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第80話 文通

 中年男性は薄汚れたスーツに近い服装で、真剣な表情で火を起こそうとしていた。ずいぶんと立派な家屋と言って良い、ツリーハウスの枝先で、薄めの石を敷いて行っている。


 昨日今日建てた物ではきっと無いのだろう。キキロガや、他にアスピドケロンに乗って向こう岸まで行く者たちが、作ったのかも知れない。


 彼は1本の太い枝の上に座り、弓に近い形状の火起こし道具をこすっている。アーリアの見立てでは、あと一歩のところで火がつかない。選んだ木が生木に近く、乾燥していないせいだろう。


「おっ……?」


 偶然風がそよいで、小さな火がついた。中年男性はそこで力付きたのか、うずくまってしまっている。


 しばらく様子を見たが、火が消えてしまいそうだったので、思わずアーリアは息を吹きかけ、素早くワラを追加して火を大きくした。


「う……ゴホッ……や、やった! 火だ!!」


 アーリアと男の目が合う。彼女はニコッと微笑みかけると、トンッと飛んでその場から居なくなった。後に残されたのは、キツネにつままれたような顔の男性1人だけだった。



◇◇◇



 アーリアはアスピドケロンをくまなく探索した。等間隔に生えている巨木は、どうやら彼の枝に相当するようで、水中の大きな触手はクラゲに近い構造で、やはり彼の一部であるようだ。


 おおよそ背中と思われる部位の中央にツリーハウスがあり、他は原生林に近い枝が生い茂って地面は見えない。


 頭部と思われる場所も、触手が髪の毛のように濃すぎて、一体どんな形状なのか判別はつかない。そして、アーリアは首筋に相当する部分に、かなり見分け辛い洞窟を発見した。


「ふーん……高めで、水もあるんだ」


 少なくとも嫌な匂いはせず、少しだけ枝が生い茂っている。風はほぼ感じず、呼吸するための穴に近いのかも知れないとアーリアは考察した。


 外からも見えづらく、中に動物の痕跡も無い。風も無いので覆いも必要ない。そこそこ暖かく、地面に近い腐葉土もある。アーリアはここを拠点と決めて、アスピドケロンが対岸に着くまで、過ごす事を決めた。


 初歩的な野営の準備を終えると、外に少し出てみた。遠くから声が聞こえる。


「わ、私は原空夫と申します!! 女神様、出てきていただけませんか〜!!」


 思ってもいない言葉にアーリアはズッコケた。言うに事欠……いているのか知らないが女神って。接触しても良いが、少なくとも言動が少し怪しい人物でもある。


 アーリアは少し考えて、観察している間に原が諦めてツリーハウスに戻ったので、今日はそれで良いかと判断を後回しにした。



◇◇◇



 8時間ほどが経った。時刻は深夜に近いが、湖の光量のおかげで周辺は昼間のように明るい。アーリアは食べられそうな樹の実や魚。手土産になりそうな小さな物を採取して過ごした。


 魚は釣り竿を持っていなかったので、枝とより合わせた葉の縄で自作した。久々の腕の見せどころだったが、ルアーも含めてなかなか良い出来栄えの釣り竿が完成した。


 まったくスレていなかったので、簡単に釣り上げる事ができた。コイのようなフナのような魚だった。


 十分な量の魚を釣り上げると、アーリアはツリーハウスを安全に監視できる場所に戻って来た。


 耳を済ませて見ると、少し引っかかるような寝息が聞こえる。彼女は今のうちに、バレない程度に原の荷物を少し調査するつもりだった。


 アーリアはダンジョン内で単独で行動し、顔見知りでない人物と接触する場合。まず先に相手を可能な限り観察する事が多い。


 一馬の時のように緊急性が求められる場合は別だが、密猟者や犯罪者。感染病患者など、出会うだけでリスクを伴う相手である場合も多いのである。


 観察する鉄則を決して崩さない事で、アーリア

は過酷なダンジョンで、今まで生き延びる事ができていた。


「ふむ……」


 ゴム手袋をつけて、荷物の中身やスマホの中を少しチェックした。パスワードが分からなかったので、スマホの中身は詳しく調べる事はできなかった。


 荷物に不審な点は無い。強いて言えば飲み薬や遺書。ダンジョンに入るための書類などが入っている。多少燃料や食料なども消費したようだ。少なくとも手で抱える以上に、密猟できる道具は見当たらず、持ち去った痕跡も見当たらない。


 ふと、目につく物は一冊の本。多くの人々が幼い頃、寝物語に読み聞かせて貰える本。雪国に住む少年と、彼のために旅をした、少女の物語。


「ゲルダ……」


 アーリアは呟いたあとハッとして、手早く荒らした痕跡を消すと、眠りこける原を調べ始めた。


「(やっぱり……)」


 手を添えて軽く調べると、彼の身体が明らかに不調である事がわかった。しこりや臓器の位置がおかしい。移植手術でもしたのかもしれない。


 アーリアは目を覚まさない内に、ゴム手袋越しに原の腹部を中心に触れた。コポッと血の塊が、原の口元から落ちて、ツリーハウスの床にしたたる。


「(しこりと臓器は整理したけど……やらないよりマシ、程度かな……)」


 原の寝顔や呼吸音はいくらか安らかに変化していた。病名までは分からず感染病の可能性もあるので、アーリアは処理を行い、少しのお裾分けと手紙を置いて、その場から洞窟へ戻って行った。

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