やせ細った臨淄の土壌は農耕には適さない。そのために製塩・製鉄などの工業が昔から盛んで、今では中華大陸屈指の工業都市となっている。
邑内は井字型に大きな路が敷かれ、工業区や商業区といった区画整備が成されている。
実に整然かつ合理的に建造されたその大都市は、もはや芸術的とも言える。
──不完全で、何ひとつ誇れるものの無いわたしとは大違いだわ。
|自嘲する楽毅。
そんな彼女の事情などお構い無しに、通りは商売人や通行人でごった返し、活況を呈していた。
商人の活動の動機は単純明解である。彼らは常に利に基づいて生きている。それはひいては家族を養う為、つまり愛に生きる事にも繋がる。
中には巨万の富を得て、それを武器に権威を買おうと野心を抱く者もいるかも知れない。
また、かつて商人でありながら資産を投じて治水事業を行った伯翁を習い、義に生きようとしている者もいるのかもしれない。
いずれにしても楽毅の目にはそんな商人の姿を逞しく思うと同時に、自分にはああいう生き方は出来ないと達観するのだった。
「そういえば、孟嘗君がまた【斉】王様とケンカされたそうだ」
「【趙】では何でも胡服騎射という制度が正式に採用されたらしい」
「【秦】が【韓】の宜陽の地をついに落としたぞ」
喧騒が夾雑する中でよく耳をすましてみると、商人達のそんな会話が聞こえてくる。
楽毅は今まで彼らの会話を意識して聞いた事は無かったが、よくよく考えてみれば中華大陸の各地を回っている商人は、最先端の情報源である事に今さらながら気づくのだった。
──孟嘗君と【斉】王は、やっぱり仲がうまくいってないんだわ。
孟嘗君──
それは【斉】の現在の女性宰相であり、三千人もの食客を抱える言わずと知れた中華大陸一の偶像の事である。
本名は田文姫。孟嘗君はいわば芸名でありまた、また限られた偶像にのみ与えられる称号でもあった。
また、薛という地を自領として賜っている為に、薛公とも称される。
楽毅は【斉】にやって来てからひと月ほどになるが、いまだに孟嘗君を拝見した事は無かった。
噂によれば容姿端麗にして才色兼備。八面玲瓏にして頭脳明晰。年齢不詳だがとても若々しく、運良くその姿を拝見出来た者は寿命が三年延びるとか、彼女のおデコを擦ると幸福がもたらされる、とさえ言われている。
もちろん噂は飽くまでも噂であり、どこまでが本当の事なのかは分からない。
そして、現在の【斉】王である湣王は傲慢かつ強欲な性質で、王である自分よりも大きな影響力を持つ孟嘗君を疎ましく思い、政治の中枢から遠ざけたがっている、ともっぱらの噂であった。先代や先々代の王と違い、国が繁栄を迎えた時期に生まれ育っただけに苦労を知らず、国の隆盛を己の人徳によるものと盲目しているような男なのだから、これも仕方の無い事なのだろう。
──【趙】が胡服騎射を取り入れたという噂、本当だったんだ。
胡服とは、【趙】の北方に暮らす胡人の服装のことで、騎馬民族である彼らは騎乗に適した脚衣を着用している。騎射は馬上からの射撃のことで、北方民族の基本的な戦闘形態だ。
しかし、中華民族は伝統衣装に誇りを持ち、馬に直接跨がる事を蛮行と見なしている。それでも今の【趙】王──武霊王──は合理的という理由で異文化であるこの胡服騎射という形式の採用を決断し、反対する家臣を粘り強く説き伏せたのだった。
これから【趙】は騎馬を中心とした軍事編成を行うのであろう。
果たして、武霊王が思い描く仮想敵国はどこなのか?
【中山国】は【趙】に囲まれる様に隣接しており、今はまだ友好的な関係を保てているものの、いつかその獰猛な牙を向けて来るのでは、と楽毅の胸に一抹の不安が宿るのだった。
──【秦】は宜陽を落とすのに半年もかかった。【韓】も【秦】も疲弊しているでしょうね。
【秦】の武王が【韓】を攻撃していた事は、まだ【中山国】にいた頃に楽毅は父から聞いていた。いや、正確には父とその家臣が話しているのを偶然耳にしていたのだ。
いずれにしても他国人があまり通わない【中山国】では、このような比較的鮮度の高い情報が市井で飛び交う事はまず無かった。
その点からも【中山国】と【斉】はあまりにも違い過ぎるのだ。