一馬は、アーリアと共に、空を落ちていく。
高層ビルの隙間を彼女に手を添えられて、飛ぶ。
雨粒のように、地面に落ちれば砕けるのが必定だと言うのに。
彼女の温もりと、風の音。わずかなウルミの音。
それだけで、恐怖は微塵も浮かばなかった。
「どう。カズマくん。嗅ぎ分けられそう?」
「匂いは捉えてる。……近くに居る!!」
「上々だね。……居た」
眼下にグレムリンが三匹。走る大型トラックの天井に張り付いて、獲物を吟味するように涎をまき散らしている。
明らかに人間の気配に酔っている証拠。
あのままでは、運転手が襲われ、大事故に繋がりかねない。
アーリアは一馬に目配せすると、ウルミをムチのように使って街頭に巻きつけ、一気に大型トラックに接近した。
「仕掛けるよ!!」
「グエェッッ!?」
空中で身をひねり、手を離して、それぞれ攻撃を開始する。
まったく予期してなかった奇襲に、一匹がアーリアの蹴りで、胴体に穴を開けられて吹き飛んだ。
「このぉっ!!」
一馬の爪で引き裂かれ、片翼をもがれたグレムリンは、道路から吹き飛んで店先の壁に激突し、血の花になった。
「ギギギッッ……バァアアア!!!」
グレムリンが興奮のまま、八つ当たり気味に大型トラックの運転席めがけて、炎を吹き出す。
「え!? うわぁあああ!?」
「アーリア!!」
ようやく気づいた運転手は、慌てて急ブレーキをかけて停車し、一目散にフロントガラスが溶け出す直前に逃げ出した。
幸い気づいて居たのか、後方車両は追突せず停車。アーリアたちは一馬の手足の爪をスパイク代わりに使い、大型トラックから投げ出される事は無かった。
「ギヒヒヒヒッ!!」
グレムリンが勝機を逃さず、空から回り込んで突っ込んで来る。
停車の衝撃に伏せたので、体制が悪い。鋭い爪が、アーリアの細い首筋を狙って迫る。
「それ!」
アーリアは一馬にしがみついていた手を離して、あえて停車の勢いを殺さず転がり、そのまま上下逆さまの踵落としを繰り出した。
「グエガッ!?」
盛大に空振った爪はアーリアの首に届かず。逆に足が突き刺さり、追撃の一撃でグレムリンは討伐された。
アーリアは急いで大型トラックが爆散しないように、そのまま杖を振って氷を作り出し、運転席を中心に鎮火した。
〝センセ。準備は終わった。音声を通信で送るから、頼む! 〟
真司からの通信に、アーリアは一馬に手を軽く振ると、深呼吸を一度して、話し始めた。
「了解。
「現在。複数のグレムリンが東京都内に潜伏し襲撃を確認中です。これをお聞きの探索者諸君。迅速な対応を求めます。予測場所は、シナガワ区近隣の海洋大学。シーフォートスクエア、ならびにそのモノレール周辺。シブヤ区方面は……」
◇◇◇
控え室の襲撃から数分後、イベントホールでも、グレムリンの襲撃が発生していた。
「な、なんだこいつら!?」
「モンスター!? なんでこんな所に!?」
「グググゲェエエエ〜♪♪」
グレムリンたちは、プロジェクターに繋がれたパソコンから、次々に飛び出してくる。
当然、イベントを視聴していたストロング・ボックスの
〝モンスターッッ!!!??? 〟
〝イベント、いや、あんな狭いホールでありえねえ!? 〟
〝やべえ!? 色変だけどグレムリンだぞ!? 〟
密集地帯に大量の人間である。
グレムリンたちは濃い人の気配にへべれけに酔い、手当たり次第狂うように、爪や尻尾で座席や機械を飴細工のように破壊している。
全員一瞬、アタマが白み切り。
「「「きゃあああああああッッッ!!」」」「どいてっ!!」
〝うわっ人が!? 〟
〝マジかよ!? 〟
必然的にグレムリンから離れようと、壇上に人が倒れる将棋のように、多く押し寄せる結果となる。
何人かは足を踏まれたのだろうか。転倒して動けず。酔ったグレムリンの瞳に、まだ幼い少女の姿が映る。
「ひっ……!」
「二羽ちゃん!? ちょっと、退きなさいっ!!」
〝女の子が!? 〟
〝ちくしょうテロだ!? 〟
〝やめっ……! 〟
母親だろうか。二羽と呼ばれた少女は悲鳴を上げきる事もできず。
息を呑む声に、下卑た欲望のまま暴虐の愉悦に震え、グレムリンは身を低く構えた。
「おい」
壁を蹴って銀色の影が、かばうように少女の前に降り立つ。
「俺のシマで、襲いかけたな?」
なんの抑揚も無い声。しかしすべてのグレムリンは、涎を垂らしながら一斉に目を向けた。
毛皮の一本一本の毛が、シルバーの異常なまでの激怒に反応して、波打ち逆立っている。
「殺す」
真に殺意抱くモノに。気の利いた言葉は存在し得ない。
脳裏に蘇るのは、赤ではなく空白の記憶。
その衝動そのままに、シルバーは二匹纏めて腕に掴み、壁ごとグレムリンを削り砕いた。
〝総長! 〟
〝総長ぉおっおおぉおおおッッッ!! 〟
〝な、なんだあの毛、あんなの今まで、見たこと……? 〟
〝クソァッ!! 固定カメラじゃよく見えねえ誰かドローン飛ばせドローン!! 〟
〝んな事より通報! 通報!! 〟
〝通報したッッ!!!〟
過剰に込められた破壊力のせいで、小指が一本逆の方向に折れたが、彼はまるで痛みを感じ無かった。
「ゲ!? カカカカカッッッ!!」
残り3匹。デカいのが1匹。2匹が喉を膨らませる。炎。防ぐ気すら起きない。
「シッッッ……!!」
長い足を生かしたヤクザキック。足の裏で頭部を口ごと潰されて、グレムリンは内側から炎上した。もう片方の炎が迫る。
「させるかぁああああ!!」
果敢にもシルバーの付き人として来ていた
「このっ! このっ!! いてぇ!? オラァア!!? あちぃ!? このぉおおッッッ!!!」
「ゲッ、ガゥ!? ガ、グゲッッ……!!」
〝おぉ、ナイスストロング!!〟
〝くっそ、デブしか見ええねえええええ!! だがマジでナイスゥウウウ!! 〟
馬乗りにグレムリンを抑え、悲鳴交じりに半泣きで、それでも座席を何度も振り下ろして、めちゃくちゃに振り回される爪に、漏れる炎に驚き、傷つきながらも必死に振り下ろしている。
ボコッ……と、異音。
大きいグレムリンが、コンクリートの壁をやすやすと外して、持ち上げる。
嫌らしい笑みを浮かべて、シルバーにこれ見よがしに振りかぶった。
〝な、なんだ今の不気味な音……!? 〟
〝見えねえ、総長……! 〟
視聴者たちは、カメラの角度が合わず。
観客たちはグレムリンの異常な怪力に、理解すら追いつかない。
「上等」
なんのリキみもせず。ただ歩む。
グレムリンの手からコンクリートの壁が、シルバーに勢いよく叩きつけられる。
彼は目を瞑る事すら、面倒で止めていた。
「きゃあああぁぁぁあッッッ!!!??」
悲鳴よりも遥かに響く、破壊、崩壊の音。鮮血。もうもうと舞い上げる、瓦礫の粉塵。
下の階までそっくり破壊され、瓦礫が崩れ粗雑な階段のように、一階まで大穴が空いている。
「そ、総長……?」
巻き込まれなかった勇樹はその深さに、ぞっ……として、ニタニタ勝ち誇るグレムリンに慄いた。
「死んだ……? 死ん、あぁあ!?」
〝んな、バカな……? 〟
〝だって、総長だぞ? 〟
〝でも下……〟
「くそっ……!」
「カクテルさん!? 藤由くん!?」
マリ子が制止するように叫ぶ、2人は危険な穴に降り、シルバーを掘り起こそうと必死に瓦礫を手に取った。
「ふん、ぎぎぎぎぎぎッッッ!!」
「が、アアアアアアアッッ!!」
〝頑張れ!! 頑張ってくれ!! 〟
〝持ち上げろぉおおおおおおッッッ!! 〟
〝ああ、くそっ!! 後ろから来てやがる!? 〟
「アニキィイイイイイイッッッ!!!!」
「あいよォおォッッ!!!」
バスンッッと瓦礫が一気に跳ね飛び、大きなグレムリンが、壁際に押し付けられる。
「グ、ルゥㇽㇽぁぁあアアッ!!!?」
頭から血を流したシルバーが、大きなグレムリンの頭部を四本指で鷲掴みにしていた。
〝そ、そうちょおおおおおおお!!! 〟
〝そうちょおッッッ!!! 〟
〝総長!! 総長!! 総長!!! 〟
〝ストボス!! ストボス!! ストボス!!! 〟
〝おおおおおおおおおおおッッッ!!! 〟
〝ああああああああああああ!!! 〟
〝信じてたぜ、銀〟
「どぉした力自慢。タフさがまるで、なってねーぞォッッ!!」
自身の爪が砕けるのも構わず、グレムリンは必死にシルバーの腕をかきむしり、握り締めている。
だが、彼は邪悪に顔を歪め、踊る毛と皮に包まれた腕はびくともしない。
「オッラァッッッ!!!」
さほど時間を置かず。ブクブクと口から泡を噴き出し、グレムリンの頭部は、シルバーの親指一本ごと砕かれた。
同時に、歪んだホールの入り口が、急いで駆けつけた佐久間プロに蹴破られた。
「銀二! 無事か!!」
「遅えよ先々代!! バイクで行く! ちょうど道も出来た! ……ここだけじゃねえんだろ!!?」
「すまん遅れた! 準備する、お願いします!!」
佐久間プロは現役時代の装備を身に纏い飛び込んできた。瓦礫に埋もれかけたバイクを見つけると、起こしそうとカクテルと藤由に声をかけた。
二羽と呼ばれた少女が1人、呆然とシルバーを遠くから見つめている。シルバーは心配して歩みよった。
「嬢ちゃん。ハデに壊しちまったが、無事か?」
「こ」
「こ?」
「こわい、よォ……」
シルバーが差し出した手は、指が折れ、血まみれで。
少女は泣きじゃくるでも無く。拒絶するようにペタンと座り、必死に震えて、目を手の甲で覆い隠している。
「銀二……くん」
呼びかける声も遠く、意識できず。
銀二はその日。二羽に差し出した手を、すれ違わせる事しかできなかった。