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第7話 全ては【天輪】の理のままに

「あ、あの……お取り込みのところ申し訳ございません」


 刹那、そう言って切りこんでいったのは田単でんたんであった。


「私は寡聞かぶんにして陰陽道おんみょうどうなるものを初めて耳にしましたが、それは儒家じゅか道家どうかに伝わる陰陽五行いんようごぎょうの思想と関係があるのでしょうか?」


 探究心旺盛な彼女らしく、相手の得意分野に話を振る事で関心を引き、口論をうやむやにしてしまおうという意図であろうか。あるいは、単純に己の探究心を満たす為であったのかも知れない。


「……関係ある。というより、陰陽道おんみょうどう儒教じゅきょう道教どうきょうなどに用いられる陰陽五行いんようごぎょうの思想を引き継ぎ、それをさらに突きつめたもの」


 つまりは盗用パクリじゃな、という齋和さいかの横槍を無視してれいは続ける。


「自然界の万物は陰と陽の二気から生じ、全ての事象が陰と陽、そして木・火・土・金・水の五要素の組み合わせによって成り立っている。これが陰陽五行いんようごぎょう思想のあらまし。万物はこれら陰陽五行いんようごぎょうにのっとり互いに作用し合い、同じ事象をひたすら繰り返してゆくもの……。生まれ、流れ、滅び、また生まれる。これを繰り返してゆく。これがワタシの提唱する宇宙観……」


 言葉の波が連なる様に、楽毅がくき達の心の中にドッと押し寄せる。


「万物は流転する……つまり、宇宙はひとつの大きなたまきという事でしょうか?」


 全てが理解出来た訳ではないが、楽毅がくきは彼女なりの着想イメージを口にする。


しかり。宇宙とは悠久とこしえに廻り廻るたまき──これを【天輪てんりん】という。【天輪てんりん】こそが【大いなる意思】によって定められた、この宇宙における唯一にして絶対不滅のことわり


「【天輪てんりん】……。【大いなる意思】……。」


 それらは初めて耳にする言葉であった。

 途方も無く壮大な話過ぎて楽毅がくきはその全貌までは掴めずにいたが、それでも目の前の小さき少女が語る言葉のひとつひとつは孫翁そんおう齋和さいかのものと同じく、心に深く響く力強さを内包していた。


「でも、ですよ。仮にそれが真理だとしたら、ジブン達人間は一体何なんスか?」


 それまで黙って話を聞いていた趙奢ちょうしゃが、いつに無く強い口調でれいに問い詰める。


「その【天輪てんりん】とかいうものが本当に宇宙の真理なのだとしたら、人間はあらかじめ定められた台本シナリオを演じている、いや、演じさせられているだけの道化ってコトじゃないっスか⁉」


 普段は温和で闊達かったつ趙奢ちょうしゃがここまで怒気を含んで真剣になる様を、楽毅がくきは初めて見た。


「……驚いた。あの話だけでそこまで想到そうとうできた者は初めて」

「おべっかは結構っス。答えてほしいっス!」


 れいはひとつ間を置いてから、そのとおり、とつぶやき、さらに続けた。


「【天輪てんりん】のことわりに照らし合わせれば、人間のみならずこの世に生きとし生ける全ての命は【天輪てんりん】を遂行させる為の歯車……とも言える」

「何スか、ソレは⁉ だったら、人生なんて最初から無意味じゃないっスかッ!」

「……無意味?」

「そうじゃないっスか。どんなに努力して宰相さいしょうになったとしても、どんなに無為に過ごして人しれず野垂れ死んだとしても、結局人の運命は『神』だか『大いなるイシ』だか何だか知らない偉いヤツのたなごころってコトっスよね⁉︎」


 趙奢ちょうしゃは感情的に叫んでいた。

 その目元には涙がにじんでいる。


「……アナタは思い違いをしている」

「え?」

宰相さいしょうになろうが斃死へいししようが、それはあくまでも個人の問題。個が【天輪てんりん】におよぼす影響など眇々びょうびょうたるもの」


 それくらいひとつひとつの生命いのちはこの宇宙の中ではちっぽけな存在、とやや蒼みがかった黒髪を一度かき上げてれいは言った。


「しかし、人は他者とえにしという糸で結ばれ、それをつむいでゆく生き物。個が集って衆となり、衆が交わって世界を動かす。巡り巡るえにしの連なりが歴史をつくる。すなわち、【天輪てんりん】を廻す」


 つまり、個の力では【天輪てんりん】はびくともしないが、個が衆を形成する事によって初めて【天輪てんりん】を廻すだけの力となり得るのだ、と言う。


 えにしの糸──これに関しては以前、齋和さいかからも聞いていた為、楽毅がくきはすんなりと理解する事が出来た。


「う、うぅん……何となくわかるんスけど。でも、どこか納得いかないんスよね~」


 怒りは収束した様だが、それでも趙奢ちょうしゃ胸裡きょうりにはまだしこりのようなものが残っているのも事実であった。


「……納得する必要は無い。大多数の者はそれに気づかずに一生を終え、仮に知ったところでやはり大半の者はそれに気づかぬフリをする。それを受け入れるもよし。それにあらがってみるのもよし」

「全ては【天輪てんりん】のことわりのままに……っスか?」


 趙奢ちょうしゃのその言葉にわずかに瞠目どうもくするれいであったが、すぐに元の無表情に戻ると、


「……しかり」


 と一言で答える。

 しかし、その口元はわずかに弛緩しかんしているように楽毅がくきの目には映ったのだった。

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