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第9話 絶望的に違いないわ

 【ちょう】との交渉を終えた楽毅がくき達三人は、【中山国ちゅうざんこく】へは戻らずにそのまま南西へと進路を取り、【】の国都である大梁たいりょうを目指した。


 雪が容赦ようしゃ無く降り続く悪路をひた進んだ。【】へ行くにはどうしても【ちょう】の領土内を通過しなければならず、【ちょう】軍の目をくぐりながらの隠密行動は困難を極めた。

 雪水をすすり、わずかに顔を覗かせた野草を食した事もあった。宿などが無い山中では、洞窟内で火をき、お互いの体を寄せあって寒さをしのいだ事もあった。


 そんな苦労の末に大梁たいりょうにたどり着いた時には、武霊王ぶれいおうとの交渉から半月程の月日が経過していた。


 楽毅がくき達は疲れを癒やす間も無く、【】の宰相さいしょう公孫衍こうそんえんとの面会を求めた。公孫衍こうそんえんは『鈿女てんにょ』とも称され人望もあつく、かつて五ヶ国連合軍を率いて【しん】を攻めた事があり、【せい】の孟嘗君もうしょうくんと並び称される程の稀代きだいの女傑であった。


 しかし、折悪く彼女は不在であった。その為、彼女に次ぐ有力者として司馬しば──軍事の最高指揮官である范座はんざという人物への取り次ぎを願い、なんとか面会が叶った。


 楽毅がくきは【ちょう】の──武霊王ぶれいおうの危険性を滔々とうとうと説き、【中山国ちゅうざんこく】への援助をうた。

 范座はんざ楽毅がくきの理路整然とした論説にいたく感心したが、【】は【】で大っぴらに兵を出せない理由があった。


 現在、【】は【】と同盟を結んでおり、【しん】、並びにそれに追随する【かん】に睨みを利かせている。とても他国に兵を送る余裕など無いのだ。それに、今の【】王──襄王じょうおうは無難な政治を行う代わりに、軍事と外交に関しては消極的な面を持っている。その為、大した見返りも望めない遠征をわざわざ行うとは到底思えないのだ。


 結局、【】は【中山国ちゅうざんこく】を援助しない代わりに【ちょう】にも加担しないという事で話が落ち着き、楽毅がくき達にとっては何ひとつ実入りの無い結果となった。

 想定していた事とはいえ、やはり孤立無援というのは想像以上に辛いものだと、楽毅がくきは痛感した。


 ──これではきっと、【えん】との交渉も絶望的に違いないわ。


 楽毅がくきは、【中山国ちゅうざんこく】を立つ前に【えん】との外交を姫尚きしょう楽峻がくしゅんに一任してきた。しかし、武霊王ぶれいおうによる【中山国ちゅうざんこく】包囲網がほぼ完成している最中で、それをくつがえすのは至難のわざと言えるだろう。

 楽毅がくきがそう実感した情報が、范座はんざとの会談の中にあった。


 楽毅がくきは【】からの援助が得られなかった場合を想定し、中華大陸最西の強国・【しん】へおもむく事も計画していた。しかし、武王ぶおう亡き後の【しん】は公子こうし達による混沌たる内乱が勃発し、芈八子びはつし──武王ぶおうの父である恵文君せんぶんくんの夫人──と、その弟である魏冄ぎぜんという男が擁立した公子こうし贏稷えいしょくがどうやら勝利しそうだ、と范座はんざから聞かされたのだ。

 そんな状況下ではとてもではないが【しん】からの援助など、望めそうもない。しかし、楽毅がくき懸念けねんするのは、次の王に就くであろう公子こうし贏稷えいしょくの存在であった。


 かつて【せい】の臨淄りんしに留学していた楽毅がくきが、【中山国ちゅうざんこく】に帰国する道中で偶然出会った少年。それが 贏稷えいしょくだ。

 彼は遠く離れた北国の【えん】に遊学しており、【ちょう】の武霊王ぶれいおうに庇護されて【しん】へと帰国した。【えん】は小国であり、そこに遊学させられるという事自体、 贏稷えいしょく公子こうしとしての地位の低さを物語っていた。ところが、本来なら陽の目を見ないはずの少年が武霊王ぶれいおうという大物から庇護を受け、今正に歴史の表舞台に立とうとしているのだ。  


 しかし、武霊王ぶれいおうの援助を得ているという事は、当然王となったあかつきには【ちょう】・更には【えん】との友好を優先するはずである。【中山国ちゅうざんこく】としては、【】・【しん】・【えん】のいずれも動かせないという事は、【ちょう】による【中山国ちゅうざんこく】包囲網は完遂したという事に他ならない。


 それに、楽毅がくき贏稷えいしょく秦国しんこく公子こうしと知らずに石をぶつけ、気絶させてしまった過去がある。

 もしも、 贏稷えいしょくがその事を覚えていて恨みに思っていたなら。そこへ楽毅がくきが外交に訪れたなら。きっと、【しん】は【中山国ちゅうざんこく】を援助しないどころか、【ちょう】に積極的に援軍を送る可能性もあるのだ。


 全ては武霊王ぶれいおうたなごころ──


 楽毅がくき武霊王ぶれいおうの底知れぬ深謀の脅威を改めて思い知り、何の成果も得られないまま【中山国ちゅうざんこく】へと帰国するのだった。

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