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第83話 バジリスクの鎧

 翌日の朝。原は枝が揺れる音で1人で目を覚ました。頭は少し痛いが、どこかスッキリとした気分だった。


「おはよ。お肉良い感じに冷えてたよ」


「おはよう、……ございます。アーリア先生。昨日はとんだ粗相を……」


「良いよ。と言うか謝らなきゃならないのはアーリアの方だし、昨日の朗読と今日の朝食で許してね」


 アーリアは無駄なく朝食の支度を進めた。ついでに引きあげた肉に塩を盛り込む事も忘れず。干し肉を製作した。


「あ、そうだ。キキロガさんの事も話して置かないと……」


「キキロガさん?」


「このツリーハウスの所持者……たぶんだけどね。オーガのキキロガさんだよ。たぶんもうお肉が硬くなってる中年男性は、よほどお腹が空いてないと食べないと思うけどね」


「え、えぇ……人を、食べちゃうんですか?」


「モンスターだからね。勝手に住処を使ったのは怒ると思うから、そこは真剣に謝罪して、彼の言う通りに従ってね」


「えっと、従わなかったら……?」


「まあその、怒るだろうね……」


 少し重苦しい沈黙が場を支配した。その間にアーリアは一品作り上げて、ついでに樹の実のアクを取り始めた。


「帰りたい? 地上に。故郷に……」


「少しだけ。でも、辛い事も多かったので……」


「そう……」


 ぐつぐつぐつぐつと鍋は煮える。アーリアは踏み込むべきかとも思ったが、概要は聞いていたし、原が何も言わないのでそっとしておく事にした。


「あのね。故郷は思い出じゃなくて、心そのもの

だと、アーリアは思うの」


「心、そのもの……」


「うん。だから、あなたはここで過ごすなら、心をもう一度作っていかなきゃならないの。生まれ変わるみたいに」


「そういう、ものでしょうか?」


「やー……アーリアは故郷に帰れないって思った時は少ないから、なんとなく想像だけだよ。でも帰りたくなったら、浜から連絡すれば良いよ。きっと誰か助けてくれるから」


「はい……」


 アーリアと連絡先を交換しながら原は悩んでいた。昨日行った凶行とも言える恐慌な衝動。彼は、自分の中にあれほどまでに凶暴な一面があると知らなかった。


 何より、自身がアルミラッジのように、ああなる番が回ってくる可能性は高い。その上オーガの所有物に手を出してしまった。恐ろしい。怖いものは怖い。死が近いとは言え、帰るべきかもしれない。待っている人など居ないが、それでも彼は葛藤していた。



◇◇◇



 それは、時間にして夕方にさしかかる頃合いだった。アーリアは昼寝から起きて、そろそろ対岸につかないか観察している時だった。


 原が自身を呼ぶ声がする。ツリーハウスの方角からだ。アーリアは樹木を伝いつつ彼の元に急いだ。


「どうしたの? 原さん?」


「そ、それが、妙な物が……?」


「妙な物……?」


 原が指さす方向。ツリーハウスから200mほど。湖の水が近い場所に、首の骨が限界以上に反り上がっていて、確実に骨が折れている角度の鹿が立っていた。


「アレ……なんでしょう……?」


「猿たちが遊んだ? でも……?」


 わずかに、ほんのわずかに鹿の口からは、ヨダレが垂れている。目に生気も無い。


 悪寒。


 一瞬でアーリアは「射撃」してきた方向を、ほぼ無意識に探り当てた。彼女の聴覚は人間はおろか、比較的耳が大型な犬ですら、足元に及ばない。


 比するのはキツネであり、立体的な聴力で言えば、雪の下でかすかに動くネズミの音も逃さない。


 そんな彼女が、完全完璧な不意打ちを受けた。肩鎧に、極小さな針のような牙が刺さっている。


「嘘でしょ………」


 大きい。ヘビのような10mの身体と外骨格。ニワトリのようなトサカ。魚類のような目。枝の上で身体を支えるのは、中央に生えた珊瑚のような8本指。


 モンスター。それも群れる必要の無い強者。


 アーリアは即座に枝の裏に隠れた。原をかばう余裕もなく、さっきまで彼女がいた場所に、いつの間にか牙が、もう1本突き刺さっている。


「わっわっわわっ、わわぁあああ!!?」


 原は逃げ出した。奇妙なヘビの攻撃は、完全にノーモーション。ノーリアクションで発射された。


 アーリアは信じられなかった。最初の牙でケガをしたかもしれないとも考える余裕も無い。まばたきもせず、全神経を極限まで張り巡らせて動きを探ったにもかかわらず。牙の軌道ですら見えなかった。


 魔法以上の未体験。異質と言って良い殺しの手段。殺気。戦慄にドバドバと汗がにじみ、心臓が早鐘を打つ。


 ゆらりと、長い首がくねる。顔の向きは、原の逃げ出した方角。


「………このっ!!!」


 距離はそう遠くない。アーリアは即座に射撃されないルートで近づいて、蹴りを当てた。


「「ッッ!!!?」」


 驚いたのは双方だった。アーリアの一撃は、確実にモンスターの胴体に風穴を開ける一撃だった。しかし、モンスターが纏っている鎧に足が触れた瞬間。ウロコが自ら弾け飛び、蹴りの威力を分散してしまった。


「くっ……!」


「クリュオォオォオォオ……!!」


 モンスターの方にも誤算があった。威力の分散に成功したものの、今の一撃で片方の肺と心臓がつぶれた。本来なら逃げ出した原を囮に、アーリアを狙って反撃するつもりだった。口からはわずかに血が滴っている。


 双方、次の判断は、恐ろしく迅速だった。


 アーリアは猿のようにジグザグに飛び移りながら、ツリーハウスへと飛び出し。モンスターは水辺へと、脇芽も振らず駆け出していた。


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