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第69話 鬼哭盃

 パンッ、パンッと、キキロガが手を打ち鳴らす。すると不思議な事に、ひび割れた床や、亀裂の入った空間は元に戻っていった。


「今のは……?」


「お主ら、迷宮術は始めてか?」


「いえ、先生のを少しだけ、でも、詳しくは無いです」


「そうか。ダンジョンを製作でき、ここより先は強者が繰り出す術の1つとでも覚えておけばよかろう。余の迷宮術は見ての通りさかずきよ。足元もそうだし、背中に背負っとるだろ?」


 キキロガの背には、小さな身体をすっぽり隠してしまうような、大きな盃が背負われていた。


〝先生の迷宮本と同じ感じか〟

〝そんな迷宮って、ポンポン作れるものなのか〟


「迷宮術「鬼哭盃」だね。相手も自身もフルコンディションになれる。決闘専用の迷宮だよ。特定の条件は必要だけど、簡易的な迷宮なら相応の強者は作り出す事が多いね」


「どおりで……」


 沙耶は違和感から傷を何度か触り、包帯を外してみたが、傷はきれいさっぱり無くなっていた。


「ふぅむ……」


 ききろがは禀の方を覗き込むように見て、細くなった爪の先で、器用にツノを何度も確かめるように、カリカリとかいた。


「うむ。わからん!! 余のツノでもわからんとは。ショーワの世に不思議があるものだのう!!」


「今、平成通り越して、令和だよ」


「また変わったのかッ!? しかも2回も!? 目が白黒するのぅー……」


「ところで、この人を探してるんだけど、知らない?」


 アーリアは岩動真人の写真を、スマホから呼び出して、キキロガに見えるように提示した。


「む……それの前では話せんな。どうせ人間の考える事だ。覗き見の道具なのでは?」


〝うおっ、バレた〟

〝すません。覗いてました〟


〝鬼に隠し事は通じないって、マジなんだな〟


〝犯人と知り合いか? 〟

〝犯人かなぁー……推定闇バだろ? 〟


「先ほどから、妙に落ち着きのない思念波をツノに多く感じとる。守る義理はあっても、話す義理はないな」


「ふぅん……?」


 アーリアはなんとなく岩動真人と彼が、そこそこ普通の友人程度に仲が良いのだと察した。警察からも特に岩動真人の自宅から、不審な物は出てきていない。


 断言はできないが、やはり予想通り巻き込まれた口が濃厚かと、アーリアは心のメモに書き加えた。


「まあ、答えたくないなら良いよ。勝手に探して調べるから」


「そういたせ。その方が双方良い。それで、この先に行くのか?」


「ううん。あくまで今日は、無冥霧を少し体験してもらおうかと思って」


「アレをか……」


 キキロガはツノをいじって元の姿に戻った。そのまま少し考え、どうするか決心した。


「よかろう。ただし、中に入るのは余の試練を見事合格できた者のみとしよう。でなければ危険すぎる。良いな?」


「良いね。少し稽古をつけてあげてよ」


 キキロガは1つ頷くと、背中に背負っていた大きな盃と腰の瓢箪を手に取り、なみなみと酒を注いだ。


〝うお。とっぷとぷ〟

〝え、なに、そんな量飲むの!? 〟


〝未成年の飲酒は駄目だぞ〟


「お酒くさ……」


「なに、さほど時を置かず、そちらも慣れよう。余が持つこの盃の酒。少しでもこぼせるようなら、無冥霧を体験する事を許そう。参れ」


「………………え、それだけ?」


「それだけだぞ。できるものならな」


 キキロガはピンと張った指一本の先。爪の先1つだけで、大きな盃を支えている。片腕はだらんと下げていて、構えもしていない。


 威圧感すらまったく感じない。そこにいるか一瞬不安になって、一馬や視聴者たちは、つい目をこすってしまった。



◇◇◇



 禀が杖を振り回し、2度目の魔法を盃目掛けて打ち出した。

 雪崩のような岩の猛襲。だが、キキロガはケロッとなにもせず。直撃しているはずの盃も、中の酒すら微動だにしなかった。


「どうした娘子。身の入らん術で、波風1つたっておらぬではないか」


「くっ……どうして!!」


「このッッ!!!」


 沙耶が岩の波をかき分けて、キキロガの完全な死角から、テーザーガンを撃ち込む。針は背中のど真ん中に向かったが、まったく刺さらず地面に落ちただけだった。


「連携は良し。だが殺意というより害意が足りん。玩具だの」


「オオオッッ!!!」


「ふむ……」


 キキロガが初めて動いた。耳の穴、眼球、太ももの急所を連続で狙った一馬の連撃を、片手の指先だけで受け止めた。


「うむ。殺意、害意、連携ともに悪くない。格上と見て感覚器官を真っ先に狙うのも悪くない。だが」


「うわっ……!」


 キキロガは空いている方の手で、一馬の腕を捕まえると、それなりの力で地面に叩き付けた。


「ぐぁっ……!!」


「狙いは良し。だが根本的な力量と覚悟が足りん。非力の1言よ」


「くそっ……!!」


〝うわー……〟

〝騙し絵でも攻撃してるみたいだ〟


〝Very Very STRONG……!!〟


〝全然、効いてねえ〟

〝直接当ててんのに、動かないのはどういう理屈なんだ……!? 〟


「爪一本で支えてる。本当にしてる事なんて、それだけだよ。あの盃、アーリアでも壊せないけどね」


〝固ったwww〟

〝何で出来てんだよキキロガさんも、盃も……〟


「どうした若人共。隠し球の1つや2つ、各々あるだろう。死力を尽くさねば真の力持つ者は、こゆるぎもせんぞ」


 一馬は弾む息を整えて2人を見た。禀と精霊ブタが魔法を撃ち込めるのは、後1回が限度。


 沙耶は少しためらいがちだが、チラッと腰の後ろに装備した、スタン・グレネードの1つに手を添えている。


 禀の魔法回数の都合上、もう後が無い。一馬は一か八か、黄金の爪を使う事に賭けた。


「は、ぁあああああああああッ!!!」


「ほう。…………それは、良いな」


 ミストチェンジと相対したときほどではないが、ナイフ程度の黄金の爪が形成された。鬼哭盃によるベストコンディションと、1月に及ぶアーリアとの訓練の賜物だった。


「いい加減に、こぼれろッ!!!」


「むっ!?」


 沙耶が悪態を付きながら、スタン・グレネードを投擲し、さらに耳の穴を正確に狙って、テーザーガンを射撃した。


 流石のキキロガも目をつむり、耳は会えてかばわなかった。彼は、己のツノだけで周囲の状況を把握し始めた。


「カズくん、合わせて!!」


「ああ!!」


 杖先に一点集し、禀と精霊ブタは砂塵を超圧縮した、一筋の竜巻を作り上げた。そのまま一馬は飛び込んで、竜巻に傷つきながらも背を押され、連携した一撃を放った。


「ほほう、面白い!!」


「まだ……ここだッ!!!」


 腕一本で防ぐキキロガに対して、黄金の爪を全力で解放。パイルバンカーのようにキキロガの腕に打ち出された。


 結果。キキロガの腕にわずかな焦げ目がつくだけで、残念ながら、盃から雫がこぼれる事は無かった。


〝あぁあ〜……〟

〝Oh……Jesus Christ…… 〟


〝マジ、かよ……〟

〝強い。理不尽なくらい、強え……〟


〝強すぎる。まさしく鬼だわwww〟


「ふむ。これで全てか?」


「もー煙も出ないわよぉ……。ガトリングガンでも使わせなさいよぉ……」


 沙耶は諦めて座り込み、禀に支えられた一馬も荒い息を繰り返して言葉も出ない。精霊ブタもひっくり返ってしまっていた。


「ギリギリ級打点、と言ったところか。教えを受け、見ることは許可しよう」


「ハハッ……やった」


「無理だと思ったけど、思ったより出来たね。偉いよ。……手本を見せようか」


 アーリアがトンッと踏み込む「手刀で手を濡らさず水を断つ」「紙と文字を蹴りで2つに切り分ける」ほどの隔絶した技量に、地球の地軸がほんのわずかにズレた。パチャッと盃に注がれた酒は波打ち、わずかな飛沫が床に落ちていた。

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