目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第8話 わたしを罰してくださいませ

 少女は、の中を彷徨っていた。


 四方八方どこを向いても白──シロ──しろ。

 上下も左右もわからない単色の世界にたたずむ少女は、怯え泣きじゃくりながら父と母の名を呼んだ。


 しかし、えてよどんだ空気が喉の奥にまとわりつき、その声は言葉にならない。


 ──何も見えない。怖い……コワイよ。


 少女はその場にうずくまり、頭を抱えながら震えた。


 ──ひとりじゃ……寂しいよ。


 大粒の涙がこぼれ落ちる。

 その時、少女の周囲に紅い淡い光がともり、妖しく照らし出す。瞬間、目の前に光景が鮮明に映し出される。


 そこは──血生臭い戦場。

 阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄絵図。

 人が獣と化して殺し合う、戦国の現実だった。


 ──止めて。もう……止めて!


 凄惨な光景に目を背け、心の中で叫ぶ。


楽毅がくき……』


 その時、少女を呼ぶ名が反響エコーを伴って響き渡る。威厳に満ちた、それでいて温かいその声を、少女はよく知っている。


『……楽毅がくき、お前になら出来る』


 ──お父様、どこなのッ⁉


『この戦乱を治め、ひとりでも多くの者が笑顔になれる国を創れると……』


 やがてその声は、世界を再び覆い始めた白い闇と共に霞んでゆく。


 ──お父様……お父様――――ッ‼



 少女は──楽毅がくきは──ゆっくりと覚醒した。


 ぼんやりと、視界が開けていく。

 彼女を取り囲むように、楽乗がくじょうの、楽間がくかんの、ツェイの、姫尚きしょうおぼろげな顔が少しずつ明瞭に浮かび上がると、不安げだった彼らの顔に安堵の笑みがともる。


「……みなさん」


 まだ朦朧もうろうとする意識の中、ゆっくり体を起こし、周囲を見廻す。

 今は夜で、どうやら森の中で篝火かがりびを焚いて野営しているらしいことがわかった。


「よかった……。気を失ったままずっと眠り続けていたのですよ。よほど疲れていたのですね」

「そうか、わたし、倒れて……」


 楽乗がくじょうの言葉を反芻はんすうしながら、霧がかったように気怠く重いかぶりを振ると、楽毅がくきは不意に肝心なことを思い出し、大きく身を乗り出した。


「我が軍はどうなりました? それに、なぜこのような所にいるのでしょう?」


 楽毅がくきの問いに、四人の表情が瞬時に曇る。


「……我々は、あの後血路を開き、砦に戻ろうとした。しかし、すでに砦は【ちょう】軍によって落とされていたのだ」

「砦が⁉」


 姫尚の口からもたらされたその言葉は、にわかには信じ難いものであった。


 たしかに霧が晴れてしまえば無人の砦に施した偽装がバレる可能性は高かった。しかし、それにしては気づかれるのがあまりにも早過ぎだ。

 それに、砦を囲んでいた【ちょう】軍にも本陣が危機との情報は届くはずであり、情報が届けばすぐに救援に向かわなければならないはずだ。


 どちらにしても【中山ちゅうざん】軍は奇襲に失敗したばかりか、最後の拠点までも失うという最悪の展開におちいってしまったのだ。


「仕方が無いので山中に逃げ延びたのだが……混乱の中皆散り散りとなり、我が軍は千人にまで減ってしまった」

「なんてこと……」


 姫尚きしょうの口からもたらされたその報告は、楽毅がくきに更なる衝撃を与えた。

 自分の作戦の失敗のせいでただでさえ貴重な兵士を多く失い、その結果がこの現状である。


姫尚きしょうどの、申し訳ございませんでした。わたしの失態でむざむざ多くの仲間を失ってしまいました。もはや何の申し開きも出来ません。どうか……わたしを罰してくださいませ!」


 責任を感じた楽毅がくき姫尚きしょうの前で涙ながらに叩頭し、罰を請うのだった。


楽毅がくき……」


 姫尚きしょうはその場にかがみ、彼女の肩に手を置くと、


「お前はいつも最善を尽くしてくれた。お前がいなければ、【中山国ちゅうざんこく】はとうの昔に滅んでいてもおかしくなかった。そのお前が授けてくれた策がやぶれたのだから、それはもう運命なのだ。誰も恨みはしない」


 爽やかな笑みと共に慰めの言葉を贈った。


 運命──


 その言葉は、彼女の心にトゲのように突き刺さった。


 父を亡くしたことも──

 【墨家ぼっか】に狙われていることも──

 紅い宝珠を受け継いだことも──

 武霊王ぶれいおうに敗北したことも──

 【中山国ちゅうざんこく】が滅亡することも──


 そのすべてが運命だったというのだろうか?

 今までやってきたことのすべてが無意味だったとでもいうのだろうか?

 自分は運命という名の奔流ほんりゅうに呑みこまれ、なすすべも無く流されていただけなのだろうか?


「……明日、私は恥を忍んで【ちょう】に降伏しようと思う」


 そして姫尚きしょうの口から放たれたその言葉に、誰もが驚きを禁じ得なかった。


「ですが姫尚きしょうどの。あの武霊王ぶれいおうがそれを大人しく受け入れるとは思えませんし、最悪、姫尚きしょうどののお命すら危ういかもしれないのですよ⁉︎」


 楽毅がくきは思い留まらせようとしたが、姫尚きしょうはゆっくりかぶりを振り、


「私はな、お前たちの才能をこんな狭いところで埋もれさせてしまうのは惜しいと思っている。その才能をもっと広い世界で心置きなく発揮して欲しい。私ひとりの命でそれが叶うのなら、安いものだ」  


 そう言って彼女をさとすのだった。


姫尚きしょうどの……」


 受け入れ難い現実と主君の厚情の狭間で、楽毅がくきは思わず嗚咽おえつした。それにつられるように、兵士たちのすすり泣く声がこだまする。



 その夜、姫尚きしょう楽毅がくきは兵士ひとりひとりにねぎらいの言葉をかけ、【中山国ちゅうざんこく】最後の夜の酒宴を楽しんだのだった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?