「あ、あの……お取り込みのところ申し訳ございません」
刹那、そう言って切りこんでいったのは田単であった。
「私は寡聞にして陰陽道なるものを初めて耳にしましたが、それは儒家や道家に伝わる陰陽五行の思想と関係があるのでしょうか?」
探究心旺盛な彼女らしく、相手の得意分野に話を振る事で関心を引き、口論をうやむやにしてしまおうという意図であろうか。あるいは、単純に己の探究心を満たす為であったのかも知れない。
「……関係ある。というより、陰陽道は儒教や道教などに用いられる陰陽五行の思想を引き継ぎ、それをさらに突きつめたもの」
つまりは盗用じゃな、という齋和の横槍を無視して澪は続ける。
「自然界の万物は陰と陽の二気から生じ、全ての事象が陰と陽、そして木・火・土・金・水の五要素の組み合わせによって成り立っている。これが陰陽五行思想のあらまし。万物はこれら陰陽五行にのっとり互いに作用し合い、同じ事象をひたすら繰り返してゆくもの……。生まれ、流れ、滅び、また生まれる。これを繰り返してゆく。これがワタシの提唱する宇宙観……」
言葉の波が連なる様に、楽毅達の心の中にドッと押し寄せる。
「万物は流転する……つまり、宇宙はひとつの大きな環という事でしょうか?」
全てが理解出来た訳ではないが、楽毅は彼女なりの着想を口にする。
「然り。宇宙とは悠久に廻り廻る環──これを【天輪】という。【天輪】こそが【大いなる意思】によって定められた、この宇宙における唯一にして絶対不滅の理」
「【天輪】……。【大いなる意思】……。」
それらは初めて耳にする言葉であった。
途方も無く壮大な話過ぎて楽毅はその全貌までは掴めずにいたが、それでも目の前の小さき少女が語る言葉のひとつひとつは孫翁や齋和のものと同じく、心に深く響く力強さを内包していた。
「でも、ですよ。仮にそれが真理だとしたら、ジブン達人間は一体何なんスか?」
それまで黙って話を聞いていた趙奢が、いつに無く強い口調で澪に問い詰める。
「その【天輪】とかいうものが本当に宇宙の真理なのだとしたら、人間はあらかじめ定められた台本を演じている、いや、演じさせられているだけの道化ってコトじゃないっスか⁉」
普段は温和で闊達な趙奢がここまで怒気を含んで真剣になる様を、楽毅は初めて見た。
「……驚いた。あの話だけでそこまで想到できた者は初めて」
「おべっかは結構っス。答えてほしいっス!」
澪はひとつ間を置いてから、そのとおり、と呟き、さらに続けた。
「【天輪】の理に照らし合わせれば、人間のみならずこの世に生きとし生ける全ての命は【天輪】を遂行させる為の歯車……とも言える」
「何スか、ソレは⁉ だったら、人生なんて最初から無意味じゃないっスかッ!」
「……無意味?」
「そうじゃないっスか。どんなに努力して宰相になったとしても、どんなに無為に過ごして人しれず野垂れ死んだとしても、結局人の運命は『神』だか『大いなるイシ』だか何だか知らない偉いヤツの掌ってコトっスよね⁉︎」
趙奢は感情的に叫んでいた。
その目元には涙がにじんでいる。
「……アナタは思い違いをしている」
「え?」
「宰相になろうが斃死しようが、それはあくまでも個人の問題。個が【天輪】におよぼす影響など眇々たるもの」
それくらいひとつひとつの生命はこの宇宙の中ではちっぽけな存在、とやや蒼みがかった黒髪を一度かき上げて澪は言った。
「しかし、人は他者と縁という糸で結ばれ、それを紡いでゆく生き物。個が集って衆となり、衆が交わって世界を動かす。巡り巡る縁の連なりが歴史を創る。すなわち、【天輪】を廻す」
つまり、個の力では【天輪】はびくともしないが、個が衆を形成する事によって初めて【天輪】を廻すだけの力となり得るのだ、と言う。
縁の糸──これに関しては以前、齋和からも聞いていた為、楽毅はすんなりと理解する事が出来た。
「う、うぅん……何となくわかるんスけど。でも、どこか納得いかないんスよね~」
怒りは収束した様だが、それでも趙奢の胸裡にはまだしこりのようなものが残っているのも事実であった。
「……納得する必要は無い。大多数の者はそれに気づかずに一生を終え、仮に知ったところでやはり大半の者はそれに気づかぬフリをする。それを受け入れるもよし。それに抗ってみるのもよし」
「全ては【天輪】の理のままに……っスか?」
趙奢のその言葉にわずかに瞠目する澪であったが、すぐに元の無表情に戻ると、
「……然り」
と一言で答える。
しかし、その口元はわずかに弛緩しているように楽毅の目には映ったのだった。