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第13話 前言撤回させてほしい

 その時、またも兵士がやって来て、


「申し上げます。【ちょう】より使者が参りました!」


 楽毅がくきたちに告げる。


 ほど無くして【ちょう】軍の統一色イメージカラーである緑色に染められた甲冑に身を包み、無骨なハンマーたずさえたひとりの兵士が連れられて来る。それは、かつて楽毅がくきたちが武霊王ぶれいおうの元に使者として訪れた時に、彼女たちを案内した少女であった。


「アナタはたしか……廉頗れんぱさん?」

「お久し振りです、楽毅がくきさん。アタシのこと、覚えていてくださってうれしいですぅ」


 少女は、あの時と同じ屈託のない笑顔で言った。


「本日は、主上しゅじょうのお言葉を伝えに参りました」

「私が太子たいしの──いや、【中山ちゅうざん】王の姫尚きしょうである。聞かせてもらおうか」


 この時、姫尚きしょうは初めて自らを【中山ちゅうざん】王を称した。

 領土の三分の二以上をも失った【中山国ちゅうざんこく】は、もはや“国”と呼べるほどの勢威はなく、他の国の王が聞いたらきっと嘲笑ちょうしょうしたに違いない。

 しかし、姫尚きしょうはあえて、【中山国ちゅうざんこく】の王であることにこだわった。以前は、王という称号に胡座あぐらを欠いて礼節を軽んじていた先王をいさめていたが、今は王として毅然と生き、王に見合った威信を取り戻すのだ、と。


「はい。まず主上しゅじょうは、この度の東垣とうえん霊寿れいじゅにおける禍殃かおうはなはだ心を傷めておられ、お悔やみおおせられました」

禍殃かおう? お悔やみ? 武霊王ぶれいおうはそう申していたか……」


 廉頗れんぱから告げられたその言葉に、姫尚きしょうはわずかに眉をひそめた。


「仁義にもとる外交でおとしめ、力ずくで他国の領土をかすめ取る盗人がそれを口にするとは、とんだお笑い草だな」

「……主上しゅじょうはこうもおおせられました」


 姫尚きしょうの言葉に何の反論もせず、廉頗れんぱは続けて述べた。


「『これは戦であり、戦に正義も卑怯も存在しない。あるのは勝者と敗者のみ。想定外の被害者が出たのはいたむべきことであるが、勝敗は兵家の常である』……とのことです」

「むぅ……」


 姫尚きしょうは何も返せなかった。

 武霊王ぶれいおうの言う通り、東垣とうえん霊寿れいじゅに起きた悲劇はいたましい出来事だが、それが【ちょう】軍の所業によるもので無いことは先ほどの司馬熹しばきとの会話からも明らかである。

 ならば、落城を防げなかったのは己の力量不足に他ならない。武霊王ぶれいおうを恨むのは筋違いであり、この乱世において相手の策謀はかりごとを否定するのは無様ナンセンスという以外のなにものでも無いのだ。


 ──武霊王ぶれいおうの方が一枚も二枚も役者が上か……。


 キレイ事ばかりでは乱世を治めるどころか、たったひとつの勝利すらも得られない。そのことを痛感した姫尚きしょうは、


「すまない。前言撤回させてほしい」


 廉頗れんぱに頭を下げ、謝意を示した。


「あ、いえ、その……こちらこそ、生意気言って何かすみませんでしたぁ」


 思わぬ反応に戸惑った廉頗れんぱはどうしてよいか分からず、とりあえず自分もペコリと頭を下げてみた。


「それで、ここからが本題なのですが、『民間人の多大なる犠牲をいたみ、【ちょう】は黙祷もくとうを捧げると共にこれより十日間を休戦期間とする』……主上しゅじょうはそう提案されました」

「休戦?」


 楽毅がくきたちは驚いた。

 要所である東垣とうえん霊寿れいじゅも陥落した今、武霊王ぶれいおうにとっては【中山ちゅうざん】軍を一気に壊滅に追いこむ好機チャンスであるはずだ。にも関わらずわざわざ相手に猶予ゆうよを与えたのは、真に【中山ちゅうざん】の民を追悼する意があるのか、はたまた余裕の表れなのか?


 ──どちらにせよ、我々にとってはありがたい話だ。


 姫尚きしょう武霊王ぶれいおうという男の器の大きさを痛感し、それを受け入れた上で、


武霊王ぶれいおうのお心づかい、感謝する。十日後の再戦を楽しみにしている、と伝えてほしい」


 改めて強大なる敵への決着の意を示すのだった。


「かしこまりました。十日後、アタシも楽しみにしておりますぅ」


 ペコリと一礼し、廉頗れんぱきびすを返して歩き出す。

 しかし、すぐに立ち止まって振り返ると、


「ゼッタイに負けませんよ」


 自信をにじませた笑みを浮かべてそう言うと、再び歩みだした。


 ──わたしも負けない。趙奢ちょうしゃ……たとえアナタが相手だとしても。


 去りゆく少女の背中に親友の面影を重ねながら、楽毅がくきは決戦への覚悟を新たにするのだった。

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