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魔王談 積尸気の魔論講話
魔王談 積尸気の魔論講話
佐和ネクロ
ミステリー推理・本格
2024年12月14日
公開日
7.9万字
連載中
 アイデンティティの迷い子は、月の町で『魔王』に出会う。
 
 日本のどこかの地方都市・月辰町(げっしんちょう )。
 何でも宅配業こと『フルーツロール宅配便』で働くフリーター・襟瀬苦花(えりせにがばな )は、国道沿いに生き、閉塞感に倦んでいた。
 どこか遠くへ行きたい。
 月の裏側のような反世界へとわたしを導く何かが──起こってほしい。
 漠然とそう願いながら、ただ生きていた。

 ──ある日、『魔の葬送』という名のバーを知るまでは。

 そして、“それ”はひとつの死体から始まる。
 どこにでもありそうな地方都市の空き地に転がったひとつの死体から。
 地方紙に小さく報じられただけの殺人事件から。

 そして、“それ”は魔王めいた探偵との出会いから始まる。
 闇を纏い、古風な貴族然とした謎の老人──積尸気学祖(せきしきがくそ )との出会いから。
 やがて苦花の精神的支柱となる、“魔”を語る老人の眼光から。

 現代。
 人々のこころに魔が跋扈する、息詰まるような時代。
 閉塞感、不安、排他、慟哭──。
 苦花の願いによって、正体不明の事件に“魔王探偵”は降臨するのか。

 イラスト・激薄塩様より
 

序章『オーバーオールの迷い子と魔の葬送』

 すべてはひとつの死体から始まった。


 わたしの住む町、月辰町 げっしんちょうの住宅街をやや外れた空き地に転がった死体。

 その事件は地方紙に小さく報じられ、各種のネットニュースにおいても単純に消費された。

 ――だが。

 わたしの人生に突如として現れたあの死体は、わたしの人生を大きく変える事となった。その方向性を決定付けたものは――いや、今はそれを語るのはよそう。口下手なわたしよりも、こころに響く語りをできる人は居る。わたしはただ――魔の中枢を覗いてしまった者としての経験を回顧するに留めよう。

 そして、時間はあの日に戻る。


「フルーツロール宅配便の襟瀬 えりせと申します」

 わたしはお客様に一礼をした。

 今日の配達先は月辰川 げっしんがわの川向こうの和風一戸建て住宅だ。

「あら、女性の方が配達にいらっしゃられるなんて。はい、ありがとうね。ここにサインしときますね」

 本日のお客様である年配の女性は、物腰柔らかにそう言うと慣れた手付きで受け取り票にサインをし、段ボールの小箱を受け取ってくれた。綺麗にまとめられた銀髪と相まって、上品な所作だった。

「お一人で配達に回っていらっしゃるの? デニムのオーバーオールに──それはハンチング帽子? お洒落な服装ね」少し真面目な顔をして、お客様はそう訊ねてきた。「お気を付けてね。あの事件――あっちの空き地の殺人、まだ犯人が捕まっていないらしいから」

 わたしは「はい」と頷いた。

「その件もあって、うちの社長も夜十八時以降の配達依頼は受付を一旦停止してるんです」

「それが良いわ。あなたはまだお若いんだし、心配よ」

「ご心配なさっていただいてありがとうございます。でもわたし、こう見えて強いんです」

 そして、わたしは挨拶も程々にお客様宅の玄関先からお いとまを告げた。今日はもう配達の予定は入ってはいないが、あまり長々と雑談をするのも好きではない。

 わたしの名前は襟瀬苦花 えりせにがばな。年齢は二十二歳。趣味と実益を兼ね、アルバイトとして『何でも宅配業』を業務とするフルーツロール宅配便有限会社で働いている。好きなものは犬と猫。好きな色は青。一人暮らしだ。うちの女性社長からはニガバナと呼ばれている。とは言ってもわたしと社長の二人しか居ない会社だが。しかし、「何でも宅配します」と謳う自由で特殊な宅配業なので、仕事自体は面白い。

 わたしはルーフ付きスクーターを走らせながら、昼食は何にしようかと考えた。もう三時が近く、昼食時は逃しているし、飲食店も仕込み中の所が多い。道路――片道一車線の国道を走っていると道路沿いを流れていく店舗の数々。中華屋。ハンバーガーショップ。カフェ。

 これらがこの月辰町の『表情』だ。来訪者に対する印象を担う顔。わたしはこの町に生まれ、二十二年間この町で育った。子供時代から国道沿いをよく歩き、今では国道を屋根の付いた二輪のスクーターで走っている。

 仕事には満足しているが、たまに正体不明の閉塞感で息が詰まりそうになる。

 もう少し自分の事を話そう。わたしはよく童顔だねと言われる。そばかすが無かったっけ? そんな質問も添えて。そばかすがありそうで無い幼い顔。それがのわたしの第一印象らしい。続いて大体「苦労していなさそう」と思われているのも――知っている。

 わたしの家庭環境はあまり話したくはない。話す事によってあの業火の記憶が強化されるのも嫌だし、何よりも他者に説明するだけ時間の無駄だろう。

 ――ただ。

 どこか、遠くへ行きたい。

 今は漠然とそう思い、そのためにこの仕事でお金を貯めている。

 逃避願望なのだろうか。或いは、私はこの町に――この世界に元々生まれてくるべきでは無かったのだろうか。ただ、どこか、遠くへ行きたい。

 十字路の赤信号でスクーターを停めた。

営業本店――とは言っても社長の自宅を兼ねている――に夕方までは帰らなくてもいい。時間の融通が利くのもこの仕事の魅力だ。

 ――そう言えば。

 随分とこの町を仕事で走り回ったが、この十字路を左に曲がった事はない。ふと、そんな事を思った。直感や予兆、或いは――魔が差したのだろうか。

 わたしは、自然と左方向にウィンカーを点滅させていた。

 この十字路を左に曲がってみて、少し走ってから本店に帰ろう。仕事の下調べにもなるし、単純な好奇心も刺激されていた。

 信号が青になった。

 遠くへ行きたい。わたしの中に根差した願望が、時々こうして普段とは違う道を走らせる――それでも、この町に囚われているままなのに。

 スクーターを左方向にカーブさせると、わたしはスピードを落として徐行した。

 何やら煩雑で入り組んだ道だった。幸い前後に車は居ないが、動物や人間が飛び出して来るかもしれない。

 センターラインすら無い道路にゆっくりとスクーターを走らせた。陽射し加減が少し薄暗くなった気がする。たまに歩行者は居るが、その雰囲気はどこか味気ない。国道とやや異なるこの空気は何だろう――むかし読んだ、名前も憶えていない怖い童話の世界にも似た感覚に、情緒を揺らされる。月辰町内にこんな場所があったのかと少し驚いている。

 わたしは空想家だ。不良にはならず、現実世界にも依存しない浮いた存在。この地域はそんなわたしをジャッジしている最中なのかもしれない。

 そして、考え事をしながらスクーターを走らせるのは危ない。

 うちの社長にも注意された事がある――言わない事ではない。いま、目の前に細道から子供が飛び出してきた。

 急ブレーキをかけた。

 スクーターの後輪が細かい砂利に滑りザザ、と音を起てた。法定速度以下で走っていたのが幸いし、子供とは距離を取って停止できたが、同時にタイヤが結構磨り減っていたんだなと気付いた。

 子供はきょとんとわたしを見ている。

 わたしは右手を軽く振って「どいて」と合図を送った。

 そんなわたしを見て――子供は嗤った。

 嗤ったのだ。

 少し、いびつな笑顔だった。怖い童話に出てくる妖精じみた嗤い顔。この子は小学校低学年くらいに見えるが、それ以上にどこか現世から浮いて見えた。

 子供は踵を返し、飛び出してきた細道にパタパタと駆け戻っていった。

 しばし放心する。

 人身事故を起こさなかったのは良かったが、唐突にわたしの人生に現れ、消えていったあの子供に、時計を持った白ウサギを発見したアリスのような気持ちを覚えた。

 ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』では、白ウサギを追いかけた主人公アリスがウサギ穴に落下し、異界に いざなわれた。幼少時に読んだアリスではそうだった――あの頃から、わたしは遠くに行きたかった。

 わたしは再びウィンカーを左方向へと点滅させた。

 あの子供が飛び出してきた細道の方向へと。

 空想好きのわたしは、そして世界に閉塞感を感じているわたしは、今、何かに誘われていると確信した。呼んでいるものが人間なのか、それとも――現世ならざる魔なのかは判らない。

 ――でも。

 この町の、世界の閉塞感から早く逃げ出したい。

 強い願いがわたしの頭の中で囁く――「行ってごらん」と。

 ゆっくりとスクーターのアクセルを回し、発進する。そして本日二回目の予期しなかった左方向へのカーブを行なった。

 そこに広がっていたものは、トタンの壁、鉄条網の囲い。そして道向こうに見えるのは雑多な住宅や、恐らく飲食店の数々。

 ここが、わたしが誘われ、衝動的に踏み込んだ不思議の国なのだろうか。相変わらず人気 ひとけはまばらで、整合性の無さを感じる。混沌だ。

 ほぼ徐行でスクーターを進めた。

 本当に雑然とした通りだ。

 入ってすぐは細道だったが、進むに連れて少しずつ道幅は広がっている。何らかの騙し絵のようだ。色彩も統一感がなく、寒色と暖色が不規則に入り混じっている。

 ――何も無さそうで、何でも在る通り。

 そんな印象を受けた。

 駄菓子屋、飲み屋、個人食堂、古びた玩具屋などが軒を連ねているかと思えば、有名フランチャイズのフィットネスクラブも並んでいる。その道路を挟んで対面にはお土産屋のような店もある。アパートも、半端な高さのビルも。

 ゆっくりスクーターを直進させていく内、ふと、まだ昼食を摂っていない事を思い出した。ついでなら、この通りでお昼を食べてみよう。そう決めた。

 ――次に。

 見えた店に、入ろう。

 だが、進めども進めども飲食店らしき店舗は見当たらず、やがて行き止まり――道なりに曲がれば国道の大通りに戻ってしまう――に、突き当たった。

 何かの決断を迫られているような感覚と焦燥を覚え、一回Uターンしてどこかの店に入ろうかと思い、振り返ろうとした。

 ――その時。

 わたしの横手の中途半端な高さのビルに居抜きの店がある事に気付いた――いや。それは、いきなり現れたようにも思えた。

 深紅のドア。

 その横の、古びた木材を用いたアンティークなスタンド看板が視界に入る。それもまるで唐突に出現したように見えた。

『魔の葬送』

 これが店名? 手書きらしき あかいフォントで、そう書かれている。

 ――魔の、葬送。

 小さく声に出した。

 子供の頃、今はもう居ない父親にねだって一冊の本を買ってもらった事がある。

 決して子供向けではない図書 ずしょだった。いわゆるオカルト本であり、図鑑めいていて様々な魔や秘術が説明されていた。

 そのタイトルが『魔の葬送』だった。

 過去と現在、幻想と現実の合致。わたしの中で、何かのピースが嵌まった。

 もしくは、足下にあった脆い現実に亀裂が生じ、瓦解を始めたのかもしれない。

 わたしは、ビル横の狭くて土が剥き出しになっている駐車場兼駐輪場にスクーターを停めていた。何かに誘われている。そんな事は百も承知だった。昼食を摂りたい。それがわたしの建前に過ぎない事も自覚していた。

 ただ、この店に入らなければならない。遠くへ行けるかもしれない。そんな漠然とした思いが、好奇心を装ってわたしの心臓を動かす。

 わたしは深紅のドアの前に立った。

 アイデンティティの迷い子であるわたしが異界じみた通りに迷い込み、たどり着いた場所。端から見ればそれは大袈裟な感傷だと一笑に付されるだろう。だが、わたしの中では何かが確立されつつあった――或いは、この通りの空気と雰囲気に当てられているのかもしれない。運命論にはやや懐疑的ではあるが、ここまで運ばれてきたのには、理由がある気がする。

 もう一度、看板を見る。

 今度は、『BAR』と『営業中』という文字がぼんやりと現れたように見えた。

 軽く、そして深く呼吸をする。

 そしてわたしは、『魔の葬送』の深紅のドアを開けた。


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