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第13話 魏へ参ろうと思います

「ですが楽毅がくき姉さん。【ちょう】も【】もダメとなると、他に有力な国はありません」


 相変わらず冷静な口調のツェイ


「ええ、そうなんです。そうなってしまいますね」


 楽毅がくきは力なくつぶやいた。


「【かん】は強国に内包されるような構図にあり、強国間の争いに否応無しに巻き込まれているのが現状です。うまく立ち回れたとしても、天下に覇を唱えることはまず無いでしょう」


 この言葉どおり、【かん】は全方位を強国に囲まれているという、立地的に大きな不利を抱えていた。かつて申不害しんふがいという賢人宰相さいしょうがいたが、それ以降はこれといった人材も出ていない。これでは仮に楽毅がくきが【かん】王からの絶大なる信任を得たとしても、【しん】などの大国と対等に渡り合うのは至極困難であろう。


「となれば、あとは【】か【えん】しか残っておりませんね」


 しばしの沈黙の後、楽間がくかんが絞り出すように呟く。


「【えん】……」


 楽毅がくきはその国名を聞き、押し黙るように口元にしなやかな指をあてがう。


「【えん】は郭彌かくびという賢人の献策を用いて、ひろく人材を求めております。楽毅がくき姉さんであれば喜んで迎え入れられ、重用されるに違いありません。私個人としては、お姉さんには【えん】にゆくことをお勧めいたします」


 真剣な眼差しを向け、ツェイが語る。口調も内容も柔らかいものであったが、裏腹にその瞳は是非にと言わんばかりの迫力が垣間見えた。


 楽毅がくきは考え込む。

 【えん】王は謙虚にして家臣の意見をよく聞き、国や身分に囚われない人材登用を積極的に行っているという噂はすでに聞き及んでおり、彼女自身少なからず興味を抱いていた。しかし、【えん】に仕えるにはどうしてもためらいを禁じ得ない理由があった。




 それは、今より十年以上も前のことである。

 故国である【中山国ちゅうざんこく】の兵は、かつて【せい】の軍勢と共に【えん】国を蹂躙した過去があり、【えん】人にとって楽毅がくきたちのような【中山ちゅうざん】人は【せい】人と同様に忌むべき存在なのだ。

 その【中山国ちゅうざんこく】は【ちょう】の武霊王ぶれいおうによって滅亡したが、【えん】人の【中山ちゅうざん】人に対する怨恨までもが伴って消失する訳では無いのだ。




「たしかに【えん】はとても魅力的な国だと思います。しかし、仮に【えん】で重用されたとしても、【せい】に対抗出来るほどの強国に育て上げる自信がわたしにはございません」


 一息間を入れ、楽毅がくきは全員を見回しながら告げた。


「ですので、わたしは……【】へ参ろうと思います」


 消去法から導き出されたその答えに、楽乗がくじょうたちからは歓迎とも失望とも取れぬ微妙な吐息が漏れ出した。


 【】は中原ちゅうげんに位置し、かつては中華大陸一の軍事力を誇っていた。しかし、【せい】との戦いに敗れてからはかつての栄光はもはや見る影もなく、今では宰相さいしょう公孫衍こうそんえんが孤軍奮闘しているが、【せい】や【しん】といった大国の狭間でじっと息をひそめている、という現状であった。


「たしかに【】の現状は【かん】や【えん】と同様に厳しく、【せい】や【しん】に対抗するのは困難に違いありません。しかし、【】には実績があります。かつて天下に一番近い国と称されただけの実績が。それに、【】はわたしたちの先祖である楽羊がくようが仕えていた国です。これも何かの縁かもしれません」


 自らに言い聞かせるように、楽毅がくきは静かに語る。

 しばらく沈黙していた楽乗がくじょうたちであったが、やがて決心したように小さくうなずくと、楽乗がくじょうがおもむろに口を開いた。


「【】へは以前に外交交渉に赴き、要人と面会したことがあります。楽毅がくきお姉様を粗雑ぞんざいには扱わないでしょうし、他の小国で埋もれてしまうよりは希望が持てるかもしれません。私はお姉様に従います」


 この楽乗がくじょうの言葉に、楽間がくかんもうなずき賛成の意を示した。


「ありがとうございます。それでは明日、さっそく準備に取りかかりましょう」


 方針が一応まとまり、みんなの顔に安堵が広がる。

 ただひとり、【えん】行きを勧めたツェイを除いては。

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