次の日も晴天だった。
薄い線状の雲が複雑な模様を描いているが、太陽を隠すまでには至らない。
部活の終了時間間際に居残り練習を頼んでみたが、顧問の先生からはいい返事はもらえなかった。
「学校の方針だからねえ。もう少し涼しければ許可も下りるんだろうけど」
ダメ元だったとはいえ、がっかりした。最近、タイムがよくないのだ。先月の記録にさえ追いつけず、焦燥感が高まっていく。
もっと練習をしなければ。みんなより劣っているこの体は、人と同じ練習量では現状維持すらできないのだ。
どこか思い切り走れるところ、と考えてすぐに思い浮かぶのは、やはり展望広場だ。今までなら迷うことなく行っていたが、昨日の男子のことを思い出して憂鬱になった。
相原向貴先輩。彼は、今日もあそこにいるのだろうか。
先輩の言動は意味不明で、調子を狂わされる。何より、受験勉強で運動不足なはずの三年生に現役の私が負けたというのが屈辱だ。
どうしようか悩みながら帰り支度をして自転車置き場へ向かう。その途中で、背後から声をかけられた。
「あれ? 雪花? 今帰り?」
驚いて振り向くと、制服姿の李果が鞄を持って立っている。
「李果!? どうして学校に?」
「雪花と同じ。あたしも部活だよー。なんか親がさ、旅行行くから早めに宿題終わらせろってうるさくて。部活の課題に一番時間がかかるって言ったら、今すぐやってこいだってさ。ほら、うちの部って、好きなときに来て好きなように描いていくスタイルだから」
休み中に偶然会えるなんて滅多にない。おととい別れたばかりだというのに話し出したらとまらなくなり、私達は自転車を引いてゆっくり帰ることにした。
話題は李果の旅行先から始まり、期末テストを経て、一年後の自分たちの境遇にまで至った。部活のことで悩んでいられるのはあと少しだけで、来年の今頃は受験勉強に追われているのだろう。
そこでふと、空港で出会った男子生徒のことが頭をよぎった。
「そういえば、相原向貴って先輩、知ってる?」
男子の情報に
彼女の嗜好は偏っていて、対象は「眼鏡をかけたイケメン」に限られている。眼鏡好きが高じて、視力は悪くないのに眼鏡をかけるほどの眼鏡フェチだ。きっと、ただのイケメンである相原先輩のことは眼中にないだろう。
けれど、李果は少し考えるようなそぶりをした後、大きく頷いた。
「ああ、知ってる! あの、頭がいい人でしょ?」
思いがけない返答だった。
「……へえ、頭いいんだ?」
「うん。いつも学年で十位以内には入ってるはずだよ」
「……ふうん」
足も速くて、頭もいいのか。……かなり、むかつくんですけど。
「それで、その人がどうかしたの?」
「え? いや、どうかしたとか、特にないけど……」
適当に流そうとしたが、李果がそう簡単にごまかされるわけがなかった。
「嘘! だって、雪花が男子の話をするなんて珍しいじゃん! しかも先輩でしょ? これはもう何かあるとしか思えないよ! あれ、でも、相原先輩って、確か帰宅部でしょ。何つながり?」
「何つながりも何も、だから、何でもないんだって。ただ、自主練中にちょっと見かけたから気になって……」
李果の目が
「今、気になるって言った!?」
ものすごい勢いで食いついてきたので、私は慌てて否定する。
「ち、違うから! そういう意味じゃなくて! えーと、ほら! 変な人だったら困るなとかそういう意味で!」
「ええー? そんな必死にごまかさなくてもいいのにー」
李果の目から半信半疑の色が消えない。私はさらに必死に言い訳を探した。
「だから、違うんだって! だってあの人、タラシっぽいでしょ? 私、そういう人苦手だし!」
「……! タラシ……!」
李果が奇想天外なものでも見たように目を丸くした。
「雪花の口からそんな単語が出るなんて……! んー、でもなあ。あの人にそんな印象ないけどなあ。どっちかといえば硬派? みたいな? 誰かと付き合ってるなんて話も聞いたことないし」
「そ、そうなんだ……?」
「美術部の先輩が相原先輩と同じクラスでね。クラス写真見せてもらってから、目ぇつけてたんだよね。あ、でも別に、特別好きとかそういうのじゃないよ」
李果がこんなことで嘘を言うわけはないが、それにしても信じられない。いかにも女慣れしたあの態度。あれが硬派というなら軟派とは一体なんなんだ。
「……あの人、イケメンを鼻にかけていて、なんか人を小馬鹿にしてくるよね?」
「ええ? なんか目立たないけどさりげなくフォローしてくれる、スマートな人だって聞いたけど」
どうしてもかみ合わない。これは本当に同一人物の話なのだろうか。
不毛な会話を切り上げようとしたとき、李果の声音がふと低くなった。
「……あれ、でもそういえば自主練って? 陸上の練習って結構ハードだよね。まさか、それ以外にも練習してるとか……?」
眉間にしわを寄せるその顔には、私に対する心配と非難の気持ちがありありと出ていて、予想通りすぎる反応につい苦笑してしまう。
「大丈夫。毎日じゃないし。夕方にちょっとだけだから」
中学時代からのつきあいである李果は、イマイチ信じてくれなかったようだ。スクランブル交差点で別れを交わした後も、物言いたげにこちらを見ながらビルの向こう側に消えていく。
心配してくれるのはありがたい。けれど、ときどきそれが、少し息苦しい。
無理をするなと言うけれど、無理をしなければ叶わないこともある。