眩しい。窓から差し込んでいる日光が暑い。エアコンが涼しい。コーヒーの匂いがする。今日はまだ入れてないのに。誰が入れたんだろうか。
「稟……?」
「そっちなんだ。酷いなぁ、カズマさんは」
ちょっと皮肉げに、わざとさん付けで名前を呼んでくれたのは、アーリアだった。丈の合わない僕の白いワイシャツを着て、ベッドサイドテーブルの上に、僕の分のコーヒーを置いてくれた。
時刻は朝6時半。夏休みとは言え、いつもならジョギングをして、アーリアの組んでくれた特訓メニューをこなしてる時間だった。
「シャツ勝手に借りたよ。目、覚めたかな?」
「これ以上無い朝だね。男のロマンだもの」
「熱々のコーヒー、背中に流し込んでやりましょうか、コノヤロウ……」
ひくひくしてるおっかない顔で、熱々のコップを持ってぐいぐい押し付けられたから、さらに熱い。寝汗が酷いからシャワーが浴びたいな。流石に。
「朝ごはん出来てるよ。それ飲んだらシャワー浴びて食べよ?」
「うん。ありがとう、アーリア」
誰かとこの部屋で食べるのも久しぶりで、誰かに朝ごはんを作ってもらうのも、久しぶりだった。
シャワー終えて、お味噌汁に塩鮭。ふっくらご飯に卵焼き。キャベツと昆布の和え物と、満点の朝食を前に、まずは一献。お味噌汁を啜る。
朝のコーヒーも良いけど、やはり煮立たせる直前くらいの熱々なお味噌汁が美味しい。夏でもこれが無いと、一日が始まってくれない。
「美味しい?」
「とっても。毎日でも飲みたいね」
「…………ねぇ、恋人って、本当に良いの?」
「良いも悪いも、一応僕はフリーだよ?」
「稟さんは?」
「振られたけど、僕が答え返せなかったんだよ。あの時は本当に、言われるなんて思って無くてさ……」
「そう言う、そっか……」
「………………ダメかな?」
「
今だって割り切れているとは思えない。でも、もうアーリアと恋人になるって、決めてしまった。なら割り切るしか無いし、稟にも何らかのケジメをつけてもらうしか無い。普通に殺されそうだけど。
「決闘は本当に止めてね?」
「そりゃ日本じゃできないけど、アーリアが挑まれたら、どうするのさ?」
「するよ。そこは負けたく無いもの。でも、もしアーリアと同じが良いって言ってくれるなら、その時は応えてあげて」
「え、……良いの?」
「こじれてるけど後から取ったもの、上から目線みたいで、殴られちゃいそうだけどね……」
「それは違うよ。どちらかと言うと、ケジメをつけられなかった僕らの事情に、僕だけが勝手に巻き込んだような物でしょ?」
ちょっとだけ沈黙が流れた。互いに負い目があるから、それ以上の会話は弾まない。でも、誤魔化すつもりもないし、そもそも隠せるような相手でも無い。話題を変えよう。稟と話さないとキリが無い。
「ところで、アーレアックって、……本当なの?」
「本当だよ。正確には、あの頃西洋圏の迷宮探索組合のギルド職員をしてたの。その関係で商売とか、民間警備とかのお仕事もしていたわけだね」
「あぁ、そういう?」
「うん。今で言う民間警備会社の隊員さんみたいな? でもそのー……銅像になってる人。組合長のアウグストくんは正真正銘、王族筋の人で。後に国は没落したんだけど、当時は色々便宜を図ってもらったから、きっとそこが勘違いされているんだと思うよ」
「なるほどねぇ……」
数百年単位で過去だと、よほど有力な貴族でないと、似顔絵や銅像なんて残っていない。歴史は勝った者しか綴らないと言うし、個人の人生を詳細に調べ上げるのは、やっぱり限度があるのかも知れない。
でも素朴な疑問がある。アーリアって、結婚とか、恋愛とかって経験があるんだろうか。デートしてる時でも、見た目通りくらいしか男慣れして無かったし、気を抜くとこっちもオドオドしちゃいそうで、口には出さないけど、とても男女経験が豊富とは思えない。
「んー……いい機会だし、もう話しちゃおうか。でも本当に誰かに話しちゃダメだよ。崇められ始めたら、流石に私も日本から弾き出されちゃうからね?」
アーリアは誰にも話さない約束をして、僕に自分の人生……いや、神様として崇めかけられたり、エルフと呼ばれたり、彼女の出身一族が、鬼神として他の神様と敵対したり、長い間、人でない者と暮らしたり、そんな想像もつかないような昔話を語ってくれた。
「えっと、そうなるとアーリアって、結局なんなの?」
「一番古い人間からの呼ばれ方は、この国だと羅刹……女性のラクシャーサである、ラークシャーシーが近いかな。そこから人間に近い肉体を得て、ずっと旅をしてきたんだよ」
「人間と同じ……?」
僕は彼女の特徴的な長い耳をじっと見た。言いたい事が伝わってくれたのか、彼女は少し考えて教えてくれた。
「あのね。勘違いするといけないから、先に結論を言うと、私達への呼び方が、人間側の歴史の内で変化しただけなの。私達はずっと変わらず同じ種族なんだよ。つまり、時間軸が違うだけで、全部同じってことだね」
「じゃあ、アーリアは、鬼で、エルフで、神様で、人間に近い身体を持ってるって、こと?」
「まとめると、そうなるの。耳だけはこの通りなんだけどね? 証明するには、いくつか方法があるけど、すぐにはできないし、やらない方が良いかな……」
これ、聞いて良い事だったんだろうか。彼女が嘘をつくとは思えないし、あるとすれば誰かに騙されてるとかあるかもだけど、彼女が他の人間と同じ生き物かと言うと、とてもそうは思えない。
「そんなに深く考えなくて良いよ。
「よく分かんないんだけど、身体が違うって、どういうこと?」
「現代だと人間との関係は、パスポートやスマートフォンに近いって言って良いのかな……うーん。本体の上に服を常に着てる形かな。ちなみに精霊さまも同じだよ。そうでないと土着の神様に、外つ国へと強制転移されちゃうの」
「神社の裏みたいな、別の場所に?」
「そう。人間の国に、神様の過干渉は御法度だからね。最近は少しずつ、それも変化し始めてるけど」
信じられない、とは思はない。アーリアは嘘をついたことなんて、冗談半分くらいしか無い。けどこんなの確証の持ちようが無い。
「そう複雑に考えること無いよ。さ、洗い物しちゃおう。服、乾いたかな……」
なにか、衝撃の告白だったけど、家を歩き回って甲斐甲斐しく家事をしてくれるアーリアを見ていると、少しどうでも良くなって来た。彼女と恋人になれたんだなと、幸福に思えた直後だった。
チャイムが鳴った。扉の向こうに居るのは匂いから間違いなく。帰省して、ここに居ないはずの稟だった。