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第十六話『回遊魚は哲学者の夢を見るか』

 あちらこちらに、このルーフが付いたスクーターを走らせている。

 あの空き地での殺人事件に興味を持ってから。いや、『魔の葬送』を知ってから。それ以前に、何でも宅配業で働き始めてから、ずっと。


 それはわたしの空回りなのだろうか。


 雨模様の空の下、わたしの胸が疼く。


 誰かが言っていた――わたしはもう、答えを得ている、と。

 しかし、わたしにはもう、何が何やら分からなくなっている。積尸気せきしきさんから魔を説かれ、神代さんから聖なる凌辱を受けたわたしには――もう、何もかもが分からない。ただ、スクーターを走らせ、空回っていても、調査の基本中の基本――情報収集を行なう事しか、できない。


 早音さんの屈託の無い笑顔が思い出される。


 彼女のためにも、そして、アイデンティティの迷い子であるわたし自身のためにも、今は調査を続ける。


 雨の勢いが強くなってきた。そしてわたしは『Cafe 魔術師』に到着した。雨宿りも兼ねた情報収集だ。ここのマスターの嘉山さんは、あのザクロ林のベルベット・ルームと繋がりがある。そこをもっと知りたい。いや、知らねばならない。


 わたしはドアを開けた。チリンチリンとベルが鳴った。

「いらっしゃい」垂れ目のマスター、嘉山さんはわたしの方を見て、にっこりとそう言った。「外、雨降り始めてるでしょう?」


「はい。わたしのスクーターは屋根が付いてるので、何とか――」


 そしてカウンター席に座ると、モカを注文した。天気模様のせいか、他にお客はいない。


「暖まって下さいね」


 そう言うとマスターは薄っすら湯気の立つモカのカップをわたしの目の前に置いてくれた。

 少し口をつける。そして考える。どう話を切り出したものか――。


「そういえば襟瀬さん」


「はい」


 マスター――嘉山さんの方から、話しかけてきた。


「設楽さんの所には伺ってみたんですか?」


 心拍数が上がった。あのハンドマッサージと、聖女の力に圧倒されて何もできなかった記憶が見えない縄となってわたしを縛る。


「――はい」


「お悩みは、解決の方向を向きましたか?」


 優しい表情で嘉山さんはそう言うが、その優しい表情が、何よりも辛かった。


「――まだ、わたしの中では折り合いは付きませんが、神代さんは、しっかりした方だと思いました――」


 当たり障りの無い事しか言えなかった。神がかりの巫女に、凌辱されたなどとは――口が裂けても言えない。


「あの設楽さんの所の神代さんは、うちの息子の話を聞いてくれたり、ハンドマッサージをしてくれたりもしてるんですよ」


 わたしの口ごもり方を察してか、嘉山さんは深く訊いてこようとはせず、息子さんの話を始めた。長年の接客業ならではの気の使い方だ。


「一種のカウンセリングみたいな感じなんですか」


「そうですね。うちの息子、こだわりが強いし光や音にも過敏でね。学校だけではなく町の不良たちにもよく絡まれたり、暴行されたりしててね」


「――それは酷い話です」


「月辰町って狭いから病院も少ないでしょう? それにケアのための人手も施設も殆ど無い。だから、設楽さんの所でお世話になれるのは、凄く助かってるんです」


「確かに、神代さんは、頼りになりそうな感じでした」


「うちの息子もね、設楽さん親子には気を許して、よく相談したり身体の不調を正直に訴えたりするんですよ。父である私も知らなかったような事を」


「年頃だと、家族に相談しにくい事は抱えてそうだというのは分かります」


 少し、嘉山さんの表情に翳りが差した。


「そうなんですよ。でも、ある日、顔を腫らしてね、財布も無くして帰ってきた時は察しましたよ。誰にやられたんだってね」


「――そんな」


「狭い町内ですからね。被害届を出しても防犯カメラの映像が無ければどうしようもない。むしろなあなあで澄まされそうになる。他人から見れば『普通』な人間ではないかもしれないが、私にとっては可愛い子供だ。悔しかったですよ」


「心中お察しします」


「狭い町内ゆえに、話もすぐに伝わってくる。私はそれからしばらく息子を外出させませんでした。不良グループから隔離するためにね」


「治安の悪い集団もそうですけど、空き地の殺人事件も未解決のままですしね――」


「そうですね。それに、御浜早音さん――うちに来て下さった、あなたのご友人も」


 そこまで言って嘉山さんは少し俯いた。

 確かに気の滅入る話だった。

 早音さんが意識不明の重体であるのに、わたしは神代さんに凌辱され快楽に喘いでいた。

 嘉山さんの息子さんが偏見から酷い目に遭わされていたのに、それを救っている神代さんの家のザクロ林へ面白半分で見物に行った。


 わたしは――。


「お客様にする話ではなかったですね」


「あ、いえいえいえ。わたし自身にも思い当たる節があって――」


「襟瀬さん、あなたは真面目で真っ直ぐな人間だ。だから悩みがあれば気楽に設楽神代さんを頼れば良いし、うちに来て下さっても良い。あまり苦しまないようにして下さい」


「え。ありがとうございます――」


 嘉山さんは微笑んだ。


「何だか思い悩んでいるように見えたものですから」


 そして、わたしは嘉山さんにお礼を言い、『Cafe 魔術師』を後にした。雨は上がっており、空は鈍い銀色だった。


 ――閉塞感。


 息詰まりそうな町の中を、わたしはぐるぐると走り回っているだけだ。

 そして何の手がかりも得られていない。


 魔。それに聖。答え。町内の色々な人との関わり。すべてが――絡み合って、この事件は正体不明になっている。それに関わったわたし自身の在り方ですら、もうよく判らない。それでも、わたしはこの町内を回遊魚のようにぐるぐる回っていないと――やがて存在すらも消えてしまうのだろうか。


 このまま帰宅するのも煮え切らない。


 ここからそう遠く離れてはいない、あの空き地へ向かおうと思った。三回目だが、何度でも、何度でも食らいついてやる。手がかりを発見するまで。


 スクーターのアクセルを回す手が重い。これで、あの虚無の空き地に三たび向かう事になる。それでも、何も発見できなかったとしたら。


 ――やがて。

 空き地に到着した。


 わたしは少し、目を凝らした――珍しい事に、先客らしき二人組が居る。

 スクーターを停めたわたしはどうしようかと迷う。迷ってのち、迷う事事態が覚悟が決まってない事だと思い至り、スクーターを降りた。


 先客の二人組――男女は、弛んで張られたトラロープ越しに空き地を見ながら何かを喋っている。


 わたしは背後から近付いた。


「あの、すみません」


 男女が驚いて振り返った。


「あ」


 男性が声を上げた。

 わたしも小さく、あ。と声をこぼした。


 ――北原さん。


 この前、『魔の葬送』に来ていた青の作業服姿だった男性だ。今日は薄手のパーカーにジーンズという私服でいるが、間違いない。寅浜建設の従業員。そして、早音さんが被害に遭ったという情報を持ってきた若い人。


「なに? 知り合い?」


 女性の方が北原さんにそう言った。


「月蝕通りのバーの常連の子なんだよ。ええと、確か苦花――ニガバナさん」


 だよね? と北原さんはわたしに問い掛ける。


「はい。襟瀬苦花です。お久し振りです」


 私服姿の北原さんと、緩くウェーブのかかったロングの髪型の女性。何で、こんな所でわたしたちは再開したのだろう。


「あ。こいつは俺の彼女のミヨリ。今日さ、俺、健康診断で全休貰えてさ、暇だから二人でドライブがてら事件現場見に来てたんだ」


「そそ。未解決事件の話、私好きだから」


 そう言うと屈託無く二人は笑った。


「――ところでニガバナさんは何でここに?」


 少し言葉に詰まったが、わたしは冷静に脳内情報を処理して話す事にした。

 少しでも早音さんまでをも襲った犯人の手がかりを得たい事。そしてわたし自身の迷い――今、自分が何をしているか、よく分かっていない事。


「へぇ――凄く、何だか、難しい事考えてるんだね」


 女性――ミヨリさんが真面目な顔になった。早音さんほどではないが整った顔立ちではあるものの、化粧は薄かった。自然な美人だ。

 続けて北原さんが言った。


「あの、「魔の葬送」で会った時から思ってたんだけどさ、ニガバナさん」


「はい」


「色々と――難しく考え過ぎだし、背負い込み過ぎじゃないかな。大体ニガバナさんは探偵でも警察でもないでしょ? 犯人が判ってもどうしようもなくない? 確かにうちの会社のお嬢さんが襲われて心配になってるのも分かるけどさ、今は何か、簡単な答えがあるのに遠回りしたり寄り道したり、自分で自分を追い詰めているようにも見えるよ」


「――やはり、そうなんでしょうか」


「気持ちは分からないでもないんだよ。俺もミヨリが被害に遭ったら絶対に犯人を探して追い詰めると思うし。でもさ、『魔の葬送』のマスターも言ってたよ。あの子――ニガバナさんは白黒だけじゃなくて、グラデーションがあるって事を理解しているし、そこに自分でたどり着けた賢い人だって。今は少し休むべきじゃないかな」


「こうしてる間にも、早音さんは意識不明で苦しんでいるんです――」


「お嬢さんの事ならもう生死の境は越えたって。後は快復を待って警察が話を訊くってさ」


「え!」


 わたしはついつい大きな声を出してしまった。


 早音さんが――助かった!


「本当の話だよ。お嬢さんさ、刺された時に多分犯人を目撃してるから、警察もそれを訊きたいんじゃないかな。今は警備もしっかりしてるらしいし。ここだけの話、うちの会社は地元有力企業だからね」


 北原さんはにっこり笑った。

 わたしも、自分から笑顔がこぼれているのが分かる。


「あなた可愛いね。深刻な顔してるより、笑ってる方がずっと可愛いよ」


 ミヨリさんはそう言って微笑んだ。


「人間って自分で勝手に考え込んで物事をややこしくするんだよ。俺なんかホラ、何も考えずにミヨリと付き合って、今度結婚するし」


「えー、何も考えてなかったの?」


 ミヨリさんに肘で突かれた北原さんは大袈裟によろける。


 何も解決してはいないのに、空は鈍色なのに、自分は魔と聖の間に位置しているのに、わたしは何だか可笑しくなった。


 ふふ、と笑いがこぼれた。


「ほらほら、ニガバナさん? も笑ってるじゃない。何も考えてないダメ男め」


「さっきまでの暗い表情よりはずっといいじゃん。だから気負わなくていいんだよ。それが答えだよ。大切な答え、ね」

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