「見事な演説でした、姫様。此度のお言葉、兵達には何よりの励みとなりましょう」
「……私は、これで本当に良かったのか、未だ疑問の中にいます」
「何を仰います。魔族との戦も今日で終わらせる為、あれ以上の激励もありますまい」
王国の姫の迷いを、しかし側近たる女騎士は他にやりようは無いと断じる。
その通り他に道は無し、既に魔王は討たれた。女騎士と共に旅をした勇者の手で。
主君の命を絶たれ、残党の魔族が大人しくするはずは無い。戦い以外の選択肢は既に捨ててしまったのだ。
姫とてそれは分かる。戦事に門外漢であるとはいえ、時世の流れも読めぬ愚物では決して無い。むしろその慧眼は、いずれ国を統べる事を約束された確固たる証である。
しかし、彼女は若かかった、その心に満ちた優しさに、奮起の幕を掛ける術は持たぬ。
己の顔に、涙を拭いながら扇動者たる仮面を被る事しかできぬ。
「皆、傷つきました。先の戦で、人も魔も。親しい者を亡くしてきたはずです。それでも争いは無くなりはしませんでした。住む場所もままならず、破壊の後は手づかずのまま。誰しもの心に、もはやゆとりなどは存在しないのでしょう。わかっています、私の愚かさは……」
女騎士は何も言えぬ。
彼女の言うとおりなのだ。戦争とは、得てしてそういうもの。しかし彼女にそれを口にする事はできない。
彼女自身が、最も分かっているのだ。
彼女とて、その命で救えたものは、余りにも少ない。彼女もまた、決して無能ではないのだ。むしろ、才能に恵まれているからこそ、惨たらしい真実に打ちのめされ続ける羽目になったのだ。
今、もし姫の従者として、ここでかけるべき言葉があるとすれば、それは決して慰めではなく現実を告げる言葉である。
女騎士は意を決して、重い唇に言葉を刻む。
「……恐れながらに姫様、王家に生まれた者には、持って生まれた責任がございます。貴女様の意思に関係無く、その責務だけは果たさなければならない」
だがそれは、同時に残酷な宣告でもある。
彼女がどんなに努力しようと、民草の為に出来る事はあまりにも限られている。
「しかし……いえ、つまらない我が儘を零してしまいました。戯言と思い、忘れて下さい」
「こちらこそ、出過ぎた行いをしてしまいました。申し訳ありません」
「私のために言ってくれたのでしょう? 貴女の言葉に、軽くなる心地です。ありがとう」
微笑み合う二人には確かな絆が存在した。
しかし、そこにあるのは親愛のみではなかった。
互いの胸中にあるのは、深い悲しみなのだ。
その胸中を。同じくする者がある。勇者だ。
(みんなを焚き付けてしまった。僕は本当にこんな事したかったの?)
勇者としての命に殉じ、彼女は常に戦場を友としてきた。
それが、皆の望む事であるから。そうすれば、誰も悲しまなくて済むから。
その為ならばと、心を殺して剣を振るい続けてきた。
ただ、ひたすら敵を切るだけのゴーレムであろうとしてきた。
沢山の魔族を切り捨てて来た、仲間もまた、何人も亡くしてきた。
その度に、痛む心を押さえつけて進んで行った。そうするしか出来なかったからだ。
勇者は本来、至って普通などこにでもいる少女の心しか持ち合わせてはいなかった。
友人達との遊戯を何よりの楽しみとし、悪戯好き故に両親を困らせ、しかしその優しさに甘え、父と母を愛し続けた、ただの少女。
その両親共、長い事会っていない。血に汚れた娘の姿を見せたくは無かったからだ。
勇者の力に目覚め、古の命運を背負い、友と家族の為に気丈であろうと振る舞ってきた。
己を偽り続けた彼女の心を動揺させたのは、意外にも自身の手で討った魔王の言葉だった。
『全ては性、生物たる性に過ぎん! 貴様と我に違いなど無い、この自然に生まれた者の務めを果たしているに過ぎんのだ!』
『戦いに意味を求めようとするな。これは我らの宿命。それを、無駄だと切って捨てたところで逃げる事は出来ん、我も貴様もッ!』
『互いの種族、どちらかが淘汰されるまではッ!!』
魔王の最後の叫び、それは彼女を諭す言葉だったのか?
だが、確かに彼女の心の柔らかい部分を貫いた。
勇者は今まで、自分が何故戦うのかと自問する時、平和の為と偽ってきた。それが勇者たる全く正しき在り方であったからだ。そうであると自らに思い込ませて来た。
魔王の言葉は、そんな彼女の考えを全て否定してしまったのだ。戦いは無意味なのか、否か。答えは出ぬままに彼女は、ここにきて悩みを抱えてしまった。自分は、本当は何を望んでいたのか、と。
勇者として生きる事しか出来なかった彼女は、それすらも見失ってしまった。だからこそ、今の彼女を支えているのは、己の無力さを嘆く気持ちだけだ。
「いよいよを以て、因縁に終止符が打たれたますね。今日という日を、人間が真の自由を手に入れる解放の日にしなければなりません」
「う、うん……」
眼前の戦いに対し、有り余る気持ちを口にするのは、勇者の友である僧侶だ。
彼女は、旅を始めた際に立ち寄った最初の街で出会った。
その時は、まだ互いに名も知らぬ間柄であったが、その後の旅路で、共に歩んできた。
その道程は決して平坦ではなく、幾度も命の危険に晒されたものだ。しかし彼女達は諦めなかった。互いを信じ合い励まし合った。苦難を乗り越えた先にこそ、真の幸福が待っていると信じて。
少なくとも、僧侶はそう願っている、心から。それこそが天啓であり、己が人生の宿願である事に違いない、と。
ある意味で、彼女が迷う事は無い。その願いある限り。そして、それが後少しというところで叶うのだと本気で思っている。
事実、その通りかも知れない。戦力差を考えても人間側が有利となっている上に、過去、類を見ない程に兵士達の士気も高まっているのだ。
さしもの、氷と謡われた僧侶の心にも高鳴るものがあるのだろう。
「浮かない顔をなさっていますね? しかしご安心を、私達が先頭に立てば、兵士方の力を束ねる事も出来ましょう。その勢いのまま首級を取れば、勇者の名と功績は永劫のものとなり、皆が称え続ける事でしょう。全ては我ら人類の勝利の為に、約束された栄光の為に」
僧侶の言葉に悪気など微塵も無い。
ただ純粋に勇者を心配しての事。しかし、それを聞いても勇者の心が晴れるなどありはしない。さらに陰を落とすだけだ。
勇者という偶像であろうとしていた頃に言われた台詞ならば、心を痛めつつも素直に受け止められたであろう。だが、今となっては違う。
(僕だって、もう勇者なんて呼ばれたくないよ)
勇者と呼ばれて、喜んで応えていた過去の自分を呪いたい気分だ。
しかし、そう呼ばれるに相応しい実力を持っている事も確かで、今更やめるわけにはいかない。
何よりも、今日まで共に戦ってくれた僧侶と魔法使いに申し訳が立たぬ。
「……その辺にしといてあげな、この子も、最後の戦いになるんでちょっとピリピリしてるんだ」
僧侶を制するように声を掛けてきたのは、勇者の幼馴染である魔法使いだ。
彼女は常に、勇者の傍にあり続けた。何よりも理解者として、そしてパーティーの調停者として。
僧侶と、彼女と言い合いになる事の多かった戦士との仲裁役、手癖の悪い商人の叱咤役、酒好きの盗賊の愚痴を聞くのも、魔法使いの役目であった。
だが、その三人もこの世には存在せず、一人亡くなる度に心を痛める勇者を、一人素直に泣かせて上げたのも彼女だ。
だからこそ、魔法使いには分かっていた。
勇者の心に迷いが生まれ、そんな自分に苦しみ悲しんでいる、と。
「そうですね。さしもの勇者様といえ、最後の戦いとなれば今まで以上に精神を尖らせる必要があるのやも知れません。では、わたくしは一足先に参ります。どうか、御武運を」
勇者にそう告げると、僧侶は踵を返し城門前へと駆け出した。
僧侶の姿が見えなくなると、勇者は大きく溜息を吐きながら俯いてしまう。
「……ねぇ、アンタ本当に良かったの?」
「うん……。もういいんだ、みんなの期待だけは裏切る訳には行かないよ。これで平和が来るなら、それを望んでる人が沢山いるから」
「本当に、本当にそう思ってるんなら、もう何も言えないよ。……でも、もしこれで逃げたって、アタシは文句を言わないよ。じゃあ、アタシはもう行くから。アンタはギリギリまでここにいな」
「ありがとう。でも、僕も一緒に行くよ。今更、自分の為には生きられないから」
魔法使いは、もう何も言わなかった。
二人は思い思いの胸中を隠し、一流の戦人の顔で城の門を目指す。その先には、既に多くの兵が待ち構えていた。
彼等もまた、勇者と共に戦う仲間達。