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第111話 心臓

 イデアは本当に何の感慨も無さそうに、無造作にアーリアの方へと歩み寄っている。まるで寝起きに朝食を取りに行くかのような、気軽な様子だった。


「こ、の、ォオオオオオオオオオ!!!」 


 何度目かになる、熊手による打ち下ろし。イデアの一見痩躯な半身を、一馬は確実につぶした。


「ふむ、坊や。反撃して良い時が来たら、教えてくれるかな?」


 飛び散ったはずの血が一滴も床に溢れていない。それどころか、確かにつぶした半身は元に戻っている。


「このっ!!?」


 稟と精霊ブタとの正式な契約。半年に及ぶ訓練により磨いた、100トンを誇る岩の塊が降り注ぐ。大型クレーンと同等の大きさで、一塊の岩石は確実にイデアを圧死させた。


「うーん。才能がケタ違いだが、惜しい。いっそ時間をかけて、育ててみたくなる」


  呑気な声を響かせながら、瞬時に再生したイデアは、まるで砂の山を崩すかのように、岩を無造作に押しのけた。岩にはひび一つ入らず、ただ彼の身体が通った跡だけが、奇怪に歪んでいた。


「なんっ……なんでぇ!?」


「そう無駄に動くと疲れるぞ。ちゃんと休むと良い。さて……あ、いかんなっ!!」


顕現せよぉヴォクリィイー!! 混沌竜の絶叫ドヴァー・ライン!!!」


 放射状に飛び出していく塩の波に、イデアは慌てて身体を霧に変え触れないように回避し、さらにコウモリに変化して、天井に逆さに張り付いた。


「竜の精霊なぞ初めて見た。手広く多才だな?」


「チッ……直接ブチ込まないと駄目か」


「ふむ。夜ならともかく、日中にここを塩だらけにされてはたまらん。彼女の葬儀もある。坊やには悪いが、反撃と行こう」


 イデアは身体を戻して、戦闘を開始して初めて、上下逆さまのまま構えた。なんというか腰が引けており、手の握りも、腕の構えも甘く。誰もが素人丸出しとしか、思えない情けない姿である。


「え、えぇ……?」


「っ……カズマくん、避けて!!?」


「え!?」


「くぬっ!」


 離れた距離で必死そうなかけ声と共に、腰すら入ってない腕がまっすぐ振るわれた。それだけで大きな風船が割れたような音が響き、空気中の水分が円錐状に広がり、一点に凝縮された力が、カズマに襲いかかかった。


「うぁ……!!?」


 一馬はイデアが情けない姿に脱力していても、アーリアの掛け声で警戒し直撃は避けた。だが横を通り過ぎた瞬間に耳と鼓膜に衝撃を受けて、膝をついてしまった。


「水分操作」


「御名答。血飛沫から空気中のわずかな水分まで、流れる川でもなければ、操り放題と言うわけだ」


「このっ!! よくもカズくんを!! 精霊さま!!!」


「マカセロ!!」


 巨大化した精霊ブタが一馬をかばいつつ、渦巻く砂塵が四つ、イデアに襲いかかる。


「むっ、水分と見て、乾きを与えに来たか、なんと的確な……!!」


 驚きつつも自らの細腕から、色の薄い血液のような水分を出して、イデアは腕をふるって迎撃した。アーリアもタイミングを見て塩を放ったが、霧に身体を変えられて、命中させられない。


「くっ……」


「ふむ。とは言え、これでは互いに決め手に欠けるか。それに……」


 イデアは一馬が立つのを確認して、天井を見た。陽光はまだ降り注いでいる。夜になれば逃げ出せるが、まだ日が傾くには少し時間がかかる。焦る必要は無いが、増援や天井を破壊されれば逃げ場はない。彼は冷静に、追い詰められている事実を認識した。


「ならば、こうしよう」


 イデアが軽く手を打ち鳴らした。すると霧が一気に発生し、あっという間にドーム状の空間が、異常なまでの湿度に満たされていく。


「うぁあ……?」


「いけないっ……!」


 アーリアは塩を連射する事を中断して、天井の穴へ向けて、少しでも破壊するために雷撃を放った。霧に蓋をされるように覆われた穴は、雷撃が直撃したが破壊される事は無かった。


「家長のように、この場をすべて血浸しとは行かぬが、湿度が高いだけで生物は呼吸がしづらく不快な物。さぁて我が霧の前に、何分持つのかな?」


 稟はふらふらと座り込み、精霊ブタにかばわれている。一馬も立つのがやっとで、アーリアだけは変わらず動いて壁を駆け上がった。


「なんとっ!?」


 空中で輝く足と、ろくに腰の入ってない蹴りが交差する。拮抗した力は鍔迫りあったが、イデアの足は崩れながら元に戻ろうとするのに対して、アーリアの輝きは減少していく。


「ずぇぁああっ!!!」


「がっ……!?」


 満足に呼吸できず、拳で繰り出された二撃目は耐えきれなかった。アーリアは壁まで吹き飛ばされて、隕石でも落ちたかのような激突音を響かせて、破壊された瓦礫に飲まれてしまった。


 イデアはさらに油断せず、瓦礫ごと追い打ちの遠距離攻撃を何度も繰り返した。


「アーリア!? こっ、のおッ!!!」


 一馬が切り札を切った。雷を纏う黄金の爪が一つ指先に宿る。半年に及ぶ訓練により、今の彼はチェンジミストを討伐した時と、同等の一撃を放つ事ができる。


「むっ、それは痛そうだ。ならば!」


 広げていた霧を維持したまま、自らの手元に赤い水分を凝固させ、血液の通った大鎌をイデアは作り出した。


「だぁああああああッ!!!」


「ふっ……んぬッ!!」


 一馬は力と息を振り絞り、黄金の爪を。イデアはツルハシでも振り下ろすように、水の大鎌を繰り出した。


 威力は圧倒的にイデアの方が上だったが、水の大鎌では雷を止めるには相性が悪すぎた。飛び散った水は豪雨のように降り注ぎ、雷の爪はイデアの肩口から胸までを切り裂いた。


「ぐっ……!?」


「ハァ……ハァ……効いた……?」


 イデアは試しに霧、コウモリに姿を変えて一馬から距離をとったが、黄金の爪で受けた傷は、まったく再生しなかった。


「見事。吾輩が再生できぬ傷など、久しく。だが、大勢は決したようだな?」 


「くそっ……!!」


 天井付近から声が聞こえるが、濃い霧のせいで視界の確保もままならなくなってきた。稟は杖こそイデアに向けているが窒息寸前で、一馬は黄金の爪を使った反動で著しく体力を消耗し、さらに呼吸もままならず動けない。


 精霊ブタは自身だけで岩を放ったが、せいぜい牽制にしかなっていなかった。


「このまま陸で溺れて貰おう。窒息死は汚く醜い。いっそ、意識を手放した方が楽だぞ?」


「ふざっ……けろ、くそっ……!!」


「ん……?」


 天井の空いた穴から、遠くサイレンの音が鳴り響いた。聞き慣れない音にイデアは警戒して、穴の方を向いてしまった。


〝今や!! センセッ!!! 〟


「しまっ……!?」


 死蝋のような肌でも感じるほど、膨れ上がる熾烈な殺意。上の住人がすべて退避した事実を知らせるサイレンと、通話越しの真司の掛け声で、瓦礫の下敷きになっていたアーリアは、奥の手を切った。


 人知及ばぬ技術量スキルのみで、星の地軸に空間・空気ごと干渉。力を一滴たりともあます事なく、自らに集中・流転させる。彼女の踏み込みだけで大きく床に亀裂が走り、周囲の壁は崩壊し始めた。


「はぁッッ!!!」


 アーリアは「渾身の」蹴りを放った。


 膨大なエネルギーに大気が電荷し、瞬時にプラズマ化。まるで世界を終わらせる大隕石墜落のような衝撃が、厚い霧を吹き飛ばし、天井へと駆け抜ける。


「ぬぅううッッッ!!!?」


 逃げ場は存在しない。避けられる大きさでは無い。即座にイデアは身体を霧に変えたが、光の奔流に飲まれて、塵一つ残さず天井ごとすべて、消滅してしまった。



◇◇◇



 追撃、連撃を受けたアーリアは、満身創痍だった。片足は負傷した状態で攻撃をした反動で完全骨折し、片目は開く事が出来ず。右腕とアバラに至っては、複雑骨折して骨が肌から突き出ている。


 とてもシンプルに、イデアの攻撃力は異常なまでに苛烈だった。呼吸困難な状況では、歴戦のアーリアでも無傷とは行かなかった。


 砕けた樹の実を強引に飲み砕いて、出血こそ止めたが、彼女は満足に動ける状態では無かった。


「生きてる……二人とも?」


「なんとか……」


 3人とも、大きく呼吸を繰り返す。陸で窒息しかけている。天井はすべて破壊されて、赤み始めた青空が広がっている。


 それは、彼女の長い生涯でも、五指に入る大失態だった。


「えっ……?」


 アーリアの胸元から、植物かなにかのように、細い腕が一本突き出ている。黒いドレスの少女がアーリアの背から胸元にかけて、赤黒い塊を掴んで、そのまま彼女の身体を貫いていた。


「屈辱だ。彼らに預けた血を、使わざる得ないとは……だが、自らの言葉を忘れたか。……吾輩は、不死者だぞ?」


「ガフッ……!!?」


「せ、先生!!?」


「……アーリ、あぁああああああああッ!!!?」


 絶叫しながら少女の腕を、一馬は爪で、肩口ごと断ち切った。はだけた彼女の身体には、紅黒く脈動する亀裂が刻まれていて、少女から飛び散った血液もすべて、同じ色に脈動している。


 入口から波のように現れた紅黒く脈動する血液が、少女の死体をアーリアの心臓ごと包む。波が収まった後に立っていたのは、傷一つ負っていないイデアだけだった。


「くっ……ふっ……は、ははは、ははっ、まさしく神!!  擬似的な心臓一つでこれか!! 流石はモノが違う!!」


「キサマァアアアアアアアアッッ!!!」


 絶叫とも悲鳴ともつかない激情こえに任せて、稟と精霊ブタは、過剰な力に杖が壊れるのも構わず。500トン近い岩盤をイデアに向けて解き放った。


「おっと、これはちょうどいい日傘だ。感謝する」


「なっ……ま、待て!?」


 飴細工でもぐにゃりと歪めるように岩盤の一部を歪めて頭上に掲げ、イデアは天井に身を翻して、その場から逃げ出した。


「あっ……ぁ」


「いけない……!」


「アーリア……手をどけて、しっかり、しっかりするんだ……! くっ……!」


 一馬は貫かれた血まみれの胸を押さえながら、いつかのように、急いで樹の実をかみ砕いた。そのまま血に濡れる事も構わず、アーリアに口移しで飲ませようと試みる。だがその直前に、アーリアの目から、光が消えた。


「アーリア? アーリア……? ウソだろ、ダメだ、ダメだ……! ……ウソだと言ってくれ、頼む、頼むぅぅぅ……!」


「せ、ん、せい……?」


 アーリアは動かない。死んだ物は、つい先ほどここを去ったイデア以外は、泣こうが喚こうが、いくら嘆こうが、動かない。


 数千年に及ぶ旅の果て、彼女は愛し合う男と愛弟子の胸に、一生消えないであろう結末だけを遺し、旅立ってしまった。

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