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第90話 マルド・サック

 サオの朝はトロい。遅いんじゃなくてトロい。やるべき事はさっさと済ませて、俺にハスハスけだるそうに抱きつくか、グレムリン……いい加減名前をつけた。レッジに同じように抱きついているかが大体だ。


「ほら、もう仕事の時間だぞ。サオ」


「うー……ふぁあぁあ……」


 店の前を掃除する前に、ヤムル店長が厚切りの影麦パンを中心に、トロトロでドでかいチーズ入りのオニオンスープと、ドでかいオーブンで焼いたドでかい朝食を用意してくれてる。


 俺達の朝の仕事は、モンスター……異種族たちが起き出す直後に、店先で見えるように朝食を食べる事だ。


 地上では考えられない事だが、彼ら異種族にとっては、従業員の人間が安心して食事をしている店は、彼らにとって何よりの食の安全であり、繁盛している店の証拠でステータスらしい。不思議だが、そう言う文化なのだそうだ。


 食事を終える前にはお客様たちが少し並んでいるので、挨拶しながら軽く掃除の準備をする。最初は足が痛くなったが、岩を切り崩して作った床にも最近は愛着が湧き始めた。酔っ払っているような羽音が聞こえてくる。


「おそよー。少しそれ、貰っていい?」


「おはようメク。なんだ、また徹夜したのか?」


 眠そうに大きな目をこすって、工具やらゴーグルやら、ジャラジャラぶら下げたハルピュイアがやってきた。この店の常連で、ここ1月半ですっかり仲良くなったメクだ。


「そだよ。ふぅあぁあぁ……眠いったらないやい」


 彼女は発明家で、こんなこと言うと金切り声で怒られるが、スマホのように使えるスフィアも彼女の発明品の1つだ。また何か昼夜を問わず取り組んでいるようで、最近は目のクマも濃い。ちゃんと寝ろと言うのに。


「あっ、もう!!」


「お客様。食べたいのなら、ちゃーんとお店の中で、ご食事してくださーい」


 愛らしいミニスカートをひるがえして、制服姿のサオが、イヤミったらしく横合いから手を伸ばして、先に最後のパンを食べてしまった。


 ここ1月でずいぶん彼女もこの街に馴染んだ。当初は少したどたどしい言葉使いやアクシデントも多かったが、多くお客様と接する事で接客も板に付いてきていた。


「フン! ドーセイしてるからっていい気にならないでよ!! ……ね〜真人。今度デートしようよおぉ〜!!」


「お断る」


「なんでッ!!?」


「サオを愛してるから。3人とレッジで出かけるなら良いぞ」


 見え見えの当て付けに使われてたまるかい。サオがニヤニヤ勝ち誇ったように纏わりついて来る。仕事の邪魔だっての。レッジはせっせと真面目に仕事してんのに。


「えぇー!! いいじゃんいいじゃんデートしろよデートォオオオオ!!」


「大迷惑ですよー。お客様ー」


 ピイピイうるさい声でギャーギャー騒ぎながらまとわりつくので、サオが顔と胴体を押さえて止めてくれた。


 寝不足でテンションが高いのだろう。他のお客様はいつもの事と無視してくれているが、勘弁して欲しい。そもそもメクはたまに日本語の意味もしっかり分からず、突拍子もない事を、急に言い始める事もある。


「お前意味ちゃんとわかって言ってんだろうな?」


「え、要は子作りでしょ?」


「やるときゃやるが、一応一歩手前だ手前。だいたいお前、したことあるのかよ?」


「無いもん。だから真人としたいんじゃん!!」


 サオの方が顔赤くなってるくらいなのに、羞恥心って物が無いのか、コイツは。頭とツラは良いが、やはり思考は鳥そのものだ。


 サオはここ一ヶ月、街の連中と暮らす事で羞恥心が芽生えたり、情緒が普通よりになった気がする。安心できる場所を得て、彼女なりに安定したのだと思う。実に良いことだ。


「ほらほらメク。ご飯作ってあげるから、ちゃんと食べて寝なよ。おなか、空いてるんでしょ?」


「食べる!! もうおなかペコペコ、お豆いっぱいちょうだい、サオ!!」


 情緒が鳥なので、興味を向ければ素直にすっ飛んでいく。呆れ顔のサオに首根っこをさすられて、そのまま軽々と持ち上げられて、店の中に入ってい行く。


 レッジと掃除を終えて店に入ると、まん丸の腹を抱えて、座敷でメクが「でーん」と寝転んでいた。仮にも年頃の娘だろうに。真っ白い太ももや、張りのある豊かな胸が目に毒なので、ヤムル店長が毛布をかぶせていた。


「開店だ」


「今日もよろしくお願いします!」


 掃除が終われば、ヤムル店長の号令で本格的な開店になる。主な客層は狩猟のできるほど広い黒丘や、農産地で働くゴブリンたち。裂け目に潜って工事している、ミノタウロス建設団の平団員たち。


 何か人に聞かれても問題ない。軽めの商談をしているオークや人間たちなどが、我が店にはよく来店してくれる。


 みんな見かけと同じく食べるので、俺とレッジは厨房回り。サオは給仕の仕事をしている。正直、サオの方は慣れてから、俺よりずっと有能で腕っぷしも強い。


 最近じゃ、小さな身体で何皿も料理を運んで、たまに来るちょっと荒っぽい客も片手でけちょんけちょんにしてしまうので、仲間内ではずいぶん人気者だった。


 朝の営業が終わって11時を過ぎた。俺とサオ。レッジは大量の弁当をリアカーに積んで、酒造地区に向かう準備をしていた。


 あそこはお得意様で、持っていけばあっという間に完売する。今日のメニューはぶっといホットドッグに大量のベーグルだ。どういう理屈なのか、このリアカーに積んでおくと、弁当は焼きたてのように温かくなる。便利な物だ。


 トテトテと歩いてメクもついてきた。料金を払って余剰分の弁当も食べる気らしい。うるさいのが増えたがこれも仕事だ。


 サオと将来暮らしていくなら、先立つ物は重要だ。いつもカネに振り回されて頭が痛いが、初期資金と寝床があっただけマシってもんだな。


 壁と大勢の者たちに囲まれて、それでも広い往来のど真ん中で、今日も顔見知りが看板を立てていた。異種族言語だが、見なれてしまったので看板の内容はわかっている。


『求む挑戦者。一勝負、勲章一つ』


『勝った者には、勲章10個』


 1本ツノのレッサーオーガたち。その中で赤い毛皮、片ツノ欠けのミノタウロスで、若頭。


「よう、赤葡萄酒マルド。景気はどうだ?」


「昨日と合わせて、10人。決闘を申し込む」


 簡素に答えてマルドはサオに、2本のうち1本のぶっとい木刀を放り投げた。サオは何も言わず受け取り、そのまま投げ返した。


「良いよ。じゃあ、今日は……気分が良いから、


「ウォオオオオオオオオオオ!!?」


 回りの者たちが、サオの微笑みに熱狂し始める。誰も彼もが好き勝手に勲章カネを賭け始めて、調子の良いメクは、もう賭け金を集め始めてやがる。


 俺はポケットをまさぐって見向きもせずに、びた一文残さず全額をサオに賭けていた。

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