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第14話

 校舎内のつくりは私が実際行っていた学校と丸々同じだった。途中、何度も、ここが違う世界なのだと忘れそうになった。

 なんとなく自分のクラスや部室に向かってしまうが、どこもシンと静まり返っている。夏休みなのだから当たり前だ。


 部活が行われていそうな体育館は、まっさきに確認したが無人だった。猛暑のせいで、室内での活動も午前中で切り上げているのだろう。

 外の明るさに対比して、室内は暗くて目が慣れるまで時間がかかった。理科室でも、音楽室でも、私の痕跡が残っていやしないかと、忍び込みたい衝動に駆られる。


 でも、違う。今は、一人だけでもいい、知っている人に会って、自分の存在を確かめたい。

 先輩の言葉を確認したいと言いながら、私はそれを否定できる材料を気づかぬうちに探していた。


 バスケ部やサッカー部は、陸上部と同じ扱いだろう。可能性がありそうなのは文化部だ。吹奏楽部と生物部は活動しているようだったが、どちらにも知り合いはいない。


(残るは美術部か……。でも……)


 美術部には李果が所属している。けれど、さきほどの電話での会話を思い出すと、ズン、と心が重くなる。


 ショックだった。

 大切な友達から、見知らぬ人のような冷たい声をかけられて。

 私の必死な声が、見えない壁にたやすく遮られてしまって。


 でも、一縷いちるの望みはある。彼女とは電話を通して会話しただけだ。実際に会ってみたら、やっぱり勘違いだったと笑い話になるかもしれない。


 そんな風に心を奮い立たせて美術室のドアの前に立ったけれど、そこで私の足は完全に止まった。ドアに備え付けられた窓から中を覗き込むのさえためらった。


(……もう一度。もう一度、聞くだけだ。さっき、変な電話してごめんねって。私が混乱してたせいで、なんか勘違いしちゃったんだよねって)


 心の中で何度もシミュレーションしたけれど、ダメだった。どうしても足を踏み出す勇気が出ず、相原先輩から追い付かれる危険性もあって、美術室は後回しにすることに決めた。


 かといって、他に当てがあるわけではない。

 うろうろと校内をさまよった挙句、また一階まで戻ってきてしまう。

 今にも先輩に追い付かれるのではないかと背後を気にしながら歩いていると、薄暗い廊下に光がこぼれる一角があった。保健室だ。


 部活があったからなのか、三年生の講習があったからなのかわからないが、念のため開けていなければならないのかもしれない。母親と同じくらいの年齢の、養護教諭の先生の顔が思い浮かんだ。


(ここにも、はやし先生、いるのかな……?)


 元の世界では避けていた場所だ。室内の、特に、白を基調としたベッドを見ると、どうしても病院のそれを思い出してしまう。


 乗り越えたはずの過去、克服したはずの弱かった自分に、いつでも戻る可能性があるのだと見せつけられるようで嫌だった。必死に目を背けていたため、健康な生徒たちよりもむしろ、利用することが少なかったかもしれない。

 だから、林先生と直接会話したことは数えるくらいしかない。それでも、担任から話が言っているのか、彼女は何かと私の体調を気にしてくれていた。


(……先生なら、私を知ってる。私が今どこにいるかも、きっと知っている……)


 保健室からは人の気配がする。このまままっすぐ歩いて行ってドアを開ければ、念願通り、私を知っている人に会える。


 ――でも、やっぱり私の足は動かなかった。


 歩け、歩けと唱えるたび、心臓の鼓動は速くなっていくものの、足はピクリとも動かない。

 今、この瞬間にも先輩が来るかもしれないのだ。このチャンスを逃すわけにはいかない。


(……でも、会って、どうすればいい?)


 名前を名乗るのか。笹井雪花です、と。でもそのあとは? 知らない生徒だ、という顔をされたらどうすればいい?

 それとも、ここの世界の雪花を知っていて、私を見たら驚くだろうか。


 先輩が言っていた、ドッペルゲンガ―。あれに会ったら、普通、どんな反応をするのだろう。

 化け物を見たかのように、悲鳴を上げるのだろうか。


(ああ、なんだか、気持ちが悪い……)


 焦りで呼吸が荒くなっていく。胸が締め付けられて痛いのと、中のものがせりあがってくるような感覚。


 そのとき、保健室の二、三歩前で立ち止まってしまった私の前で、脈絡もなく扉が開いた。蛍光灯を逆光にして、今まさに思い浮かべていた林先生が、目の前に現れる。


「あら? 何か足音がしたと思ったら。保健室に用かしら?」


 記憶と寸分変わらない林先生にまっすぐ見つめられたとたん、呼吸が止まった。直前まで言おうと思っていた言葉が、のどの奥に詰まって出てこない。


「ああ、部活でケガしちゃったの? だったら早くこっちに来なさい。手当てしてあげるから」


 そう言いながら近づいてきた彼女が、何かに気が付いたかのようにわずかに首を傾げた。そして、唇を小さく「あ」の形にするのをスローモーションのような感覚で見た。


「あなた……? あら? 誰かに似……、ささい――?」

「――っ」


 私はひゅっと音をさせて息を吸った後、先生の言葉の途中でその場を逃げ出した。


「ちょ……、ちょっと、どこ行くのっ……!?」


 背中に追いすがる声を振り切るように、廊下の角を曲がって彼女の視界から外れた。しかし、二階まで走り続けようとしたところ、頭を、ガン、と殴られたような衝撃が走った。


「――っ!?」


 視界が大きくぶれる。体が内側から強引に裏返されるような圧倒的な不快感に飲み込まれ、意識が急激に薄れていく。

 立っていられなくて膝をついた。頭痛のせいで聴覚が鈍くなっていく。


 遠くから、声が聞こえる。


「……雪花? ――雪花……!」


(……この声は、先輩……?)


 声の方へ顔を向けたかったが、すでに体は思うように動かなくなっていた。



 ……私の体に、何が起こっているのだろう。



 ――その問いは声になることなく、私は意識を手放した。


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