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第5話 良妻賢母になると思いますよ

「確か、楽毅がくきのお父様も【中山国ちゅうざんこく】の将軍でしたよね?」

「うん……」


 田単でんたんの問いにうなずく楽毅がくき


 自身が【せい】と断交している【中山国ちゅうざんこく】の出身であることを、楽毅がくきは師や仲間にすでに告げていた。

 その時、誰一人彼女を責める者はいなかった。学問を学ぶのに国籍や政情など関係無い、という思いが皆に行き渡っていたのだ。


「【中山国ちゅうざんこく】の将軍、楽峻がくしゅんか……。ワシは会ったことは無いが、謹厳実直きんげんじっちょくの人物と伝え聞く」


 父の事を褒められ、楽毅がくきは自分の事のようにうれしく感じる反面、気恥ずかしさも否めなかった。


「しかし、それだけに【中山ちゅうざん】王の驕溢きょういつぶりは嘆かわしいばかりじゃ」


 齋和さいか辛辣しんらつな言葉に楽毅がくきは返す言葉もなくうつむく。


 彼女の言う通り、【中山ちゅうざん】王・姫錯きさく傲慢ごうまんにして狭量きょうりょうな人物で、それは【中山ちゅうざんびとである楽毅がくきには痛い程に分かりきった事実であった。


 齋和さいかは主君である【せい】王をも事あるごとにこき下ろしているが、きっと彼女にとって【中山ちゅうざん】王と【せい】王は同質なのだろう。


「確か【せい】と【中山国ちゅうざんこく】って、前は同盟を結んでいたんスよね? なのに何で今はこんなに険悪なんスか?」


 趙奢ちょうしゃの疑問はもっともであった。

 たしかに両国はほんの十年程前までは交誼こうぎを保っており、共に【ちょう】や【えん】を攻めてこれに勝利した事もあった。

 しかし、この勝利こそが【中山ちゅうざん】王の目を狂わせる起因だった。己が強いものと過信し始めた【中山ちゅうざん】王は、やがて王号を欲するようになったのだ。


 そもそもこの時代の正当な王朝は【しゅう】であり、あくまでも他の諸侯は【しゅう】王から爵位を授かった代理の君主に過ぎない。しかし、いつしかそのような形式は形骸化けいがいかしてしまい、今では七雄しちゆうと呼ばれる七ヶ国はこぞって王号を称しているというのが現状だった。


 【中山ちゅうざん】王は元々は“【中山ちゅうざん】公”であり、七雄しちゆうに肩を並べる程の強国でもない。その【中山ちゅうざん】公が王を称すると知った【せい】王は激怒し、決してこれを認めようとはしなかった。

 しかし、これを後押ししたのが【ちょう】の武霊王ぶれいおうだった。

 これに気をよくした【中山ちゅうざん】公はついに【中山ちゅうざん】王を称し、この一件で【せい】は【中山国ちゅうざんこく】との同盟の解消を決意した。

 【中山ちゅうざん】王は【せい】という大国との交誼こうぎよりも、己の虚栄心きょえいしんを満たす事を優先したのだ。


 楽毅がくきはこれらの事情を説明した。


「称号ひとつでヘソを曲げる【せい】王もたいがいじゃが、称号に固執こしつしそのような泡沫うたかたの名誉に胡座あぐらを欠く【中山ちゅうざん】王も同じ穴のムジナじゃな」


 齋和さいかは眉間にしわを寄せながら息巻く。


「こうなったらアレじゃな、楽毅がくき。オヌシが【中山国ちゅうざんこく】の太子たいしを誘惑して正妻となり、これを操って愚昧ぐまいな王を放逐させるしかないのう?」


「え、えェェェェェッ⁉」


 齋和さいかの言葉に、楽毅がくきは思わず飛び上がるように上半身を起こす。


「お、いいっスねェ。未来の王妃、楽毅がくきちゃん!」

楽毅がくきならきっと良妻賢母りょうさいけんぼになると思いますよ」

「今の内にそのからだをキレイに磨いておくことじゃな。特に、そのムダに大きなおっぱいを」


 ニヤけた顔で皆が次々と茶化す。


「もぅ、やめてよ~~ッ!」


 たこのように顔を赤らめた楽毅がくきの叫びが浜辺に響き渡る。


「わたし、そんなつもりないから」


 元々誰かの元に甲斐甲斐かいがいしくす事を嫌って臨淄りんしへとやって来た経緯のある楽毅がくきである。相手がたとえ太子たいしであっても、それは彼女の望まぬ道であった。


「それは残念じゃのう。【中山国ちゅうざんこく】にとってそれが最良の道と思ったのじゃが……」


 本気で落胆したしたように、大きなため息を齋和さいか

 もう、と苦笑する楽毅がくき


「それよりも懸念なのは──」


 そう言いかけた楽毅がくきだったが、趙奢ちょうしゃの顔を見てハッとし、すぐに口をつぐんだ。


 首をかしげる趙奢ちょうしゃ


「どうしたんスか?」

「ゴメン、何でも無いの……」


 結局楽毅がくきはそう言ったきり、すっかり黙り込んでしまうのだった。

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