午後になり、楽毅達は即墨の邑へと引き上げた。
齋和とその食客の二人も一緒で、今夜は齋和の取った宿にそろって泊めてもらう運びとなったのだ。
黄海の浜から即墨の邑に着いたのは、日がだいぶ西に傾いた夕方の事だった。
「わぉ、ホントにそんなスゴイとこに泊めてもらえるんスか?」
「うむ。このワシが一言口ぞえすればたやすい事よ」
齋和の力強い言葉に趙奢が歓喜する。
「ねェ、聞いたっスか? 海鮮盛りっスよ、海鮮盛り。ジブン、初めてっスよ~」
「わたしも海の幸は初めてだわ。楽しみね」
「【斉】生まれの私でもたまにしか口にした事がありません。楽しみです」
今晩の食事の話題で三人はワイワイと盛り上がる。
「あら? あの人だかりは何かしら?」
楽毅達が目的の宿の前にたどり着くと、通りの先から十人以上もの民衆が群れを成してやって来るのを見かける。
のどかな邑だけに、その集団の話し声はより喧騒に感じられた。
よく見ると、その集団の中心にひとりの小柄な少女の姿が垣間見えた。
黒い──まるで黒鳥の如く黒一色で染められた重厚な衣服をまとったその少女の様相を見て、楽毅はハッと目を瞠った。
齋和の後ろに控える馮と驩も黒ずくめであるが、その少女のまとう黒はより深く、より重く感じられた。そして何より意匠が独特で、中華民族のものとは明らかに異にしていた。
異国人の血を引く楽毅の容姿も相対的に見れば異様だが、その少女の様相も同じように異様と言えるものであった。
黒衣の少女に率いられたその集団は、まっすぐ楽毅達の元に近づいて来る。
楽毅達は思わず息をするのも忘れ、魅入られたようにそれを見つめていた。
集団は楽毅達のすぐ側までやって来るとピタリと立ち止まり、左右に散り、黒衣の少女がそこに出来た道を悠然とした足取りで進む。
「……強い力に惹かれてここまでやって来たのだけど。またアナタだったの……齋和」
年齢は齋和と同じ十二、三歳──あくまで外見年齢だが──だろうか。
その少女は白蠟のように肌が白く無感情な面持ちで、吐き出したその言葉もやはり何の感情も持たない、まるで氷の刃の如く冷たいものに感じられた。
「フンッ! そっちが勝手にワシにつきまとってるだけじゃろう、澪よ!」
心外だ、とばかりに鼻白む齋和。
「齋和ちゃんのお知り合いっスか?」
「うむ。迷惑な話じゃがな」
趙奢の問いに、齋和は渋い表情で語り出した。
「この趣味の悪い娘は澪というてな。陰陽道などというこれまた怪しげなものを広め廻っているという変わり者じゃ」
──散々ないわれようね。
楽毅は思わず苦笑する。
「……陰陽道は怪しいものではないし、それに喧伝しているワケでもない。周囲が勝手に囃し立てているだけ……」
澪と呼ばれた少女は独特の間と淡々とした口調で言うが、心なしか先程よりもわずかに苛立ちがこもっているように感じられた。
「どうだかのう。今だってこうして取り巻きを率いて愉悦そうに歩いて来たではないか。実のところ、持て囃されて満更でもないのじゃろう?」
したり顔で返す齋和。
どうやら彼女は自分と同じように世間から注目されている存在をどうしても認めたくないようだ。
「……相変わらずアナタの言動は支離滅裂。彼らはワタシに相談に訪れた客人であって取り巻きではない。アナタの方こそ、偶像を気取って食客にちやほやされて、さぞかし愉悦なのでは?」
「ぬうぅ……。偶像はちやほやされてなんぼの存在じゃ。オヌシのような根暗な娘には到底務まらぬ崇高な職種なのじゃぞ!」
「……陰陽道のなんたるかも理解出来ない様な低次元の頭で務まるくらいなのだから、偶像の底の浅さがうかがえる」
「何じゃと⁉ オヌシなんか友達がおらずいつもひとりぼっちではないか。本当はさみしいのじゃろう⁉︎」
「……アナタこそ、前髪の後退が気になってそろそろ髪型を変えようか迷っているクセに」
「ぼっち!」
「……デコ」
双方の水掛け論はどんどんと低次元化し、ついには互いの劣等感を罵り合う始末であった。
「……馮さん? お二人は仲が悪いのですか?」
「いいえ。ああ見えて実はとてもウマが合うんですよ」
傍観を決めこんでいる馮が、やや呆れたような口調で答える。
その言葉に妙に納得してしまう楽毅であったが、今はこの不毛な争いをどうやって収めるべきかと頭を悩ますのだった。