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第104彼女の秘密

 眩しい。窓から差し込んでいる日光が暑い。エアコンが涼しい。コーヒーの匂いがする。今日はまだ入れてないのに。誰が入れたんだろうか。


「稟……?」


「そっちなんだ。酷いなぁ、カズマさんは」


 ちょっと皮肉げに、わざとさん付けで名前を呼んでくれたのは、アーリアだった。丈の合わない僕の白いワイシャツを着て、ベッドサイドテーブルの上に、僕の分のコーヒーを置いてくれた。


 時刻は朝6時半。夏休みとは言え、いつもならジョギングをして、アーリアの組んでくれた特訓メニューをこなしてる時間だった。


「シャツ勝手に借りたよ。目、覚めたかな?」


「これ以上無い朝だね。男のロマンだもの」


「熱々のコーヒー、背中に流し込んでやりましょうか、コノヤロウ……」


 ひくひくしてるおっかない顔で、熱々のコップを持ってぐいぐい押し付けられたから、さらに熱い。寝汗が酷いからシャワーが浴びたいな。流石に。


「朝ごはん出来てるよ。それ飲んだらシャワー浴びて食べよ?」


「うん。ありがとう、アーリア」


 誰かとこの部屋で食べるのも久しぶりで、誰かに朝ごはんを作ってもらうのも、久しぶりだった。


 シャワー終えて、お味噌汁に塩鮭。ふっくらご飯に卵焼き。キャベツと昆布の和え物と、満点の朝食を前に、まずは一献。お味噌汁を啜る。


 朝のコーヒーも良いけど、やはり煮立たせる直前くらいの熱々なお味噌汁が美味しい。夏でもこれが無いと、一日が始まってくれない。


「美味しい?」


「とっても。毎日でも飲みたいね」


「…………ねぇ、恋人って、本当に良いの?」


「良いも悪いも、一応僕はフリーだよ?」


「稟さんは?」


「振られたけど、僕が答え返せなかったんだよ。あの時は本当に、言われるなんて思って無くてさ……」


「そう言う、そっか……」


「………………ダメかな?」


有罪ギルティ、かなぁ……」


 今だって割り切れているとは思えない。でも、もうアーリアと恋人になるって、決めてしまった。なら割り切るしか無いし、稟にも何らかのケジメをつけてもらうしか無い。普通に殺されそうだけど。


「決闘は本当に止めてね?」


「そりゃ日本じゃできないけど、アーリアが挑まれたら、どうするのさ?」


「するよ。そこは負けたく無いもの。でも、もしアーリアと同じが良いって言ってくれるなら、その時は応えてあげて」


「え、……良いの?」


「こじれてるけど後から取ったもの、上から目線みたいで、殴られちゃいそうだけどね……」


「それは違うよ。どちらかと言うと、ケジメをつけられなかった僕らの事情に、僕だけが勝手に巻き込んだような物でしょ?」


 ちょっとだけ沈黙が流れた。互いに負い目があるから、それ以上の会話は弾まない。でも、誤魔化すつもりもないし、そもそも隠せるような相手でも無い。話題を変えよう。稟と話さないとキリが無い。


「ところで、アーレアックって、……本当なの?」


「本当だよ。正確には、あの頃西洋圏の迷宮探索組合のギルド職員をしてたの。その関係で商売とか、民間警備とかのお仕事もしていたわけだね」


「あぁ、そういう?」


「うん。今で言う民間警備会社の隊員さんみたいな? でもそのー……銅像になってる人。組合長のアウグストくんは正真正銘、王族筋の人で。後に国は没落したんだけど、当時は色々便宜を図ってもらったから、きっとそこが勘違いされているんだと思うよ」


「なるほどねぇ……」


 数百年単位で過去だと、よほど有力な貴族でないと、似顔絵や銅像なんて残っていない。歴史は勝った者しか綴らないと言うし、個人の人生を詳細に調べ上げるのは、やっぱり限度があるのかも知れない。


 でも素朴な疑問がある。アーリアって、結婚とか、恋愛とかって経験があるんだろうか。デートしてる時でも、見た目通りくらいしか男慣れして無かったし、気を抜くとこっちもオドオドしちゃいそうで、口には出さないけど、とても男女経験が豊富とは思えない。


「んー……いい機会だし、もう話しちゃおうか。でも本当に誰かに話しちゃダメだよ。崇められ始めたら、流石に私も日本から弾き出されちゃうからね?」


 アーリアは誰にも話さない約束をして、僕に自分の人生……いや、神様として崇めかけられたり、エルフと呼ばれたり、彼女の出身一族が、鬼神として他の神様と敵対したり、長い間、人でない者と暮らしたり、そんな想像もつかないような昔話を語ってくれた。


「えっと、そうなるとアーリアって、結局なんなの?」


「一番古い人間からの呼ばれ方は、この国だと羅刹……女性のラクシャーサである、ラークシャーシーが近いかな。そこから人間に近い肉体を得て、ずっと旅をしてきたんだよ」


「人間と同じ……?」


 僕は彼女の特徴的な長い耳をじっと見た。言いたい事が伝わってくれたのか、彼女は少し考えて教えてくれた。


「あのね。勘違いするといけないから、先に結論を言うと、私達への呼び方が、人間側の歴史の内で変化しただけなの。私達はずっと変わらず同じ種族なんだよ。つまり、時間軸が違うだけで、全部同じってことだね」


「じゃあ、アーリアは、鬼で、エルフで、神様で、人間に近い身体を持ってるって、こと?」


「まとめると、そうなるの。耳だけはこの通りなんだけどね? 証明するには、いくつか方法があるけど、すぐにはできないし、やらない方が良いかな……」


 これ、聞いて良い事だったんだろうか。彼女が嘘をつくとは思えないし、あるとすれば誰かに騙されてるとかあるかもだけど、彼女が他の人間と同じ生き物かと言うと、とてもそうは思えない。


「そんなに深く考えなくて良いよ。いにしえにおいて、特別な種族とか能力とかは、たまたま神様って名前がついた。くらいに考えて、ほぼ正解みたいな物だから」


「よく分かんないんだけど、身体が違うって、どういうこと?」


「現代だと人間との関係は、パスポートやスマートフォンに近いって言って良いのかな……うーん。本体の上に服を常に着てる形かな。ちなみに精霊さまも同じだよ。そうでないと土着の神様に、外つ国へと強制転移されちゃうの」


「神社の裏みたいな、別の場所に?」


「そう。人間の国に、神様の過干渉は御法度だからね。最近は少しずつ、それも変化し始めてるけど」


 信じられない、とは思はない。アーリアは嘘をついたことなんて、冗談半分くらいしか無い。けどこんなの確証の持ちようが無い。


「そう複雑に考えること無いよ。さ、洗い物しちゃおう。服、乾いたかな……」


 なにか、衝撃の告白だったけど、家を歩き回って甲斐甲斐しく家事をしてくれるアーリアを見ていると、少しどうでも良くなって来た。彼女と恋人になれたんだなと、幸福に思えた直後だった。


 チャイムが鳴った。扉の向こうに居るのは匂いから間違いなく。帰省して、ここに居ないはずの稟だった。

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