく消えていた。


 ジルベルトの自室に続く廊下は、暗い夜の顔から表情を一変させ、東の大きな窓から差し込む光が壁に飾られた美しい絵画を際立たせている。


 爽やかな朝の風景にマリアの夜着は似つかわしくない。

 廊下の入り口に直立する騎士兵二人が、目だけを動かしてマリアをじろりと見遣る。

 身体を小さくしながら、マリアはその脇をそそくさと通り過ぎた。


 騎士兵が立つ場所は、そこから半球の形をした天井が吹き抜けるホールのような構造になっている。


 ──綺麗……!


 見上げれば、六角形の硝子が無数に貼られた高い天井が碧々《あおあお》と煌めき、美しい光の筋を大理石の白い床に落としていた。


 ここを抜ければ、マリアに与えられた部屋はすぐそこだ。


「……ほら、あれが」

「どんな女かと思ったら。ただのじゃない」


 ささやくような小声がマリアの耳朶を掠める。

 顔を向ければ、向かい側の廊下で花を生けていた二人のメイドが、マリアの視線に気付いてわざとらしくこちらから目を逸らせた。


 マリアの心を縮こませたのはそれだけではない。一度目を逸らせたはずの二人が、こちらに向かって歩いて来るのだ。

 明らかにマリアに好意的ではない四つのに睨みつけられているのを感じて、今度はマリアが目を逸らせた。


 ──あの二人、何だか怖い。


 二人のメイドはマリアの前に並ぶと、二人揃ってお辞儀をする。

 彼女たちにぶたれるのではないかと思うほどのすさまじい気迫を感じていたので、マリアは拍子抜けしてしまう。


 二人のメイドが揃って顔を上げる所作はメイドと言えども美しく、流石は皇城内の宮殿に従事する者たちだと感心せざるをえない。

 ウェインでは王城勤めのメイドをしていたマリアだが、同じメイドでも彼女たちは数段『格』が違っている。


「はばかりながら申し上げます」

「はっ、はい……」


 マリアがお辞儀を返せば、


「お茶役を拝命したからっていい気にならないで! 居酒屋の下女だった者が、いったいどんな手を使って皇城に入り込んだのかしら?!」


「下女の汚れた手で、高潔なジルベルト様がけがされるなんて」

「貴族出身の私たちだって、一糸たりともふれられるお方ではないのに。下女ふぜいが穢らわしい……!」


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