結局この競走を的中させた事によって賭け金は六千銭へと膨れ上がり、二人はより緻密な作戦を練る事が可能となった。つまり、複数点賭ける事によってより確実に勝ちを拾う展開を作れる様になったのだ。
こうして続けて三つの競走を消化した時点で、三百銭しかなかった賭け金は実に百倍となる三金となった。
「だいぶお金貯まったね?」
「うむ。じゃが、勝負はまだまだこれからじゃ!」
齋和は自身の胸をポンと一つ叩き、やる気を主張する。
「えっ、まだやるの?」
「もちろんじゃ。次は一点賭けで一気に稼いでみせるぞ!」
息巻く齋和。
正直、楽毅はこれでもう充分だと思っていた。しかし、齋和の方に引く気は無い様である。
楽毅の目から見るに、彼女は勝ちがこみすぎて冷静さを失っている様に思えた。
──もしかして、齋和が前回大負けした理由って……。
短い時間ながらも楽毅が分析したところ、齋和という少女は実に細かい分析が出来、恐らく楽毅の助言が無くとも充分に勝てたと思われる。しかし、彼女は引き際というものを心得ていなかった。勝つのは良いが、必要以上に勝ち過ぎると後で足をすくわれる。齋和の剛胆さは、時として裏目に出る事もあるのだ。
──まあ、それもこのコの魅力なのかも知れないわね。
楽毅はため息交じりにそんな風に思った。
そして、どのようにして彼女を説得すべきか思案していた、その時であった──
齋和が何かに気づいたように、あっ、と声を上げると彼女はすぐさま脇にあった係員用の机の下に潜りこんでしまう。
「急にどうしたの?」
「シーッ! よいか、ワシの事を問われても知らぬ存ぜぬを通すのじゃぞ?」
ピンと突き立てた人さし指を口元にあてながら、彼女は小声で訴えた。
一体どういう事なのか分からず首をかしげる楽毅。
前方を見ると、とても競馬に興じているようには見えない黒ずくめの男女が二人、何かを探しているように辺りをキョロキョロと見廻していた。
彼らはやがて楽毅の前にやって来ると、
「すみません、十二歳くらいの小さな女の子を見かけませんでしたか? 左右結びでおデコが広くて時代がかった喋り方をする小生意気なコです」
と、まくし立てるように訊ねてくる。
──それってどう考えても……。
齋和の事であった。
しかし、彼女に口止めされているので、
「いいえ、見てません」
素知らぬ顔で惚けるのだった。
ありがとうございました、と言って黒ずくめの二人組は足早に去って行く。
「……もう大丈夫よ」
彼らの後ろ姿が完全に見えなくなった頃合いで、机の下でダンゴ虫のように丸まっている齋和に呼びかける。
「う、うむ。恩に着るぞ」
机の下からひょこっと抜け出し、着物に付いたホコリを落としながら、彼女は威厳を崩す事無く言った。
──このコ、やっぱり……。
貴族か何かの令嬢なのでは、と楽毅は確信した。
家出なのか事情は分からないが、恐らく齋和は誰にも行き先を告げる事無く、ひとりで外に出たのだろう。先ほどの黒ずくめの二人組は小間使いか何かで、彼女を連れ戻す為に探し廻っているのではなかろうか。
もしも齋和がただワガママなだけの家出娘であったなら、楽毅はすぐにでも家に帰すべきだと思った。しかし、ほんのわずかな時間ではあるが楽毅から見た齋和という少女は確固たる意思を持ち、きちんと自己責任を果たせるだけの器量を備えている様に思えた。だからきっと用事――友達のもてなしを完遂させれば自ら家に戻るだろう、と楽毅は判断した。
「オヌシの言う通り、今日はこのくらいで切り上げて友のところへ行くのが良さそうじゃ」
しきりに周囲を気にしながら、齋和はそう言った。
「そうね。それが良いわ」
元々どのようにして切り上げさせようか思案していた楽毅は、その手間が省けて内心ホッとする。
先程の小間使いとおぼしき二人組に感謝したいくらいであった。