つり橋を渡り、落ちれば底の見えない裂け目を見ないように、手すりすらついていない階段を登ると、みすぼらしい長屋風の住居が、狭い小路を挟んで続いていた。
天井は見えないほど高い。痩せた小さな子供たちが、元気に駆け抜けて行く。みんなボロボロの服で、どう見ても大きさが成人用の左右バラバラの靴を履いて、パタパタして足音が変だ。
この国の水のせいか、そこまで不潔感は無いが、すれ違う人々も同じような恰好で、目が鷹のように鋭いか、精気が無く。俺たちを見て小道の脇で、ヒソヒソと何か会話している。
まるで昔テレビニュースで見た、紛争跡地のようだ。つり橋1本で隔たれた、同じ国内だとは思えなかった。
「しばらくの間は目が合い、話かけられても無視しろ。正常な者は向こうもそれを望む」
「わ、わかった」
「グルル……」
小声でマルドが指示してくれた。頭に乗っているレッジが少し威嚇するので押さえる。念の為サイレンサー付きの拳銃に手をかける。大柄なマルドがわずかに大太刀の鍔を鳴らすと、彼らは舌打ちして路地裏に引き下がって行く。
残ったのはマルドのツノをキラキラした目で見上げている子供だけで、マルドは彼らにモンスターの言葉で話しかけた。
『騒がせたね君たち。この子を見なかったかな?』
『見てないよ、ミノタウロス様。何かちょうだい』
『わかった。協力をありがとう。少ないが、みんなでわけて食べると良い』
メクの人相書きをしまったあと、マルドは懐から家で販売している弁当を、子供たちに差し出した。よほどお腹が空いていたのか、礼も言わず子供たちは、その場で手づかみで食べ始めていた。
「やさしいな?」
「そうでもない。ここではまず子供に何か施さないと、襲われかねん。地上語も通じん」
「密談には使えるね?」
「密かに分かる輩がいるかも知れん。あまり頼らない方が良いがな。サオ殿」
路地裏の奥からジロジロみすぼらしい恰好の大人たちに見られながら、マルドは鼻を鳴らして進んでくれている。
上空を見上げると、ハルピュイアたちが何人か飛び回っている。彼らは空から探索してくれるようだ。手を振ると、こちらに振り返してくれた。
「マルドはスラム街には、詳しいの?」
「俺は、元こっちの奴隷剣闘士で、故郷だ」
緩く登る狭い小路を進むと、小高い丘から周囲を一望できる。一口にスラム街とは言うが、街の大きさは、橋向こうよりも3倍はある。
マルドが地図を広げてくれた。闘技場や、中央の石英塔。下層への大門。奴隷市場。他にも細々とした地区がある。噂に聞いた、下に向かう嘆きの門が本当に存在しているのか。
「闘技場もあるのか……」
「ああ。あそこには世話になった。まだツノも伸びきっていない頃に、元締めであるドラゴニュートの父に買われ、剣奴として身を立て、立派に送り出してくれた……」
「今は、自由武士なんだっけ?」
「刀と民の前に死ぬ者だ。……確かそちらは、言われのない罪を着せられた、のだったか?」
「そんな所だ。まぁ、上から追ってくるヤツも居ないだろうさ」
「だろうな。……言い忘れていた。遅れたが懐妊を祝そう。式には呼んでくれ」
上下をうねる舗装道路を下りながら、目尻を下げていそうな声で言われ、俺たちは一瞬ポカンとしてしまった。
「ありがとう。必ず呼ぶぜ」
「うん。こっちの偉い人とは、懇意なの?」
「父は今でも闘技場の元締めだが、王様気取りはあの塔の最上階だ。知恵持つ双頭の老バジリスク。ジェイド・クォートルムが治めている。たまに気まぐれに闘技場の特等席にいたが、投げ銭はともかく、会った事は無いな」
「投げ銭はあるのか。それ一方的に、ファンだったんじゃねえのか?」
「さぁてなぁ、文化ではあるが。妙に毎回、多いカネを投げつけてくれてはいたな……?」
そこそこ歩いてうねる道路が平坦になり、網目のように細い路地が、いくつも別れて広がっている。マルドは何度か鼻を鳴らして、門の向こう側を指さした。
「ここは……?」
門を通過すると、建物に囲まれた広場だった。中央には緩く水を吐き出す噴水と、台座に乗った双頭の蛇を象った像があって、片方の頭を壊されている。
先程と同じような人種が水を汲んでいる。なんだろう。妙な圧迫感がある気がする。
「匂いはこの先、だが……」
「どうした?」
「分かるか。サオ殿」
「窓が、無いよ……」
窓が無い。周囲の建物は隙間なく建っていて、低い位置に窓があっても、木材か何かで塞がれている。それに妙にみんな、忙しなく水を汲んでいる。圧迫感の正体はこれか。
「グルッ!!!」
「あ、ぁわわわわッ!!!」
レッジの短い怒声が聞こえた途端。ガンッガンッガンと、何か金属を打ち鳴らす音が聞こえて、周囲の人々が慌てて逃げ始めた。
「な、なんだ!?」
「チッ……面倒な事になった!」
入って来た集団は、鱗を持った蛇に不格好に細い手足が付いたモンスターと、首から上が長くうねる蛇頭のモンスターで、門が一気に閉められてしまった。
「ナンオ!!? クカホ!! セロコ!!」
「シャアアアアアアアアッッッ!!!」
マルドが刀を引き抜く前に、一気に拳銃を引き抜く。照準とフロント・サイトを合わせて、最速で引き金を引く。
「グルァアアアッ!!!」
「ふっ……!!」
レッジが1体の首を、サオが回し蹴りで丸ごと一区画を、俺の銃弾が2体を撃ち抜いた。だがまだ襲いかかって来る。
「ぬ・う・んッ!!!」
マルドの大太刀がぬるりと煌めく。いっそ遅く感じるほど渾身を込めた一太刀が、襲いかかって来るモンスターを4体切り飛ばした。
「シャ、ハハッ、ハハ、ハッ、ハァアアア!!!」
おかしい。こいつらもう瀕死なのに、心底楽しそうに、狂ったように迫って来る。普通ここまでやられたら、逃げるやつだって出るはずなのに、勢いが止まんねえ。気持ち悪ィ。不気味で気持ち悪すぎる。
「シャハァアアアアアアアアアアアア!!!」
「クソッ……!!」
切り札を、切る。
背中に背負っていた、ドラム状のグレネードランチャーを構えて、迫って来る蛇頭の胴体目掛けて撃ち込んだ。
「キ。シャアァアアアアアアアアッ!!?」
「今だッ!! 後はハルピュイア達に任す!! こっちだ!!!」
「わ、かったぁ!!」
冷気のせいか一気に勢いが下がった。空を旋回しているハルピュイアたちが、上空から襲いかかっているのを確認して、俺たちは低い位置の塞がれた窓を破壊して、進み続けた。