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第六話『やがて赤いザクロが実る場所』

「――でさ、当時は都市伝説とかの悪趣味な雑誌のブームがあったらしくて、そこの編集者がね、おかしくなったとかウワサもあってさ。やっぱり悪趣味な雑誌に関わる仕事だからさ」

「はい」

 午前九時過ぎ。月辰山麓のザクロ林へと向かう軽自動車の中。

 助手席に座るわたしは、ハンドルを握る早音さんのノンストップトークを聞かされ続けていた。

 えっと、一旦怖い都市伝説は置いておきドライブに行こうという話だったはずなのだが、早音さんはわたしを乗せて車を発進させるなり、ノリに乗って都市伝説の話をし始めた。

 ウワサ。人ヅテ。誰々から聞いた。と。

 先日から感じている狭い町内間の「ヤジウマ」気質そのものの話に、早くもわたしは疲れかけていた。

 ザクロ林に実際に行く。そのイベントに早音さんは興奮しているのだろう。

 だが、偏見を交えた決め付けの伝聞は――良くない。

「それでそれで、ザクロ男の話でさ」

「はい」

「ザクロって日本ではあまり栽培されてないらしいのね。でもザクロ男の棲み家の周辺にはザクロ林があって――つまり違法栽培じゃないのかって」

 どういう決め付けだ。

 都市伝説とは偏見と誹謗――その性質を大いに含んでいると思った。

 そんなわたしと早音さんを乗せた車は、やがて月辰湖の近く、大橋の側に差し掛かった。湖を迂回して車は走る。早音さんの運転は丁寧だった。

「苦花ちゃん、チュロスあるよ」

「え?」

「後ろに置いてるから、取って食べてよ」

 振り返って後部座席を見ると、白地に赤い模様入りのお洒落な紙箱が置いてあった。

 少し身体を伸ばしてそれを手に取る。

「苦花ちゃん、あまりごはん食べてなさそうだから、朝にパン屋で買ってきたの。開けて食べてね」

「はい――ありがとうございます」

 紙箱を開けると甘い匂いが車内に拡がった。

 せっかく買ってきてくれたものだし、朝食は摂らなかったので確かにお腹が空いていた。

「ではいただきます」

 同梱されている紙ナプキンを手に長細いチュロスをひとつ摘まみ、頬張る。

「美味しいでしょ? それリデル・パンで買ってきたの。正直あの店は月辰で一番美味しいと思ってる」

 本当に美味しかった。上品な甘さが食欲を刺激してきた。

「ああ、苦花ちゃんがチュロスをもぐもぐ食べてるの可愛い! ずっと見ていたい!」

「前を見て運転して下さい」

 ――わたしは。

 わざわざ気を利かせて朝イチでチュロスを買ってきてくれ、車に乗せてくれて、さらに可愛い可愛いと好意を向けてくれる人に対し――先日からタイプが合わないと拒絶にも似た反応を示していた。そして閉鎖的な地方都市特有の「ヤジウマ」だとこころの中で罵倒し、挙句、事件の情報を知るために損得勘定で利用しようとしている――。

 自己嫌悪が重たい鉛の塊となって胸の奥に沈んでいる。いま、ほとりを通っている月辰湖に、こんな重たい物は捨ててしまいたい。

「お! あそこだ。見えてきたよ!」

 小さい駐車場と舗装されていない山道が見えてきた。本格的な登山口とも違う日用の登り口に見えた。ここを少し登った奥に、ザクロ林があるのだという。

 早音さんは駐車場に車をバックで滑らかに停めた。茶髪のポニーテールと相まって、その横顔も整っていた。

「さあさあ苦花ちゃん  行ってみよっか!」

「え」

 今日はザクロ林までは行かず、ランチをして帰る予定ではなかったのだろうか。話が変わっている。

「折角だし! そんなに登らなくてもザクロ林に着くってうちの学校の奴から聞いたし! ちょっと行ってみよ! ね?」

 無邪気なのか無鉄砲なのか。ウキウキとした様子でそれを隠そうともせず早音さんはわたしに迫ってくる――そんな彼女は、正直憎めない。

 それに、わたしの中にはまだ先程の鉛の塊のような自己嫌悪が残っていた。チュロスを買ってきてもらった恩もある――。

「――あまり深入りしないのなら、まあ良いですけど――」

 車を降りたわたしたちは、登り口まで行くと歩き始めた。地面は剥き出しだが歩き難くはない。普段、人通りがあり踏み締められている山道なのだろう。

「こっわ! 苦花ちゃんは怖くない? 人気 ひとけが無いし」

「――でも、木漏れ日が結構明るいですよ」

「わたし霊感が強いから色々分かっちゃうの。絶対これは怖いやつ!」

 あの『月蝕通り』周辺や殺人現場の空き地ほどの異界感や虚無感は無いし、むしろ自然に囲まれて清々しさすら微かに感じているが、早音さんには何が「分かって」いるのだろうと不思議に思った。

 怖い怖いと連呼しながらも歩みを止めない早音さん。わたしはその半歩ほど後ろをそろそろと尾いていく。

「――でも昼間で良かったですね。そこそこ明るいし道もそんなに狭くて入り組んだりしてないですし」

「油断は駄目だよ。こういう時に何かが出るんだよ」

 出て欲しそうに早音さんは言う。

 まだ初夏なのに昼間から二人で肝試しとは――しかし、わたしは今までこんな遊びをした事がなかった。新鮮さを感じていなかったと言えば、嘘になる。

 ――その時。

「えっ!」早音さんが右手の方を見つめて固まった。「何――あれ」

 わたしは早音さんの視軸を追った。

 ――そこには。

 掌ほどの真っ赤な果実がぽつぽつと樹に成っていた――深緑の中に赤色を点在させていた。

「これ――もしかしてあれじゃない?」

「ザクロ――ですね」

 ――ザクロ林。

 右手の方向にはザクロの樹が林立しており、その間には小さな道が拓けていた。

「学校の奴が言うには、この先にプレハブ小屋があって、ザクロ男が居るかもって――」

 そうつぶやくと、早音さんはわたしの顔を見た。眉毛がハの字になっている。

「ど――どうする、苦花ちゃん?」

「どうもこうも――もう引き返した方が良いかもしれませんよ。私有地っぽいですし――」

「ひ、引き返す? 確かにこのザクロの林、本気で怖いし」

 正直、もうこれ以上踏み入ってはいけない。そんな気がした。

「あ!」小さく叫びながら、早音さんはバッグからスマホを取り出した。「写真撮っとこ! 」

 わたしはそんな早音さんを傍目に、ザクロの樹に見入っていた。

 果樹には詳しくないが、見事な樹木に見える。

 人の手で世話されているものだろう。

 しかし、誰が――。

 シャッター音を起てながら早音さんは写真を何枚も撮っている。

 スマホを構えて夢中になっている早音さんをちらと見た。

 そして、その背後三メートルほどの樹木の影に――。

 ――白と黒のコントラストが、見えた。

 ハッとしてそれをよく見る。

「あ――」

 わたしは小さく声を上げた。

「ん?」

 早音さんがスマホを下ろしてわたしの方を見たので、「あ、あれ――」と視線で合図を送る。

 早音さんが背後を振り返り「ひっ!」と悲鳴を挙げた。

 ――そこには。

 人が、立っていた。

 女性に見えた。

 痩せ気味の高身長で、上下ともに白いセーターとズボン。

 ――そして。

 腰よりも長い黒髪がさらさらと微風に流れていた。

 年齢はアラサーくらいだろうか。わたしたちの方を無表情に見つめながら、ザクロの樹から半身を覗かせている。

「ひっ! あっ、あの――」

 早音さんは何かを言おうとしたが、舌が回っていない。

 黒髪の女性は樹の陰から出てくると、黙って歩を進めてきた。

「え、ちょ、ちょっと――!」

 パニックになっている早音さんに、女性は静かな声で語りかけた。

「――また」溜め息混じりの声だった。「イタズラしに来た人たち?」

 わたしと早音さんは同時に「え」と言う。

「ザクロ林のザクロ男がどうのこうのって話で、見物に来たのでは?」

 図星だったが、図星ですともいえずわたしたちは黙っていた。

「――困ってるのよね」

 女性は、早音さんとわたしの顔を交互に見た。

「あ、あ、あ、あの! 私たちはただ、都市伝説を聞いて確かめに来ただけで――」

 早音さんが慌てながらそう言うと、女性は被せ気味に少し声を張った。

「この奥にプレハブ小屋があって、そこに月辰新住宅地の空き地での殺人事件の犯人、ザクロ男が居るって?」

「えっ、いや、まぁ、そんな感じで――」

「もう本当に懲り懲りなの。帰って。この先はうちの私有地だから、あまり騒いでると警察呼ぶよ」

 ――うちの、私有地。

 この女性はザクロ林の管理人なのだろうか。

「それと、もうくだらない都市伝説を広めるのは止めて」また溜め息混じりに女性は言った。「困る人たちがたくさん居るから」

 その言葉の意味はよく分からなかったし、早音さんはもっと分かってないだろう。

 ――だが。

 わたしたちは謝罪も程々に、登ってきた山道を逃げるようにして今度は降りていた。

 足早に歩きながら「怒られたね」「やっぱ人が居たんだね」「てかさ、あの人何者?」と早音さんは矢継ぎ早に喋っていた。

 帰りは、あっさりとしたものだった。

 体感的にあっという間に麓の駐車場に戻り、車に乗った。

 早音さんは「むぅ――」とか「うーん――」とか唸りながら何かを考えていたが、「ま、いっか」と一人で勝手に結論を出し、「じゃ、次はランチ行こうかぁ」とわたしに笑いかけた。切り替えが非常に速い。

 ずっと相槌を入れていたわたしもそろそろ疲れていたので、どこかで休みたかった。

 ――休みたかった。

 休み。

 あ。と唐突に閃きを得た。

『魔の葬送』によく居るサボリーマンのお客ならば――あのザクロ林の事を何か知っているかも、と頭によぎったのだ。積尸気さんを謎の識者とするならば、あのサボリーマンの人は情報屋然としている雰囲気がある。

 そして次の『魔の葬送』への配達は数日後だ。

 ハンドルを握る早音さんと雑談しながら、わたしは考えていた。

「でも、さっきのザクロ林の女の人、怖かったねぇ」

「怖かったですか? 普通の人に見えましたけど」

「雰囲気少し幽霊っぽくなかった?」

「髪が長かったからでしょうか?」

「いや、それもあるけどさ――うぅん、口じゃ上手く説明できないけど――わたしの中の霊感がバチバチ反応してたんだよね」

 早音さんの霊感とやらは本当に魔を察知できるのだろうか。わたしは積尸気さんに倣い考えて魔を定義しようとしているが、もしかしたら早音さんは感性で判るタイプなのかもしれない。

「うぅ、ゾクゾクしてきた――」

「風邪だったら大変ですよ」

「苦花ちゃん本当に天然っぽくて面白いね!」

 そしてわたしたちはランチができる店を探し車を走らせ続ける。

 月辰新住宅地の空き地――そこでの殺人事件の真相が今、大胆に表情を見せた事にも気付かないままに。


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