「やれやれ、説教じみたくだらぬ話であったな。時間のムダというものじゃ」
手をヒラヒラとさせながらそんな憎まれ口を叩く齋和。
「そんな事はありませんッ!」
一際大きな声でそう叫んだのは田単であった。
齋和は思わず後ずさる。
「澪どの。とても素晴らしいご高説、大変感服致しました。金言の数々、しかとこの胸に焼きついております!」
雪のように真っ白な澪の手をガッチリと握り、田単は目を爛々と輝かせながら興奮を発露させた。
「陰陽道に【天輪】……またひとつ私の中で世界が広がりました。知識を得る度に私は感動を禁じ得ません!」
「……ホメられるのはうれしい。でも……ちょっと引く」
「えぇッ⁉︎」
澪のその一言に衝撃を受ける田単。
「あ~、誠に不本意ではあるがそれに関してはワシも同感じゃ」
「えェェェェェッ⁉︎」
挟撃とも言える齋和のその言葉に、田単は本気でへこんでしまうのだった。
「でも、齋和のお友達は本当にスゴい方ばかりね」
田単の背中をポンと叩いて慰めながら、楽毅が言う。
「こやつが友達なものか! 胸クソ悪い……」
心外だ、とばかりに齋和が毒づけば、
「……不本意だけど同感」
と、澪も返すのだった。
「言わせておけば……おい、オヌシ達。あまりこの娘に気を許さぬ方がよいぞ。心の奥底までのぞき見られてしまうからな」
「心の奥底?」
意味深なその言葉に、楽毅達は一様に首を傾げる。
「……人聞きの悪い。ワタシはただ、人の運命が視えるだけ。のぞいているワケでは無い」
すかさず澪が反論する。
「人の運命……つまり、その人の未来が分かるという事ですか?」
信じられないといった口調で楽毅が訊ねる。
「【天輪】の理から鑑みれば、未来だとか過去だとかいう概念自体が無意味。繰り返し廻る輪には端緒も終焉もなく、あるのは今のみ。今を積み重ねる事によって──」
「まぁた、くどくどと説教じみてきたのう」
うんざりとした口調で齋和が遮る。
「要はその者がこれまでどう生きてきたかを視覚情報として認識する事が出来、そうして得た情報からこれからどう生きるのか示唆を与える。それだけの事じゃ」
「……多少の誤謬はあるけれど、概ねはそのとおり」
風がそよぐような静かな声で澪は言った。
「……ワタシはただ視えたモノを伝えるだけ。それをどう受け取るかはその者次第。ただし、視る事が出来ない者も稀に存在する……」
「どちらにしても、常人には無い特別な目を持っているワケっスか……。これも何かの縁だし、ジブンの運命を視てもらえないっスかね?」
「え?」
趙奢の言葉に、楽毅の口から思わず驚きの声が漏れる。
「やめておけ。興味本位に首を突っこむと後で後悔する事になるぞ」
そう苦言を呈する齋和であったが、その口調は別段強いものでは無かった。
「でも……ジブンはやっぱり知りたいっス。ねェ、みんなはどうっスか?」
「わたしは……」
楽毅は即答出来なかった。
ただの名も無き女として一生を終える事に嫌気を感じて臨淄までやって来た彼女であるから、果たして自分の望む路を拓けるのかどうか知りたい、という思いはある。
しかし、やはり齋和の言うとおりそういうものに軽々しく首を突っこむべきでは無い、という思いもあり、それらが心の中でせめぎ合っている状態であった。
「私は……知りたいです!」
楽毅より先に田単が高らかに答える。
どちらかと言えば控えめで、決して高望みをしない彼女がそう答えたのは意外で、楽毅も趙奢もやや面食らってしまう。
「私は本が好きです。本に囲まれていればそれだけで幸せです。しかし……いくら本を読んで知識を得たとしても、それを人生に活かさなければ何の意味もありません。私は知識を活かしたい。たくさんの本と稷下の学士で満ちあふれたこの国の為に。だから、それが叶うのかどうか知りたいです」
熱のこもった口調でそう告げる田単。
彼女の秘めたる情熱に楽毅は目を瞠った。
「ジブンもっスよ。ジブンの発明でこの世界を変えられるかどうか知りたいっス!」
それに呼応する様に趙奢が思いの丈を吐露する。
「わたしは……」
そんな二人の姿を見て、楽毅は韜晦していた己を恥じた。
「わたしの力がこの世界でどれだけ通用するのか、それを知りたい! ただの名も無き女として一生を終えたくない。孟嘗君と肩を並べるまでとはいかないまでも、孟嘗君に少しでも近づきたい。あの天の果てまで羽ばたきたい!」
そして胸の奥底で沸々と湧き上がる願望を──野心を─みんなの前でさらけ出す。
──迷惑に思ったかしら?
チラリと齋和を横目で窺うが、彼女は特に驚いた様子もなく穏やかな笑みを浮かべていた。
楽毅達三人は互いにうなずくと、
「どうか視ていただきたい」
澪に拱手を向けて請う。
「やれやれ、こうなる運命じゃったという事か」
ため息交じりに呟く齋和。
「で、どうする? 視てやるのか?」
そう問われると澪はわずかに口元を弛緩させて言った。
「……縁というものは真に奇なるもの。齋和という大きな力に導かれてここに来てみれば、その周囲で新星の如くか弱き瞬きを放つ者達に出逢えた」
「なんじゃと⁉ では、この者達は……?」
驚嘆する齋和。
澪は無言のまま小さくうなずく。
何の事か分からない楽毅達は、首を傾げるしかなかった。
「どういう事?」
「なぁに、世界は廣いようで狭い。それを痛感しただけじゃ」
楽毅の問いに笑みと共に答えた齋和は、
「澪、こやつらを視てやってくれ。運命を知った上で、その運命とどう向き合ってゆくのか、ワシも見てみたくなったぞ」
彼女達の思いを後押しするように言うのだった。
澪は三人の顔を一見し、
「……この者達にも相応の覚悟があるようだし」
了解した、と涼やかな声色で告げた。
「「「ありがとうございます!」」」
三人は澪に拝手し、その後で齋和にも向ける。
「……では、この宿の一室を借りてそこで視る事にしよう」
楽毅達が宿泊する予定の宿に入る澪。
その後を楽毅達が追う。
「はてさて、一体どうなる事やら」
茜色に染まった夕空を見上げながら、齋和は誰に言うでもなくそう呟くのだった。