やがて一際大きな幕舎が視界に入ると、そこから虎の毛皮をまとったひとりの男が現れる。
──あれは……!
見覚えがあるその男は、紛れも無く武霊王であった。
標的を発見した楽毅たちは一気にそちらへと雪崩こんでゆき、兵士たちはそれを援護するために周囲を固める。
「武霊王、その命、頂戴つかまつるッ!」
戟を振り上げ、真っ先に楽乗が武霊王に斬りかかる。
ギャイィィィィィンッ‼︎
しかし、それは駆けつけた【趙】兵の槌によって遮られ、甲高い金属音が響く。
絶好の好機を逃した楽乗は、逆に相手の圧倒的な膂力によって弾き返されてしまう。
二、三歩後ずさった楽乗がそちらに目をやると、そこには見覚えのある小柄な少女が立ち塞がっていた。
「お前は……廉頗!」
「覚えていてくださり、光栄ですぅ。楽乗さん」
廉頗は嬉々とした笑みを浮かべ、岩でできた大きな槌を軽々と振り回し、楽乗を足止めする。
「主上には指一本触れさせません‼」
「生意気な‼」
目にも止まらぬ速さで、楽乗と廉頗が激しく打ち合う。その間に、主君の危機を察知した【趙】兵が次々とそこに集結し始める。
「楽毅姉さん、今の内に!」
「必ず武霊王を討ってください、姉上!」
翠と楽間が押し寄せてくる敵兵を食い止め、道を開く。
「みなさん……」
心配になって思わず足を止めてしまうが、この機を逃したら全てが水泡に帰してしまうと思い留まり、踵を返して武霊王と対峙する。
「まさか、霧に乗じて直接俺の命を狙ってくるとはな……」
武霊王が腰に帯びた剣を抜き、その切っ先を彼女に向ける。
「もはや、手段を択んでいられない状況なので……。申し訳ございませんが、そのお命、頂戴致します!」
楽毅は颯爽と駆け出し、素早く剣を振るう。武霊王はそれを真っ向から受け止める。
ガイィィィィィンッ‼︎
鈍く重い金属音が響き渡る。
「ヤァァァァァッ‼︎」
剣技があまり得意ではない楽毅であったが、俊敏な動きで手数を増やして丁々発止と切り結び、武霊王と互角の勝負を演じていた。
「たしか楽毅と言ったな。やはり貴様は面白い。俺をここまで楽しませてくれるとはな……」
武霊王は剣を降ろすと、胸元からおもむろに紫紺色の宝珠を──紐で繋がれた【八紘の宝珠】を取り出し、まるで遊びに興じる少年のように無邪気な笑みを浮かべた。
「ならば、俺も全力をもって貴様を迎え討とう!」
武霊王はその宝珠を掲げ、
「俺の名は趙雍。血の契約に基づき、俺に力を与えよ。【スサノオ】‼」
呪文めいた謎の言葉を発した。
すると、彼の手に握られた宝珠が突然、まばゆいばかりの輝きを放ちだす。やがて、それに呼応したように武霊王の右手の甲に渦を象形したかのような紋章がぽぅと浮かび上がり、紫紺の輝きを放つのだった。
武霊王が紋章を宿した右手を前に翳す。するとその周辺の空気がざわめき立つように紫色の渦を巻き、そこかしこに転がっていた剣などの武器や岩を巻きこむようにして宙に舞い上げる。
「『龍渦撃』!」
武霊王が右手を突き出すと、渦と共に数多の器物が楽毅に襲いかかる。
「きゃあぁぁぁぁぁッッッ‼」
飛んできた剣は楽毅の皮膚を切り裂き、岩は腹部を直撃し、彼女を軽々と吹き飛ばした。
どうっ、と地面に叩きつけられるように落下する楽毅。その体に刻まれた無数の傷口から血が流れ出し、腹部に受けた衝撃は内臓をも破壊していた。
──ダメ、体が……動かない。
必死に起き上がろうと試みるが、全身を駆け巡る激痛に苛まれてそれすらもままならない。
「もう仕舞いか? あっけないものだな」
怪しい輝きを放つ紫紺の宝珠を首に下げたた男が、ゆっくりと楽毅の元へと詰め寄る。
「楽毅お姉様ぁ‼」
「楽毅姉さん‼」
「姉上ぇ‼」
鼓舞するように楽乗が、翠が、楽間が叫んだ。
今すぐ助けに行かねばならない。しかし、目の前の敵を押し留めるだけで精一杯でそれも叶わないのだった。
「安心しろ。苦しまぬよう一瞬で終わらせてやる」
霞ゆく視界に、虎皮をまとった男の姿が映りこむ。その表情はどこか愉しそうであり、それでいてどこか哀しそうにも感じられた。
──もう……終わりなの?