俺こと岩動真人が最初にこの国に足を踏み入れた時、変わっているのは匂いだと感じた。濃い水の匂い。湿気大国なんて揶揄されるほど日本は雨と川が多い国だが、ここは水の青さが違っていた。
入管はモンスターの番兵と、人間の女性が対応してくれた。番兵はいかつい1本ツノのオーガがじっとサオを物珍しそうに見ていたが、キキロガが咳払いすると何も言わず通してくれた。
入管の女性職員は、滞在期間と持ち物検査。持ち込みできない物について、丁寧に説明してくれた。
流石にスマホは完全にダメで預けるか買い取り、武器の類は人数分以上の数は買い取りとなるらしい。銃器の類は俺しか使わないし、興味深そうに持って行くキキロガも含めて、ここで余剰分を売り払って山分けする事にした。
驚くべきことに、この国では物々交換が主流らしい。次に多いのは勲章との交換で、小銭の類は無いと考えた方が良さそうだ。
ゴブリは無事人間を連れて来た事で恩赦を受ける事が出来た。聞けば娘が軽犯罪……訓練所で不良行為、いわゆるいじめを行った刑罰だったらしい。
この国の子どもへの法律は変わっていて、刑罰は主に保護者が肩代わりする。詳しくは聞かなかったが、いじめを行った当人は専用の施設で暮らして精神科に近い物に通うのだという。
身体能力の違いが種族事に大きすぎるため、妥協なく対応しないと、とんでもない事になりかねない故の法律だと、彼は語っていた。
ゴブリには家庭もあるらしい。彼とは奥さんであろうゴブリンが迎えに来て、そこで一度別れる事になった。久々の家族水入らずに水を指すのも、全員気が引けたからだ。
「当面の資金には困らんだろうが、宿ぐらしよりか住み込みの方が良かろう。寺に行くか」
当たり前だがモンスターも多く生活している。地下だと言うのに清涼な空気を感じるのは、道の端に青い水が常に流れて行くからだろうか。
職人はミノタウロスやハルピュイアが多いらしい。忙しそうに石工や大工道具、用途の分からない物をいじっている。
商人は豚が直立しているようなオークが多い。露店商のほとんどは彼らで、豚肉の串焼きを売っていたが、アレは良いのだろうかと2度見してしまった。
もっと往来の出店で人間の解体とかしているかと、戦々恐々としていたがそんな事もなく。忙しそうに解体されていたのは、シャリシャリの氷で保存されていた肉や魚たちだった。
街の歩き方は自動車と人の歩行関係に近いと言うと、分かりやすいだろうか。モンスターはデカい者も多く車のように道の中央を、俺たち人間は道の端を歩いているのが大半だ。
いくつかの階段を登ると、街の中心部らしき所についた。金で装飾された門の奥に、剣のような仏具と、一見首飾りのような物を持った仏像が鎮座していた。
「お不動様……?」
「然り。我らが秘宝の1つであり、法と平静の番人でもある。僧たちは、ここでは役人を兼ねる。きっといい仕事を斡旋してくれるだろう」
回りの参拝客や相談者は何か物を持ち寄っていた。布施には現金ではなく、何か物の方が良いようだ。
僧たちは親身に相談に乗ってくれて、この街のルールや流儀をちゃんと教えてくれた。
俺は道中で見つけた宝石の欠片を、1つ奉納した。サオは自身の髪を一房。グレムリンも自身の折れた爪と牙を奉納した。
モンスターと言う発言は禁句。ここでは種族名で呼ぶのが習わしだ。
明確な力関係はあるが、互いに尊重して過ごす事。困った事があれば、ここに来ること。
橋の向こう側の奥地はスラム街で、人間にとっては無法地帯。また、漁村や浜周辺の洞窟も危険で、決して1人では向かわない事などを警告してくれた。
「職を斡旋する前に、各々にお尋ねしましょう。人と、貴方がたが人以外と定義する知性体たち。どちらが神仏に近い生き物でしょうか?」
もっとも年齢が上であろう、長い白ひげのオーガ僧が俺たちに質問してきた。穏やかな顔つきだが、どこか迫力ある笑顔に俺は素直に答える事にした。
「そんな難しい事考えた事も無いけど、どっちも生きて死ぬ生き物だと思う。神様とやらに比べれば、大差無いだろ?」
「ふむ。そちらの……耳の長い方は?」
「かみさま……?」
サオは少し何かを思い出すように、頭を動かさず上を見た。何か神について、記憶に引っかかる事でもあるんだろうか?
「うーん……サオは、マナトがだいじ。それだけ」
「それだけですか?」
「うん。それだけ」
それだけ言って、サオが俺にすり寄って来た。腕に頭を預けて手を握っている。ストレートに人前だと恥ずかしいが、少しノドを鳴らして手を握り返した。
「そちらはどうかな。小さな翼くん」
「ぎゃう!」
グレムリンは俺の頭に飛び乗ってきた。最近飛べるようになってから、そうされる事が多い。何度かオーガ僧は頷いてくれた。
「お主たちならどこでもやって行けそうじゃが、ラシガケサはどう思う?」
「家で面倒見ても良いが、職人として仕込むとなれば、都合がな……」
「うむ。では……ヤムルの酒場が人手を欲しがっていました。部屋の空きもあったはず。あそこなら飯も出る。もっとカネが欲しければ、夜も働くと良いでしょう」
「あそこか。まあ悪くはない。酒の仕込みに興味があれば、家に来い。昼間なら歓迎しよう」
キキロガは、通りがけに大樽が山ほど積まれていた方角を指さしてくれた。彼はあの酒造地区の代表者だった。
「わかった。よろしく頼むよ」
酒場の主でそのまま店名でもあるヤムルのおっちゃんは、寡黙で背が低いドワーフみたいな人だった。彼の店で、俺たちは住み込みで昼間働く事になった。