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第10話 万死に値するぞ

 ふと、楽乗がくじょうたちのことを思い出した楽毅がくきは後ろを振り返るが、雑踏の中にその姿を確認することは出来なかった。


 ──少しはしゃぎすぎたかしら。でも。


 たまには個別に行動するのもいいかもしれないと思い、向き直ろうとしたその時だった。


 ──あれは⁉


 一見何の変哲も無い祭りの雑踏の中に 、明らかに場にそぐわない白装束の男が数名紛れているのに気づいた。

 その白装束の男たちは、まっすぐに彼女たちの方へと人ごみを掻き分けてやって来る。


 ──墨家ぼっかの者がここまで追って来たというの?


 楽毅がくきの顔がみるみる青ざめてゆく。とりあえず何の関係もない李勝りしょうだけは守らなければならない。


李勝りしょうさん、こっちです!」


 彼女の手を取り、雑踏の中を駆け出した。


楽毅がくき様、急にどうしたのですか?」

「理由は後で。今はこの場を離れましょう」


 戸惑う李勝りしょう楽毅がくきは有無を言わさず連れ出す。

 彼女の安全を考えるのならば、自分ひとりだけ離れればよいのかもしれない。しかし、かつて中山国ちゅうざんこく無辜むこの民を惨殺した【墨家ぼっか】のことだ。楽毅がくきに関わった者全てに危害を及ぼすこともいとわないであろう。


 何度も通行人にぶつかりそうになり、その度にごめんなさいと謝辞を残す。

 これだけ目立てば楽乗がくじょうたちも探しやすくなるだろう。

 そう思ったがすぐに楽毅がくきはかぶりを振り、これ以上他の者に迷惑をかける訳にはいかないと思い直した。


 しかし、楽毅がくきは不意に立ち止まった。前方からも白装束に身を包んだ者が迫り来るのを視認したからだ。


「こちらへ参りましょう!」


 仕方なく楽毅がくきは露店の間にある細い脇道へと入る。そこは人ひとりがやっと通れるくらいの幅で、幸いなことに前方からの通行人は無かった。


 やがて視界が開けて光が濃くなる。

 ここを抜けたらまた別の脇道へ入って彼らをまこう。


 しかし、そんな楽毅がくきの希望はあっけなく打ち砕かれた。

 細い路地を抜けたそこは、四方を壁で囲った袋小路だったのだ。


「しまった!」


 そう言って振り返ると、先ほどの細い路地から白装束の男たちが現れ、すぐに取り囲まれてしまう。

 彼らは五人。楽毅がくきの剣の腕前では到底敵わない。しかも、後ろには絶対に護らなければならない少女がいる。


「紅い髪。お前が楽毅がくきだな?」


 ひとりの男が確認するように問うと、その返答を待たずして腰に帯びた剣を抜く。それを合図に、他の者たちも剣を一斉に抜く。


 ──また、を使わなければならないのか。


 楽毅がくきは、自身の胸元にある紅色の宝珠にそっと手を添えた。

 出来ることならもう使いたくはない、人智を超えた力。しかし、無関係な少女に危害が及ぶのだけは何としても忌避しなければならなかった。


あるじの命により、ここで死んでもらう」


 冷徹な声が、狭い空間に響く。


 その時、楽毅がくきはある違和感を抱いた。

 まず、彼らの出で立ちは確かに白装束だが、そこに【墨家ぼっか】の象徴たる太極図たいきょくずの刺繍は見受けられなかった。それに、彼らはと言っていた。


 ──彼らは【墨家ぼっか】ではない?


 しかし、そうなるといったい誰が楽毅がくきの命を狙うのか、という新たな疑念が生じる。


 と、その時であった。

 先ほどまで後ろにいた李勝りしょう楽毅がくきを庇うようにその前に仁王立つと、


「控えよ! お前たちは誰に剣を向けているのかわかっているのか⁉」


 少年の如く雄々しき声で叫んだ。

 突然のことに楽毅がくきのみならず男たちも思わず戸惑いをあらわにする。


「大方、父君の命で楽毅がくき様を害せんとしているのだろうが、この私に剣を向けた罪は万死に値するぞ!」

「お前──いや、貴女はまさか?」


 まじまじと李勝りしょうの顔を見回した男たちは、何かに気づいてみるみる顔面を蒼白させる。


「私が誰なのか理解したようだな。早急にここを立ち去るのならば此度の非礼は不問にしてやろう。それとも、私共々楽毅がくき様を斬るか?」


 得も言われぬ圧力のこもった少女の言葉に、男たちはそそくさと剣を納め、一礼を残して風のようにその場を去って行くのだった。

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