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第十七話『その背中まであと少し』

 北原さんとミヨリさん。

 空き地でこの二人と話をしてから、少し吹っ切れた気がする。


 わたし自身の抱えていたものが軽くなったのもそうだけど、何よりも早音さんが快復に向かっているという報せが嬉しかった――この一報を聞けただけで、あの空き地へと三たび向かった意味があった。虚無の空き地で得た大きな希望。それはわたしが今、最も願っていたものだったのだと思う。


 わたしは職場――営業本社事務室で、ホワイトボード脇に貼られた本日の予定表を見ながら、そんな先日の記憶を噛み締めていた。

 魔も聖も今は関係ない。ただ、早音さんが助かった。それだけでわたしの胸はいっぱいだ。


「ニガバナぁ」


 びっくりした。いつの間にか背後に立っていた社長にいきなり名前を呼ばれたのだ。


「あ、はい」


「心ここにあらずって感じだけど大丈夫? 何かあったの?」


「いや、あの、プライベートで良い報せがあったんです」


「なに? 男絡み?」


「違いますよ。というかそれセクハラですよー」


「いやさ、ニガバナに悪い虫がついたら、私が叩き潰してあげるから」


「物騒ですね。でも安心して下さい。友達の事です」


 社長はうーん、と唸った。


「なら良いんだけどね。ニガバナって少し放っとけないところがあるから。親代わりの私が言うんだから間違いない」


 うちの社長のフルネームは井沢夏美いざわなつみと言う。今年で三十三歳になる。身長は百七十センチの長身だが、無駄な肉はついておらずスタイルも良い。それに綺麗な顔をしている。しかし普段から化粧っ気は無いし、職場での服装も機能的なカーゴパンツにシャツだけといった質素さだ。つまり、内面の強さに相当自信がある。わたしは社長の事を尊敬しているし、頼っている。改めてそう思う。


「午後の配達までまだ時間あるだろ?」


「はい。午後イチは法人行きではなくて個人宅です」


「ならもう少しゆっくりしてれば良いよ。今日のニガバナ、何かソワソワしてるぞ」


「そうですか?」


「恋愛絡みかって勘繰ったよ」


「違いますってば」


 社長は煙草を取り出すと火をつけた。メンソールの匂いが漂う。わたし自身は煙草はわないが、特に匂いが苦手という訳でもなかった。


「昔さぁ」


「はい」


「私が高校の時にね、放課後に男子に告白されて」


「えっ、はい」


「どうしたと思う?」


「断ったんですか?」


「いいや、ぶん殴った」


 わたしは黙った。気が強い社長ならやりかねないという気持ちと、何故「好きだ」と言われて手が出るのだろうと考えてしまったからだ。


「私、その時に訊ねたのよ」


「何を――です?」


「私のどこが好きなの? ってさ」


「そしたらどう答えられたんですか?」


「要約すると、顔と、大きい胸が好きだ。みたいな事を言いやがってね、そいつ」


「は、はあ――」


「見た目だけじゃん。それに私がなびくと思ってたらしいのもふざけてるよね。思わず手が出た」


「年頃の男子が考える事って、少し分かりませんよね」


「うん。そうなの。だからニガバナにもさぁ、幸せな交友関係を作ってもらいたいのよ」


「はい」


「私が殴った男子、それから学校で見かけなかったけど、まあしょうがないよね。私を軽んじて、おまけにセクハラしたんだから。やったらやり返されるよね。ニガバナはやり返す事とかできなさそうだから」


「暴力は苦手です――」


「分かってるよ。あなたが優しい子なのは。だからこそ他人には気を付けるんだよ」


 それからしばらく社長と雑談をし、わたしは午後イチの配達に出た。


 荷物を積んだスクーターを走らせながら、社長ならそれはモテたんだろうなと考える。本当に武勇伝には事欠かない人だ。しかし、もう大人なんだから手は出さないで欲しい。大丈夫だろうけど。


 ――やったらやり返される、か。


 報復の仕組みや心理なんてわたしは知る由も無い。

 ただ感情に支配されて本能的な衝動を呼び起こすだけのいたちごっこだ。だから国家が禁じている。

 わたしの中でも呼び起こされかけていた感情。それは早音さんの仇討ちとして、自分自身を迷宮にいざなっていた。


 ――やり返す事。


 やり返す。


 青信号に変わった交差点を抜けながら、頭の中に何かがよぎった。以前にも、どこかでこの感覚を得た事がある。とても重大で、その尻尾をどうしても掴まないといけないインスピレーション――。


『魔の葬送』のマスター、ルルイエさんの言葉だったか。わたしはもう答えを得ていると――。


 やり返す。


 つまり、被害を受けた者が居る。

 被害を受けた者が報復する。

 結果、そこには加害者の死体が転がる事になる。


 ――被害者は。

 一体、誰なのだろう。


 空き地で死体となっていた平内翔太さん?

 いや、もう一枚レイヤーをめくって考えてみる。

 殺人事件の被害者、平内翔太さんは――加害者だったとしたら。

 報復された結果、殺されたのだとしたら。


 報復?


 誰に?


 ――駄目だ。

 スクーターを運転しながらの思索の迷いは良くない。

 わたしは少し口を結んで運転に集中した。


 決め付けも良くない。疑うのも良くない。今は、勤務中だ。


 無心になるべく努力して、わたしは月辰公園沿いを走る。平日昼間だが、ウォーキング中の老人やカップル達の姿がちらほら見える。しばらく公園沿いを走ると、ハンバーガーショップが見えた。配達先はこの裏路地を少し入った所のはずだ。


 徐行しながら細い路地を走る。そして、配達先の一軒家を発見した。


 通行の邪魔にならないようにスクーターを停め、荷物を手に待つとわたしは玄関脇のチャイムを押す。


「はいはーい」


 気の良い母親然とした中年女性がドアを開けてくれたので、わたしはフルーツロール宅配便ですと挨拶をし、いつもの手続き――荷物を手渡して、受け取り票にサインをいただいた。


「これねぇ、あなたの所が一番配達が早いって聞いてたから、助かったのよ」


 中年女性は嬉しそうに言った。平日の昼間。恐らくこの方は専業主婦だろう。となると、雑談が始まるパターンだ。幸い、次の配達まで少し時間はあるので話に付き合う事はできる。


「ありがとうございます」


 わたしは笑顔を作ってお礼を言った。この仕事は荷物の中身を訊くのはタブーだ。しかし、重量やサイズで何を運んでいるのかは気になる時はある。


「町内で二件も刃傷沙汰が起こったらさぁ、うちもね、やっぱり怖いからね」


 事件の話が飛び出してドキッとしたが、冷静を装う。


「そうですね。早く犯人が捕まってほしいと思います」


「今日届けてもらったこれ、護身用の携帯道具なの」


「あ。そうなんですね。用心するのに越した事は無いですね――」


「特殊警棒って言うの? 伸縮して結構重くて。手軽な武器だって聞いてたんだけど」


「特殊警棒――ですか」


「実を言うと昔さ、うちの息子がこんな武器で殴られた事があってさ、自分で持つのは少し抵抗があったんだけど、物騒だしねぇ」

「はい――」


「空き地の被害者だよ」


「え」


「空き地で刺されて死んでた被害者。知ってるでしょ  空き地の殺人」


「は――はい」


「あの子、平内君って言うんだけど、あの子に昔さ、うちの息子がこういう凶器で殴られたの」


「――」


 平内翔太。


 いきなり出てきた名前に、返事ができなかった。絶句するわたしを同情していると思ったのか、中年女性は話を続ける。


「あの平内君ってさ、遊び人っていうか結構なちゃらんぽらんでね。うちの息子以外にも手を出されたりお金を盗られたりしてた被害者が居たみたい。死んだ人の事を悪く言うのもあれだけど、自業自得だよ」


「そう――なんですか」


「狭い町内だからね。悪い話はすぐに伝わるの。役所通りの辺りを縄張りにしてたみたいでね、恐喝紛いの事もやってて。あそこら辺に住んでるうちの息子の同年代の子たちは、かなり嫌な思いしてたと思うよ」


 役所通り――寅浜建設から、『Cafe 魔術師』の辺りまでだ。


 話が長くてごめんね、と括り、中年女性は雑談を終えた。わたしはお礼と挨拶をし、営業本社への帰路に就く。


 何かが繋がりそうだった。


 もう答えを得ていたはずの、何かがやっと視えそうになっていた。


 わたしは事件に関して、とても単純で重大な事を見落とし、すごく遠回りをしていたのかもしれない。その過程において、魔王の魔と聖女の聖の狭間で、一人で葛藤していた可能性がある。


 社長との会話を思い出す。

 ――やられたらやり返す。


 続いて今のお客様との会話を反芻する。

 ――平内翔太は不良行為が多かった。


 そして、その行動範囲は役所通りをメインとしていた。


 平内翔太に怨恨を抱いていた人間。

 ごく狭い範囲内で。


 何かが頭の中でくぐもっている。ごく最近、誰かに聞いた何かが。


 ――ああ、もう。


 上手く思い出せないもやもやに少し苛立った。

 積尸気さんの魔のことわりを用いてそれを思い出せたら――。


 やがて営業本社に到着した。社長は大物の配達に出かけており、事務所にはわたし一人だった。


 今日は『魔の葬送』へのポロトク配達の予定は無い。後の配達予定も特に詰まってはいない。


 ――とりあえず。


 何かを掴みかけた事は一旦置いておき、今日は普通に仕事をしよう。


 まずは早音さんの快復待ちだ。


 恐らく犯人を目撃した早音さんが証言すれば、事件も終わる――今さら、わたしにできる事など、


 早音さん。魔王積尸気さん。『魔の葬送』のマスターのルルイエさん。サボリーマンの中条さん。寅浜建設の北原さん。その婚約者のミヨリさん。『Cafe 魔術師』オーナーの嘉山さん。うちの社長の井沢夏美さん。聖女の神代さん。そして――殺された平内翔太さんと、まだ捕まらない犯人。


 空き地の事件を通して、わたしは色々な人との縁を、そして深めた。


 そこにわたし自身の活躍は無かった。運命じみた歯車に流されるまま、進むままに生きていたらこうなったというだけだ。


 この事件の解決も、そうなる気がする。


 最終的にどうなるのかは判らない。


 だが、迂回する過程で知った、魔王と聖女の力は本物だと感じる。

 現実を薄ぼんやりとしか認識していなかったわたしにとっての、本物の魔と聖の力。


 それはわたしの人生にどう影響するのだろう。


 ただわたしは、この国道沿いの町から遠くに行きたいと願っていた。

 今もその願いは変わらない。

 だが、わたしは知ろうとし、様々な事を知りすぎた。

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