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第87話 ミノタウロスの儀礼祭

 ミノタウロスにはオスしか居ないらしいと、人間の歴史では語られている。彼らは古来より長命で、人間の女性をさらって、子を産ませて繁栄してきた種族だという。


 アーリアが知る話では、その昔。彼らミノタウロス族の王子が小さな女神と婚姻し、そこからアプローチの方法を変えて繁栄したと、人の歴史に残らない口伝を耳にしている。


 それはもう。攫うと言うよりは、ありとあらゆる手段で女性を口説き落として、スパダリの限りを尽くして、時に強引に、大胆に、涙ぐましい努力を惜しまず、数年に一度の発情期に奮起する種族。と言う側面がアーリアの知る彼ら、だったのだが……。


「もぬけの、殻……?」


 アーリアは撮影しつつ進んだが、何も居ない。生活のあとは残されていて、なんなら人間の女性物の衣類や生活雑貨だって、箱に丁寧にしまわれていて、新品ピカピカの物がある。


 だと言うのに何も居ない。何度も階段を下りても、すぐ見破られる簡素な獣避けの罠や、体毛やヒヅメの足跡が残っているだけ。生け簀の魚たちだけが、呑気に口を開け閉めしていた。


「メアリー・セレスト号ってわけじゃ、無さそうではあるけど……?」


 テーブルに湯気の立つ料理の入った皿が並べられていたり、厨房で料理の支度を整えて、放置したような痕跡はない。


 鍵付きの個室も調べたが、寝袋や背負い袋もある。慌てて旅支度をして出ていった事も無さそうである。


 あまり所有欲は強くないモンスターだと思っていたが、それでも文化的な生活をしているのか、サンダルに近い履物や、ゆったりとしたドレープのある服をよく見かける。少し用途が分からないが、近代的な魔法による、家具の代用品も見かけた。


 戦闘の痕跡は1つもない。何か強力なモンスターに襲撃されたわけでも無いようだとアーリアは推測して、鍵を元通りかけ直した。


 念の為古来の伝承の通り、迷宮で迷っているかと思い、自身が書き上げた地図を何度も確認したが、異常は無い。明らかに異常が無いことが、彼らが居ないことのみが、異常である。


「ん……?」


 物音が聞こえる。地下階段だ。音の反響から、建物の外のように聞こえる。牛のような鳴き声と、女性の歌声が聞こえてくる。


 どしっ、どしっ、どしっ、どし、と足踏みでもしているような音。アーリアは階段から静かに降りたあと、壁から顔だけを出して、遠くを観察した。


 大きな裂け目が遠くに見える。近くには石畳の道と、石柱だけが建てられた神殿の中央で、女性のような身体を持つミノタウロスが、動物の頭骨を両手に掲げて足踏みをしている。


 神殿の周囲には人間の女性と、男性のミノタウロスが同じように足踏みをして踊っている。どうやら祈祷の祭りか何かの時期に、偶然来てしまったらしいとアーリアは予測した。


「(流石に邪魔しちゃ悪いから、終わるまで待つかな。それにしても……)」


 アーリアは女性のミノタウロスは初めて見た。人間の男性は居ないようだが、全員楽しげな表情で踊っていた。



◇◇◇



 祈祷祭らしき儀式が終わり、息を弾ませたミノタウロスたちが歩いてきた。アーリアは堂々と正面から彼らに手を振って挨拶した。


「サオ様!! 久しく。いつこちらに……髪を、切られたので?」


 流暢な日本語で黒髪の若い女性が1人、進み出て話しかけてくれた。儀式用の衣装だろうか。日本人のようだが、服装はどことなく古風なギリシャ人のように見える。


 アーリアは明らかにモンスターと共生している日本人がいることに少し驚きつつも、彼女に聞き返した。


「サオ……? アーリアはアーリアって名前だけど……?」


「えっと、サオ様の御親戚の方でしょうか……?」


「あー……そうかも?」


 アーリアの実年齢は2000歳以上である。当然親族が血を分けた者も多く。中には自分そっくりな親族が居る可能性は捨てきれない。知らない間に姉妹が増えている事も、今までまったく無かった訳では無い。故に、どうしても曖昧な返事になってしまった。


「ええと、わたくし副料理長の森沢愛衣もりさわあいと申します。あ。よく見れば瞳の色がぜんぜん別でしたね。大変失礼を……」


 白と黒の毛皮の、いかにもホルスタインとでも言うような毛皮のミノタウロスが、のっしのっしとやってきた。


 他の黒い毛皮や茶色い毛皮のミノタウロスも居るが、彼らは例外なく、ちょんまげのような変わった髪型をしていた。汗だくだがどこか穏やかな顔つきで会釈してくれた。


「しきたりでツノ持つ者は降臨祭中、異性と話すのがご禁制ですので、ご容赦を。サオ様でしたら以前、真人様と街の方に向かわれましたが……?」


「真人……? それってこの人?」


 アーリアが差し出した写真に彼女は頷いた。詳しく話を聞くとアーリアの予想と違い、ゴブリン一匹とオーガ。小さなグレムリンとアーリアそっくりの女性が同行して、街の方に向かったと彼女は証言してくれた。


「(いくらなんでもアーリアと同じ容姿なら、地上だと噂とかになるはずだし、みんな確認するはず。どこかの国やダンジョンから、偶然転移でもしてきたのかな……?)」


「今は久しく生まれなかった我らが王女が、成人の日を迎え、目出度く女王として即位したため、御太母神様に歌と祭りを奉納していた所です」


「そうよ。ずいぶん会わなかった顔だわ……」


 ザッとその場にいた王女を含め、ミノタウロスや女性たちが一斉に膝をついてひざまづいた。アーリアが振り返ると、すぐそばに可憐としか言えない少女が薄布をまとい、きらめく後光を背負ってその場に降臨していた。


「エウ」


「ストップ」


 ピンと伸びた真っ白な指先が、アーリアの唇に触れて、意図を汲み取って、彼女はそれ以上口を動かさなかった。


「いくら八百万の土地でも、神無月でも無いのに名前を呼ばれたら、せっかくのお忍びがバレちゃうじゃない。女神様……ってあなたに呼ばせるのもどうかと思うけど、悪いけどそう呼んで。マハー・ルーク」


「わかった。そのお名前。パパとママにはよく、向こうで呼ばれてるんだけどね、女神さん」


 アーリアは思わぬ知り合いとの再会に喜んだ。しかし、話しかけるどころか存在の密度が別次元すぎて、顔を上げる事すらできないミノタウロスと女性たちは、戦々恐々と彼女たちの会話が終わる時を待つしか無かった。

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