ジルベルトに色目を使う美貌の女性を前にしても、こんな神妙な心持ちを
──俺の知る女は皆一様に外面ばかりを飾り立て、内に邪な
マリアは、儚げに見えて内面は違っている。あの店で見せた凛とした強さには敬服したのだ。
身寄りもなく一人きりで生き抜くための環境がマリアをそうさせたのだろうが、俺は奇しくもその強さに
ジルベルトを助けようとした時も。
傷口の応急処置をしたあと血まみれのまま王宮内に押し入り、宰相のロベルトに涙ながらに訴えかけたと聞く。
ジルベルトは冷笑する。
指先を少し切っただけで大騒ぎする後宮の女たちに、あれと同じことはできぬだろう。
「マリア。君の気持ちは良く理解した。マリアが安心して皇城で過ごせるよう、俺が手を回して細心の注意を払おう。約束する」
ジルベルトの力強い言葉に、マリアがきょとんと目を丸くする。その言葉が強ければ強いほど、ジルベルトは自身の首を絞めつけるようなものだ。
──これはますます、マリアに皇太子だと明かすタイミングが難しくなったな。
頭を抱えたくなるが、これほど皇太子を恐れているマリアに今すぐ正体を明かすわけにはいかない。まずはマリアを皇城に迎え入れ、誰もマリアに危害を加えないのだと安心させる必要がある。もちろん、ジルベルト自身も含めて。
──少なくとも数ヶ月はかかりそうだ。皇城に着くまでに早馬を遣って、フェルナンドにも伝えよう……秘密裏に、
フェルナンドのしかつめらしい顔が歪むのを想像し、ジルベルトはやれやれと嘆息する。
一方でマリアは、戸惑いの中にもジルベルトの頼もしい言葉に一抹の安堵の気持ちを抱いていた。
ジルベルトはきっと大貴族か何かなのだろう。その立ち居振る舞いやジルベルトに対する周囲の態度を見ても、皇城内に於いてかなりの権力者であると伺える。
──ジルベルトに守ってもらいながら働けるなんて。今の私にとっては、この上なく有難いことだわ。どこにいたって死ぬときは死ぬのだし、生きるときは、生きるのだから。
マリアはこの三年ものあいだ、その名を偽って生きてきた。
本当の名は、リュシエンヌ・マリーア・シャルロワ。かつてはシャルロワ国の王女と呼ばれた頃もあった。
王族でただひとり逃げのびたマリア。
幼い頃から王城の離塔に母親とともに幽閉されていたおかげで、マリアの顔を知る人物は離塔で働いていたごくわずかな人数の使用人たちだけ。そして彼らも帝国の侵略戦争で殺されてしまった。
──私の顔を知る者は、もういないはずだもの。
皇城に行ったとしても、マリアの正体が自分以外の者の口から明かされることはないだろう。
この三年間。毒を呑むような思いをしながら生き伸びてきたのだ。マリアは弱気になる自分を奮い立たせる。
思案に暮れるマリアを見て、ジルベルトが小さく微笑んだ。
「そんなに案じなくてもよいよ。確かに皇太子には冷酷だという噂もあるが、心根はそうでもないのだ。マリアが安心できるよう、俺も精一杯努めよう」
マリアをじっと見据え、腕組みをして鎮座するジルベルトの青い眼差しは力強く、同時にこの上なく頼もしい。
「だから。なるべく人目につかせぬよう、皇城ではマリアに俺の身の回りの世話をしてもらう。とはいえ、せいぜい朝の着替えと眠る前の話し相手になってもらう程度だ」
「ぇ……」
──朝の着替え……? 眠る前の、お話し相手っ?!
マリアはジルベルトの言葉を頭の中で何度も反芻する。どうやら聞き間違いではなさそうだ。
「あの……私っ。皇城の下働きではないのですか……?!」
「命の恩人のマリアに礼を尽くすと言った。俺の身の回りの世話以外は、特に何もしなくていい。俺がそばにいられない間は、マリアが退屈をしないで済むよう専属の世話役を付けよう」
片肘をついたまま、外の景色を眺めるジルベルトはなぜだかとても機嫌が良さそうだ。
マリアの心臓が、ふたたび騒がしく高鳴りはじめる。
──ちょっと待ってください、そんなの、仕事じゃありません……っ!