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第2話 みな変人ぞろいじゃな

 臨淄りんしより東に即墨そくぼくという地がある。

 海に近い事もあってこのまちは製塩が盛んであり、大国・【せい】の経済を支える重要な拠点であった。


 夏が盛りを迎えたころ楽毅がくき田単でんたん趙奢ちょうしゃと共にこの即墨そくぼくのさらに東にある黄海こうかいの海岸に立っていた。

 孫翁そんおうの兵学所は二週間の夏休みに入っており、それを利用して休養の為に訪れたのだ。


「これが海……」


 洋々ようようと続く青い色彩の景色に圧倒された楽毅がくきが感嘆をもらす。


「笑っちゃうくらいデカいっスね」


 趙奢ちょうしゃも眼鏡越しに大きな瞳をしばたたかせながらぼうっとつぶやいた。


「二人とも、海を見るのは初めてでしたか?」


 田単でんたんの問いに、二人はコクリとうなずく。

 楽毅がくきの故郷である【中山国ちゅうざんこく】も趙奢ちょうしゃの故郷の【ちょう】も、内陸に位置している為に海とは縁が無かった。


「この海が見れただけでも、【せい】に来た甲斐があったわ」


 繰り返し寄せては返す波を見つめながら、楽毅がくきがしみじみとつぶやく。


「この海のどこかに仙人たちが住まう蓬莱山ほうらいさんがあると聞いたのだけど、本当かしら?」

「それは──」


 楽毅がくきの問いに田単でんたんが答えるより先に、


「それは迷信じゃ!」


 突然この場に現れた少女の威厳に満ちた声がキッパリと断言する。


「も、孟嘗君もうしょうくんッ⁉」


 楽毅がくきのその言葉に、他の二人も、えっ、と驚きの声を上げる。


 孟嘗君もうしょうくんといえば【せい】のみならず中華大陸全土にまでその声名を響かせる超偶像スーパーアイドルである。しかしそこにいるのはどう見ても十二歳くらいの、左右結びツインテールでおデコの広い少女であった。


「あ、貴女があの孟嘗君もうしょうくん……ですか?」

「いかにも。ワシが孟嘗君もうしょうくんこと田文姫でんぶんきである。しかし、今は齋和さいかとして私的プライベートで来ておる。だから齋和さいかと呼ぶがよいぞ」


 田単でんたんの問いに少女はふんぞり返って答える。

 趙奢ちょうしゃは目をぱちくりさせたまま動かない。


趙奢ちょうしゃ、どうしたの?」

「……か」

「か?」

「カワイイぃぃぃぃぃィッッッス‼︎」


 突然、趙奢ちょうしゃは目を星のようにキラキラと輝かせ、齋和さいかに飛びつく。

 その豹変ぶりに驚いた楽毅がくきは思わずけ反った。


「い、いきなりナンじゃ、コヤツは⁉︎」

齋和さいかちゃんカワイイっス、柔らかいっス、サイコーっス!」


 唐突に抱きつかれ戸惑う齋和さいかの頬に、趙奢ちょうしゃ容赦ようしゃ無く顔をすり寄せ、荒々しい鼻息を放つ。


趙奢ちょうしゃってカワイイものに目が無かったのね」

「それは意外でした」


 楽毅がくき田単でんたんは納得したようにしきりにうなずく。


「コラぁ、そこの二人! 勝手に納得してないで早くコヤツをなんとかせんかァッ!」

「う~ん、モチ肌~ぁ。プニプニしてて気持ちイイっス~!」

「め、眼鏡が……さっきから眼鏡が顔に当たって痛いしうっとおしいわいッ!」


 必死の攻防は尚も続く。


趙奢ちょうしゃ、もうそれくらいにしなさい」

「そうですよ。あんなにイヤがってるじゃないですか」

「あぁン、いけず~ぅ」


 二人掛かりでようやく趙奢ちょうしゃを引き離す。


「ハァハァ……。こ、コヤツは魔人じゃ。眼鏡魔人じゃ」


 相当苦しかったらしく、齋和さいかは顔面蒼白となって乱れた呼吸を整えるのだった。


「ゴメンなさいね、齋和さいか。まさか趙奢このコにあんな趣味があったなんて知らなかったものだから」

「ふむ。まあ、ワシの心はこの黄海こうかいよりも広いからのう。許してつかわすぞ」


 冷静を装い、あくまで強気な態度を崩さない齋和さいかの姿に、楽毅がくきは思わず苦笑いを浮かべた。


「そう言えば齋和さいかちゃん。さっき、蓬莱山ほうらいさんは迷信だって言ってたっスけど、それは本当なんスか?」


 田単でんたんに後ろから羽交はがい締めにされたまま、趙奢ちょうしゃたずねる。


「うむ。この海の先に仙人の住まう蓬莱山ほうらいさんなどというものは無い。葦原あしわらという小さな島々からなる国ならあるがのう」

葦原あしわら?」


 それは初めて聞く名で、楽毅がくき達はそろって首をかしげる。


「うむ。自然が豊かで美しい四季の風景が広がる所らしい」

蓬莱山ほうらいさんが迷信である事はなんとなく察してましたが、その葦原あしはらという国の名は私が今まで見たどの文献にも載っておりませんでした。孟嘗もうしょうく……いえ、齋和さいかどのはなぜそんなにお詳しいのですか?」


 普段から勉強熱心でマジメな田単でんたんが、興味津々といった感じでたずねる。


「まあ、ワシ自身は葦原あしわらに行った事は無いのじゃがな。ワシの育ての親である伯翁はくおうが元々そこで暮らしていたらしいのじゃ」

「ということは、伯翁はくおうどのは葦原人あじわらびとなのですか?」

「う~む。……まあ、そう言えなくもないのう」

「す……すばらしいですッ!」


 齋和さいかの答えに、田単でんたん爛々らんらんと瞳を輝かせる。


 先程の一件が恐怖トラウマとなっているのか、齋和さいかは思わず楽毅がくきの背後に回りこみ、身をすぼめてジト目を向ける。


「あ、私は趙奢ちょうしゃみたいな趣味は持ち合わせておりませんのでご安心ください」


 警戒心をあらわにする齋和さいかに一言告げた上で、


「私は本の虫です。何よりも知識を欲しておりますが、経験こそが至高の知識と心得ております。その経験を豊富に持った御仁が身近におられる齋和さいかどのは本当にすばらしいです!」


 冷静クールな印象からは想像も出来ない程の興奮を発露させるのだった。


「あ、ああ。そうじゃな……」


 しかし、齋和さいかにとってはカワイイものに目が無い趙奢ちょうしゃも異様なまでに知識に貪欲な田単でんたんも五十歩百歩に感じられ、本気で引いてしまうのだった。


楽毅がくきよ。オヌシの学友はみな変人ぞろいじゃな」

「へ、変人……?」

「うわぁ、そこまで直球ストレートに言われると本気でへこむっスよ〜」


 齋和さいかの言葉に衝撃ショックを受けて項垂うなだれる二人。そんな光景に、楽毅がくきはただただ苦笑するしかなかった。


「やっと追いつきましたよ」


 その時、後方から女性の涼やかな声がかかる。振り返ると、浜辺をゆっくり下りて来る一組の男女の姿があった。その二人は真夏という時分にも関わらず、全身黒ずくめという様相をしていた。


ふうさん。それにかんさん」


 それは齋和さいか食客ファン兼付き人で、楽毅がくきもよく知る人物であった。


「お久しぶりですね、楽毅がくきさん。また齋和さいかがご迷惑をおかけしたのでしょう?」

「何を言う。迷惑をこうむったのはワシの方じゃ!」


 ふうの言葉に齋和さいかが口を尖らせて憤然と抗議する。


「本当にゴメンなさいね。このコったら、目を離すとすぐに一人で暴走しちゃうから」

「ぬうぅ、無視か? 超偶像スーパーアイドルであるこのワシを完全無視か?」

「おいたわしい限りでございます」


 構わず話を続けるふう

 全身で抗議の意を体現する齋和さいか

 そんな齋和さいかの姿に涙しながらも何の助け舟も出さないかん

 まるで寸劇コントのようなそのやりとりは、彼女達の日常の光景であった。


「もうよい。ワシは泳ぐ!」


 そう言うと齋和さいかは衣服を豪快に脱ぎ、それをかんの顔に向けて叩きつけるように投げる。

 思わずハッと息を呑む楽毅がくき達。

 しかし、そこに現れたのは鮮やかなオレンジ色の水着であった。先に衣服の下に仕込んでいたのだ。


齋和さいかちゃん、泳ぐ気満々っスね……」


 最初から水着を着て海水浴場にやって来るのは子供くらいなものだ、と誰もが思ったが、よくよく考えたら外見はどこからどう見ても子供なのでこれで正しいのだ、と思い直すのだった。


「じゃあ、わたしたちも着替えようか?」


 水着へと着替えるため、近くにある無人の小屋へと楽毅がくき達は入って行った。

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