見渡す限り、眼下に真っ白い景色が広がっている。もくもくもくもくしている。雲かな。周りには低い柵ととがった塔、下へ進む階段だけがあった。
「ここ、どこ……?」
「塔のテッペンだぜ。少年」
僕が振り返ると、へッへッへと可愛らしく息を弾ませる。どこにでも居そうな白と茶の雑種犬だけが、おすわりしていた。
「じゃ、これな」
「うぉ……え、コボルトなの?」
すいっ、と立ち上がって、犬は僕に何かを手渡した。犬が喋っている事に驚きつつ、僕は手渡された何かを見た。多面的な角が目立つ、星のマークや数字に似た模様が書き込まれている、石のように見える。
「振ってみな」
「え?」
「いいから。階層を決めるぜ」
階層。どこかで聞き馴染んだ言葉に、つい、僕は何も考えず自然に石を放り投げた。石は、66の数字を見出した。
〝ここの数値、66固定なんだよね〟
〝そうなんですか?〟
〝そうなの。まあ進めてみて。禀さん〟
「66……また、因果な数字だぜ」
「ここ、どこなのさ?」
「最初に言った通りだ。面倒は嫌いなんで、簡素に説明するぞ。よく聞きくんだぜ?」
ここは逆しまの塔。強さを求める者が宝箱の罠から転移し、最上階から下に降りて脱出を目指す塔だと、犬さんは説明してくれた。
「君は……?」
「オイラは犬でいい。犬で。んで、なんで強さなんて求めてきたよ?」
「それは、ええっと……、僕。欠けた記憶。家族との記憶を取り戻したいんだ。だから、ダンジョンに挑んで、記憶を蘇らせる物を見つけたかったんだけど……」
「……なるほどね、そりゃわかりやすい。なら理由は十分だ」
「え、……君は一体、なんなのさ?」
「秘密。守秘義務ってやつだ。話せない事も多いが、この塔に関係する案内犬とでも思ってくれ。そろそろ階段に移動しな。押し出されるぞ」
僕が足元に違和感を感じて視線を落とすと、ゆっくりとだが中央の床が、斜めにせり上がってきている。このままでは屋上から落とされかねない。慌てて犬さんと共に階段まで避難した。
誰かに呼びかけられたように。犬さんは立て耳をピクリと動かした。
「おぉっとそうだった、お前さん、名前は?」
〝今回は、デフォルトネームのダイアン・ナイフマンで進めるよ〜。良いかな、みんな〜? 〟
〝大丈夫でーす!! 〟
〝変な名前にしちまうと、遊べちまうからなw〟
〝ソシャゲあるあるだなwww〟
「ダイアン。ダイアン・ナイフマン。15歳だよ」
「OK少年。逆しまの塔にようこそだ。ドキワクの冒険にヒヤウィーゴーで、山ほど金貨を稼いでくれ!!」
「金貨? 見たことないけど、金色のコイン?」
「概ねそんなところだ。とりあえず階段を降りきる前に、その光ってる方のダイスを振ってくれ」
「これ……?」
僕がポケットにしまっていた2つの石。数字と模様を刻まれた、光るダイスとか言うのを1つ、彼に言われるまま放り投げた。
星のマーク1つと1〜9までの数字が刻まれたそれは、9の数値を出した。
〝お、凄いね。最高値だ〟
〝数字が大きい方が良いのかしら? アーリアさん? 〟
〝そうだよ。ほんのちょっとだけ、経験値の元になるからね。アーリアの場合は……1だったの〟
〝Oh……〟
〝ドンマイ先生〟
〝安定の不運www〟
「お前さんは素直で良いね」
「そうかな。うん。まあよく言われるよ」
僕の装備はボロい。手仕事道具も手製の自作だ。犬さんはそんな僕を見て、粗めに呼吸していた口を閉じて、何かを考えたあと、声をかけてくれた。
「じゃあ、たくさん何でも見つかると良いな!!」
「……うん。それで、これ、何?」
「運試しみたいなもんさ。よし、ついたぞ」
「おぉー……」
階段を降りた先には、頑丈そうな橋とそこから続く、神殿のような建物がそびえ立っていた。
橋には中央に、小規模な噴水付きの庭園があるように見える。振り返りと階段は消えていて、渡って来てもいない橋がずっと対岸まで続いていた。
「あれ? 塔の中じゃ……?」
「塔の階段を降りるといつもこうなんだ、今俺たちは時代を飛び越えたわけだな」
「え、時代……?」
「ああ。あの神殿の様式から見て、紀元前300くらい、いわゆるヘレニズムの時代だな。……歌が聞こえるな?」
キゲンゼン? ヘレニズムってなんだろ。武器かなにかだろうか? でも、神殿がすっごく古い形だけど、新築みたいだってのは分かる。信じられないけど、とんでもなく過去みたいだ。
歌に誘われるように、僕と彼は薄い霧のような空気をかき分けて、庭園に踏み込んだ。
「いい曲だな」
「うん。水があるし補給しよっと」
「あ、いや……良いか、早速だしな」
僕が水袋を噴水に浸そうとすると、水面に浮かぶ大きめな瞳と目が合った。くるりと噴水の中で何かが身をひねって、ザバァと噴水から起き上がったのは、白い羽持つあられもない姿の女の子だった。
「きゃあああああああッ!!?」
「うわぁああああああッ!!?」
「ヴァオオオオオオオッッ!!」
「なに!?」
僕と彼女は思いもよらない遭遇に、犬さんは突然の大きな咆哮にそれぞれ驚いていた。橋の反対側。ジャラジャラと鎖に繋がれた棺を両足に引きずる。黒いモンスターが突如現れた。
「ぎゃ、あぁああああああ!?」
「やめ、止めてくれええ!!」
庭園を挟んで橋の向こう側から逃げてくる人々を、容赦なく剣と短銃で殺害して棺に収めている。強い。反撃しようとした人も、片手で簡単に倒されて棺に詰められていた。
「チッ……誰か、13の出目を出しやがったな。とんだラッキースケベだ」
「き、君、伏せて!」
「う、うん!!」
「いい判断だ。今は隠れろ!」
息をひそめて、身を噴水の影に伏せて様子を伺うと、モンスターだけが生きてその場を徘徊していた。
「デストルドー。ある程度の数、塔に関係するやつが犯罪行為を行って、そのダイスで13の出目を出すと現れるモンスターだ。滅多に見ないんだがな」
「……戦うのは、無理?」
「最上位モンスターだ。スキルも当然盛り沢山。やめとけ、少年」
〝あれが、デストルドー……〟
〝デザインはちょっとカッコよくなってるけど、概ね一目で分かるくらい同じだね〟
〝流石に、本物に遭遇したことは無いわね〟
〝現実でもあんなのがいんのか……〟
〝ゲームでもレイドボス。ここの遭遇は確定イベントってやつだな〟
デストルドーは一通り庭園まで見回ると、鎖を引きちぎり、棺を橋から落として、かき消えるように居なくなった。
「ぶはっ……あんなの初めて見たわよ。……あ」
女の子は恥ずかしそうに、もっと身を屈めて白い翼で身体を隠して伏せてしまった。見ないほうが良いだろう。僕は視界に彼女を入れないようにそっぽを向いた。
「……えっと、初対面で悪いんだけど、反対側の服、取ってきて下さらない?」
「う、うんわかった。ごめんね」
僕は顔を赤らめて内心でも謝りながら、警戒しつつ服を取りに歩いた。犬さんが濡れた手で彼女に触られて少し唸っていた。