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第十二話『戦乙女には武器が無い』

 動けないでいるわたしに遠慮しつつ、少し声のトーンを落として作業服の男性は続けた。

「ただ――」

 ――ただ?


「被害者の寅浜建設の娘さん、一命は取り留めたんだって」


 わたしは声を上げそうになった。

「今は意識不明で入院中なんだってさ」

 入院中――月辰総合病院辺りだろうか。そこに警備はいるのだろうか。何よりも、早音さんの容態は――。

「あの!」作業服の男性に思わず問い掛ける。「被害者――早音さんは、刺されたんですか――」

「うん――腹部をやられてたらしいよ。やり口が同じだから、警察も空き地の事件と関連付けてるんじゃないかって」

「早音さんが襲われた場所は!?」

「自宅の近所だって。あの子よく夜遊びしてたから、人から車で近所まで送ってもらって家まで歩いてる途中で、グサッと」

 早音さんの自宅は寅浜建設のすぐ近くだと本人から聞いていた。

 ――苦花ちゃん、今度さ、うちに遊びに来てよ!

 そう、言っていた。

 あの眉毛をハの字にした表情を思い出す。

 ――早音さん。

「警察も捜査の都合上、情報や報道の取り扱いには気を付けてるんだろうけどね、でもこんな小さい町に二人も殺人犯が居るとは思えないし」

 そう言うと、作業服の男性はコップの水に口を付けた。

「――ニガバナさん」黙っていたマスターが重々しく口を開く。「もう、このまま事件に関わるのは止めて、日常に戻りなさい。私、心配だわ。もしあなたまで――」

 ――日常に。

 わたしの探偵ごっこは、現実逃避だったのか。

 その結果が、早音さんの犠牲というかたちで――。

「私は――」

 私は、積尸気さんに聞こえるように声を張った。虚勢でもいい。今は力が必要だ。気力も。そして強さも。

「――魔を、覗いてしまったんです。その結果、友人を危険に晒してしまいました」

 その時、バーの最奥の闇が動いた。魔という言葉を贄と受け取ったかのように。


「日常に帰りたいか、苦花」

 闇が――積尸気さんがわたしに問い掛けてきた。


「――ここですべてを止めてしまったら、わたしは友人を犠牲にしてしまっただけになります」

「覚悟はできているのか。相応の覚悟が無かったとしても、魔は漸進してきた人間を最早許さぬぞ」

 積尸気さんの声は冷たさを帯びていた。わたしの覚悟の程を訊くというよりも、刃物と化した口舌の鋭さでわたしを試そうとしているようだ。

 正直、わたしは怯んだ。

 ――だが。

 早音さんと打ち解けた時の事を思い出し、うちの社長の強さと優しさを思い出す。そして、わたしの中の業火の記憶――母親が家に放火し、自分が福祉の世話になっていた事も。

 何故か今、わたしの中にこれまでの記憶が巡っている。

 不登校だった事。どこに行っても疎外感を感じて仕事が続かなかった事。この町から、遠くに出ていきたい願いを。

「ニガバナさん」

 心配そうなマスターが助け船を出してくれた。作業服の男性は黙ってわたしの顔を見ている。

「積尸気さんもああ言ってるんだし、もうね。止めておきなさい。あなたは十分頑張って、自分なりに答えを得たの。ここが止め時よ」


「――今後は」

 ――今後は。

「――もう」

 ――もう。

「探偵ごっこではありません」


 わたしは意識して強く宣言した。

 マスターは唇を結び、闇の最奥に位置する積尸気さんは動かない。

「なあ、あんた――話を聞いてたけど、寅浜の娘の仇討ちみたいな事をしたいの? 止めときなって。ルルイエさんもこう言ってくれてるじゃないか。あとは警察に任しておき」

 作業服の男性は自分が話を持ってきた責任でも感じているのか、少し弱気に言う。

「わたしのせいなんです」

 ――すべてが。

「わたしが積尸気さんに認められたかったばかりに――」

 目頭が熱くなっていた。視界が滲んできた涙で揺らぐ。

「ならば問おう」闇の中から魔王の低い声が響いた。「魔と正面から対峙するか」

 すぐに返事をしてはいけない。

 この魔王――積尸気さんは、わたしの覚悟の程を見ようとしているのだ。

 わたしは椅子から立ち上がり、積尸気さんの方を――闇の、魔の、最奥を見た。


「わたしは何でも宅配便こと『フルーツロール宅配便有限会社』の襟瀬苦花です。配達に関してはプロです。必ず、わたしは吉報と、事件の解決を届けます」


 積尸気さんは黙って、鋭い眼光でわたしを射る。

 無限にも感じる沈黙の後、積尸気さんは――口を開いた。


「良い顔をしている」


 何よりも意外な、そして嬉しい一言だった。

 積尸気さんはわたしに激を飛ばしてくれたのだ。

 闇の方に一礼をすると、わたしはまた椅子に座る。

「――ニガバナさん。無理だけは駄目よ。あと自分の安全を一番に考えてね」

 マスターは心配してくれている。その優しさが、わたしの気をより引き締めた。

「いつでもここにいらっしゃいね。ここはあなたの居場所なんだから。私も積尸気さんも、あの中条さんも何時だってあなたを待っているわ。この北原くんも」

 ――北原?

「あ、いや、俺は――うん、まあ、何も知らないしよく分からないけど、力になれる事なら――物騒だしね」

 いきなり話を振られた作業服の男性がしどろもどろになった。この人は北原さんと言うのか。

「――それで」

 魔王の声が響く。

「――はい」


「苦花、お前に武器はあるのか」


 答えに窮した。武器――。

 思えば、わたしには角も鋭い爪も無い。人を叩いた事も無い。いつも、黙って危険から避けていた。積尸気さんは、端的に訊いてきているのだ――いざとなった時の、わたしの覚悟を。

「真実は常にシンプルだ。それに苦花、お前はもう半ばそこに達している。ならば後は武器を手に取るだけだ」

「ちょっとちょっと、積尸気さん」

 マスターは苦笑気味だ。しかし、わたしは武器という言葉の意味を噛み締め、考えていた。

「積尸気さん、あまり物騒な事を言って煽ったら駄目よ。ニガバナさんの身の安全が一番なんだから」

 ね? とマスターがわたしに微笑みかける。だが、わたしは微笑みを返せないでいた――。

 わたしの武器。

 一体、それは何なのだろう。

 物質の事なのか、強みの事なのか。

 わたしは仕事は頑張っているつもりだ。だけど――他には、何も無い。

 何も。

 しかし、被害を受けた早音さんに対する重たい感情と、この手で事件の真相を暴きたい、この二つの気持ちは強くわたしの中に存在する。確実に、大きく。


「わたしは――」


 マスターと、北原さんと、そして積尸気さんに向かって宣言する。自分の存在を確かめるように。自分が存在する事を強調するように。


「ずっと一人で生きてきました。皆さんが思うほど、弱くはありません」


『魔の葬送』を後にしたわたしは帰宅し、スマホでローカル局のニュースを見漁った。だが、早音さんが襲われた件はまだニュースになってはいない。やはり新聞媒体でないと掲載されないほど小さい扱いなのだろうか。

 今のところ、北原さんの伝聞だけが情報源だ。

 早音さんが入院している病院も分かってはいない。月辰町に救急指定されている大きい病院は多くないから、虱潰しに当たれば判るだろうけど、恐らく今は面会謝絶中だろう。犯罪被害者の身柄保護はわたしが想像しているより厳重だ――。

 それに、犯人を探し当てたとして、何ができるのか。

 わたしはベッドに仰向けに倒れ込み、天井を眺めながら思索する。

 明日、社長に聞いてみようか――。

 コネの多い社長からなら何か情報を得られるかもしれない。わたしにはコネが無いし、早音さんが居なくなってしまった今、事件の話ができる人なんて、もう――。


 あ。


 頭の中で一人の女性の姿が浮かんだ。あの巫女のような喋り方の女性の姿が。

 白い服装にスーパーロングの黒髪、色素の薄い瞳。


 ――設楽神代さん。


 あの人なら――あの神秘的な聖女なら何かを知っているかもしれない。具体的な情報は得られずとも、せめてヒントだけでも。

 しかし、わたしにはあの人と連絡を取る手段がなかった。

 行き詰まる。

 ――しかし。

 ここで諦めたくはなかった。


「あれだろ? また人が襲われたんでしょ? 客先で聞いた」

 次の日。社長はやはり新たな事件の事を耳にしていた。

「被害者は寅浜建設の娘だって噂だけど」

 わたしは社長との会話で新しい友達ができたとは言ったが、寅浜建設の娘だとは言ってなかったし、言うつもりはなかった。余計な心配をかけたくないからだ。

「怖いですよね。ちょっと事件の情報を色々知りたくて」

「ニガバナに何かあったら困るからね。うちの業務が回らなくなっちゃうし」

「そういう社長も気を付けてくださいよ」

「可愛い事言ってくれるね。ありがと。事件現場って寅浜の近くでしょ? あそこの地域よく行くからなぁ」

「あの近辺に犯人が住んでいるんでしょうか。空き地もあの辺りですよね」

「謎。誰が誰に怨恨を持っているかも謎。私に分かるのは今日の配達リストくらい。しかもあの地域行きの荷物が一つあるんだよ」

「わたし、行きますよ。心配無用です」

「心配無用って言われてはいそうですかって言えないだろ。昼前に行く宅配便だからまだ安全かなって考えてたところよ。私が行ってもいいし」

「どこ行きの荷物なんですか?」

「あそこ。『Cafe 魔術師』」

 寝耳に水だった。

 言われてみれば、あのカフェは寅浜建設からそんなに離れてはいない。学区も確か同じはずだ。

「わたしが行きますよ。あの店には時々行ってますから、顔馴染みなんです」

「――じゃあ、ニガバナ。頼める? 何かあったらすぐ警察か私に電話しろよ」

 社長は本当に心配そうな顔をしていた。すっぴんでも綺麗な顔をしているだけに、その表情には凄みがあった。


 やがて、わたしは朝イチの配達に出発した。荷物をスクーターに積み、宅配し、営業本社に帰ってはまた積んで出る。忙しく走り回りながら、ずっと早音さんの容態を心配していた。

 そして午前の最終便、『Cafe 魔術師』行きの荷物をスクーターに積み込んだ。あの地域に行くのはやはり怖いが、まだ昼間だし人通りや車通りもある。そう自分に言い聞かせると、わたしはスクーターを走らせた。


 そうだ。

 あのカフェのマスターからも何か情報を得られないだろうか。


 地元の事はよく耳に入ってくるらしいし、今は少しでも情報が欲しい。

 わたしはまた考え事をしながらスクーターを走らせていた。


 諦めない。

 早音さんのためにも、わたし自身のためにも。

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