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第79話 アスピドケロン

 岸辺を見ない限り輝く湖の水平線が、どこまでも続いている。水質はどこまでも透明であり、同時にほのかに光って、ライトなどの必要は無い。ここから先は、順調に予定通り向こう岸に行けるか運次第となる。


 アーリアは最長で1週間程は待つつもりだったが、2日と待たずそれは水平線の彼方に現れた。


「居た」


 一見、流木の塊か、小さな島に見えなくもない。アーリアは念の為、双眼鏡で確認した。ここから先は彼女でも未踏の地であり、あの流木のような物が、この湖を渡る唯一の手段となる。


 実を言えば、アーリアはここ50年ほど、かなり長期に渡って散発的に、この岸辺周辺を調査していた。対岸へ向かう方法はあっても、できれば自身の足で向こう岸へと行けるルートを、確立したかったからである。


 しかし、洞窟や水中まで探索を行ったが、残念ながら今日まで、徒歩や水中を泳いでのルートを確立できずにいた。


 つまり、対岸に行くには必ずこの大海原のような湖を横断するしか無い。だが、それにも大きな問題があった。


「やっぱり、鼻が良いよね。キミたち」


 この湖は透明度が異様に高く、だからこそユラッとした姿が、砂浜から何匹もよく見えた。


 並のサメを遥かに越える巨体。長い首と長いヒレ。そして、何一つ映さない。殺し屋としか思えない魚の眼。シーサーペント。水中の上位モンスターが、今か今かと餌を乞うコイのように、何匹も水中で待ち構えている。


「感電させても良いけど、キリ無いもんねぇ……」


 アーリアはとりあえず放置して、自然物だけで作られた旗を1つ配置した。時間経過で劣化する物だが、自然環境に配慮する目印としては十分だった。


「じゃ、行こうか」


 手首足首をよく回し、よく伸びをしてバッグのベルトを再度確認。満足げに準備を整えて、彼女は水上の木の塊に向かって、クラウチングスタートの体勢で身を沈めた。


「位置について、よーい。ドンッ!!」


 可愛らしい声と裏腹に、一気に砂浜を越え、シーサーペントの脇目を一瞬で越えて、水上をひた走る。


 理屈の上では極々シンプルである。右足が沈む前に左足をあげて、左足が沈む前に、右足をあげる。精霊の助けも考慮したが、いたずらをされては敵わない。体格の軽さや、水分操作の理解度。シンプルな歩法だけで、アーリアは水平線の彼方まで、飛ぶように駆け抜けていく。


「ま、そりゃついて来るよね……」


 約時速55kmを誇るシャチには大きく劣るが、シーサーペントとて水中では早い方である。全力で追跡しているが、アーリアとの差はじりじりとほんのわずかに縮まる程度だった。


「じゃあ、お土産になってもらおうかな!!」


 木の塊はもう近い。横から攻めこめるほど速度の差は無いと判断し、シーサーペントたちは背後からの一撃必殺を狙った。


 クジラですら一撃で致命傷を負わせる。長い首を生かした破城槌のような鼻先が、海水をかき分けてアーリアへと迫る。


「よっ、ほいっと!」


 乱杭歯のような牙をろくに後方も見ず手にとって、そのままくるりと横に反転。アゴによる数トンの咬合力が発揮される前に、ギィイイインッ……と音色を響かせて、ぶ厚い首を蹴り飛ばした。


「ほっ!! はっ!!」


 空中で荷物ごとくるくるくるくる回って、木の塊の上にふわりと着地。新体操なら間違いなく満点である。首を吹き飛ばされたシーサーペントは、バキバキバキとを広げた木の塊に、川の流木のように飲み込まれていった。


「初めて来たけど、やっぱり木ばっかりだね。君は……」


 モンスター名。アスピドケロン。


 竜とも魚とも、亀ともクジラとも言われ、そして巨大な巨木の塊とも言われている。生存していると確認された中で、世界最大級のモンスターである。


 小島と見まがう大きさであり、その全長は500mを必ず下らない。全体に生い茂った木により遥か上空から見下ろせば、巨大極まりない毛虫のように見えなくもない。


 澄んだ水の下をもっとよく見れば、クラゲに似た触手を水中に生やし、前ヒレや尾ヒレのように微細に動かして水中を回遊している。


 アーリアも「彼」に乗り込んだのは初体験で、原始の樹海に限りなく近い、道のような樹木の中を進んでいた。


「(想像以上に生い茂ってるけど、しばらく住むのに苦じゃなさそうかな……)」


 数は少ないが、猿や小さな鹿やリス。アルミラッジやキツネなども見かけた。見たことも無い小型モンスターもいる。


「ん……?」


 キコキコと火付けに木を擦るような物音がする。火を起こせる程の知性体が居るのかもしれない。ハルピュイア、またはそれに類するモンスターだろうか。


 慎重に音を立てず、アスレチックのようにアーリアは木々の間を進んでいく。見下ろす先に居たのは、血相が悪い顔つきの中年男性だった。

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