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第70話 無冥霧と拝む祈り

 キキロガが注がれた酒を飲み干し、同時に青空がダンジョンに戻っていく。


 広場である。さらに岩をそのまま削り出し、重ねたような門の前に、一行は立っていた。


「では岩を退けるぞ。初めての者は気をしっかりと持つと良い」


 キキロガがさほど力を込めず、片腕で岩戸を除けていく。すると、パタリと沙耶が倒れかけて、アーリアが地面にぶつかる前に彼女を抱えた。


「え、沙耶さん?」


「やっぱり駄目だったね。少し休ませよっか」


 岩の隙間からは、光を一切通さない。容器から漏れ出たすみのような、異様に不気味な漆黒の闇が広がっている。


 かすかに漏れ出る霧ですら、その部分だけを黒で漂白とでも口にした所だろうか。そんな異常な現象が、目に飛び込んできている。


「無冥霧。文字通り問答無用で、死を一時的に付与する霧だよ」


〝なんだ、そりゃ……? 〟

〝ガス? いや、そんな……〟


〝DEATH……Grim Reaper……? 〟

〝光が、無い……〟


「え、中に入ると、死ぬの……アーリア?」


「ううん。身体だけが死んでる状態になるだけ。聴覚とか、触覚とか、血流とか、体温とかかな。意識だけ残って、一切の生体活動を自分で感じれなくなるんだよ」


〝ひえっ……〟

〝これに触らせる気だったのwww〟


〝怖っ、いやなんか、恐怖すら、何かが、場違いな気がするわ〟

〝Oh……〟


 アーリアは手を伸ばして、黒い霧に触れた。別段何が変化することもなく、漆黒色に塗りつぶされているだけに見える。


「え、触れるん、ですか?」


「死に対して心の整理がちゃんとついてて、トラウマが無ければ平気なの。でもあんまりオススメしないよ。この霧やその向こうについては、分かって無いことも多いから……」


「余たち鬼のツノですら、方角を探るのが手一杯。近道には一応使えるが、余ですら傷を負う何かが、中に確実に住んでおる。確か、惣領娘殿は一度、下からの帰還に使ったのだったか?」


「うん。でも出てきたら明らかに数ヶ月経ってたし。たぶん、時間の感覚すらおかしくなってるんだよ」


〝ひえっ……〟

〝なんなんだ、ここは……? 〟


〝前人未到すぎる〟

〝人が入って良い領域じゃねえな。確実に〟


〝Jesus……〟


「だからさ、2人とも」


「え、なんだい、アーリア?」


 アーリアが心底嬉しそうに、黒い霧から手を離して、口元を隠した。怪訝そうな2人の顔を覗いたまま、彼女は堪えきれないように吹き出してしまった。


「ふふっ……そんなしないでよ。アーリアだって、いっつもしてるんだよ?」


 言われて一馬と禀は自身の口元に触れた。吊り上がっている。心臓は怖いとバクバク鳴って、心ごとガンガン怖いと言っているのに、黒い霧の向こう側から、目が、離せない。


〝嘘だろ、目がキラキラしてんじゃんwwww〟

〝わははははwwwマジでwwww〟


〝気でも触れてんのかwwww〟


〝まあ、気持ちはわかるわ、どう考えたってここ全部制覇できれば、霊長類どころか地球上でトップだもんwww〟


〝問答無用でトップだわな、そりゃwww〟

〝Great Great All three.GRIZZLYMAN……! 〟


「あはは、おっかない……!」

「違いないね、ふふっ」


「ま、今度来た時にでも触るがよかろう。良い物も見れた。酒でも持って帰るが良い」


「良いの?」


「代わりに祝言には呼べよ。アーリア殿」


 キキロガの持ち上げるような声にポカンとしたあと、点火したようにアーリアと禀は真っ赤になって、しばらく何も言えなくなってしまった。



◇◇◇



 丸一日かけて、アーリアたちは無事地上に帰還した。明日は学校もあるので、一馬たちは早々に帰宅の準備を進めていた。


「あ、アーリア、さん……」


「なぁに? 沙耶さん、あらたまって……?」


 一馬たちが帰り支度を済ませて別れた後、沙耶だけがきびすを返して戻って来た。


 何かかしこまった様子で指先をいじっている。アーリアは怪訝な表情を浮かべたが、なんとなく理由は察しがついた。


「その。寮に帰る前に、一緒に来て欲しい所があるの……いい?」


「デートのお誘い?」


「デッ!!?」


 ピィッとでもいうように、背中に氷でも突っ込まれたような反応だった。おかしくってアーリアは少し笑ってしまった。


「ごめん。冗談だよ。……お墓参り?」


「あ、うん。そうです……」


「じゃあ、行こっか。着替えて数珠取ってくるよ」


 沙耶は葬儀も含めて、爛子をまだ送り出す事が出来ないでいた。どんな顔をして、会いに行けば良いか、どうしても心の整理がつかなかったのだ。


 だが今回の探索を通じて、アーリアの人となりを感じて、この人なら何か解決できるきっかけになるかと思い、呼びかけていた。


 都内のバスを乗り継いで、夕方に差し掛かった街を眺めながら向かう。乗客は多くは無い。

 沙耶はやはり口数少なく、外を見ている事が多い。アーリアは一計を案じることにした。


「好きな子とか、できた?」


「え、なに突然」


「一馬くんは絶対にあげないよって、お話?」


「え。そういう関係、なの……?」


「物色中だよ。禀さんと取り合いしてるけど、絶対どっちも譲らないだろうねぇ」


「なにそれ……」


 どこかニヒルに笑みを浮かべて、目線を合わせず頬杖をついて、学生服に身を包んだ乗客たちを眺める。何の気なしに、アーリアが切り出した。


「好きだったの。爛子さん?」


「ら、Likeの方よ!! た、たぶん。でも、憧れてた、の……」


 一筋。涙が落ちる。そっとアーリアは少しのしかかるように、沙耶に背を預けた。


「ちゃんと行けそう? お墓に」


「わかん、ない……」


「じゃ、見てよ」


 アーリアは数珠を握った手を差し出した。別段変わった様子は、沙耶には見えない。


「戦後。結構多く無縁仏を送ったんだけどね。その時、お経読んでる最中に、数珠が解けちゃったの」


「…………数珠?」


「気づいたんだよ、その時。何かを握りしめてると、手を合わせて拝めないんだな、って……」


「手を……?」


 拝むには、当然手を合わせなければならない。

 何かを握りしめては、合掌は行えないのだ。


「良いんだよ、前後に何があったって。あそこは何もかも手放して、……死んじゃった人に、向き合うだけの場所なんだから、ね?」


「………………うん」


 沙耶は合わせた手を握り込んでみた。視線をそらし、様々な乗客をその目で見て、この中で一体何人が、何かを掴んで、手を握り込んでいないのだろうと考える。


 再び、ただ彼女の事を思い出し、冥福を祈る。

 きっと常には難しい。でも、心のどこかに漂う彼女に祈るような気持ちで、ただ生きたいと思い直せていた。

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