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第4話

 二重の意味で頭に血が上りすぎた。

 ゴール地点で荒い息を繰り返していると、相原先輩が歩いてきてスポーツドリンクを差し出してきた。


「俺のだけど、飲む? もうぬるくなってるけど」

「け、結構です!」


 自分の鞄から水筒を取り出して木陰に移動し、休憩ついでに改めて相原先輩を観察した。


(本当に何なんだろうこの人は)


 高三といったら受験生だろう。だが、幹に背中を預け、不規則に形を変えていく雲を面白そうに眺める彼に、受験生特有の緊張感は感じられない。


(受験、しないとか? でもうち、進学校だし……。あ、推薦でもう行く大学決まってるとか……)


 来年は自分も同じ立場になるはずだが、聞きたくない話題にはつい耳を塞いでしまって、そういう受験事情には詳しくない。


 悶々と考えていると、やがて、空からかすかな重低音が聞こえてきた。小さな機影を視界に捉えた先輩が、ヒュウと口笛を吹いた。


「あれが最後の便だもんな。ほんと、ここって田舎だよなあ」


 近づいてきた飛行機の轟音が収まるまで、しばらく待つ。無事に着陸するのを見届けてから、先輩を横目で見た。嫌味ついでに探りを入れてみる。


「受験生って、ずいぶん暇なんですね。こんなところで下級生に絡んでいていいんですか?」

「あのね。毎日夏期講習やってるの、知ってる? 今日だって、朝からみっちりやってきたんだっつーの」


 先輩は、手に持った本をうちわのようにして仰いでいた。ちらちらとタイトルが目に入る。『航空整備の基礎』。背表紙のシールを見ると、図書室からの借り物らしい。


「ああ、これ? 航空整備士になりたくてね。気分転換に読んでるんだ」


 飛行機に興味があるということか。

 それならここにいるのは納得だが、だったらなぜ私に関わるのだろう。同じクラスでも部活でもない初対面の男子と一緒に過ごしているという状況は、社交性のない私にはとても居心地が悪い。


 話の接ぎ穂を見つけられず空に答えを探していると、その青色が淡くなっていき、やがて茜色に染まり始めた。今日の練習予定はこなせなかったが、切り上げる口実ができてほっとする。


「あれ? 帰るの?」

「はい。そろそろ暗くなりそうなので」


 荷物をまとめて、自転車の元へ向かう。すると、先輩もなぜか立ち上がって近づいてきた。


「ちょっと待って。送るよ。俺、自転車向こうに置いてるから、取ってくるまでここにいて」

「えっ? ……いいですよ! 遠慮します!」


 過剰すぎる親切心にぞっとする。なぜ初対面の男子に家まで送ってもらわなければならない!?


 まさか、ストーカーじゃあるまいな。

 そんな考えにとらわれた私は、慌てて自転車に飛び乗り、一目散に逃げ帰った。


 後ろは一度も振り返らなかった。


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