勝負を見届けた野次馬達から大喝采が巻き起こり、一帯の空気が変わる。
浴びせられる賞賛の声に、自分の意思とは関係なく、ぶるぶると背骨が震えた。
上から下に落ちる寒気とは逆に、下から上に駆け上がる熱気。
人に誉められ感謝される事によって得られる快感を、俺はこの時、初めて知った。
モンスター行動生態学の学校を飛び級で卒業した時ですら、教師に褒められこそすれど、こんなに大勢に賞賛されたりはしなかった。
ましてや「街を救ってくれてありがとう」なんていう感謝の言葉をもらったのだって、初めてだ。
もしかしたら冒険者達は、この快感を得るために危険なクエストに向かうのかもしれない。
店に来る客達の気持ちが少しだけ理解できた俺は、その冒険の一助たり得る武器屋という職業を、心の底から誇らしく思えた。
「やったな、武器屋!」
「すごいすごぉいっ!
ファイヤードラゴンを手懐けちゃったぁ!」
「やる時はやるんだな、チェリーボーイでも」
「変態だけど、見直しました~」
「ちょっと武器屋、なかなかやるじゃない!」
感動冷めやらぬ俺を、勇者を初め、リリー・ライラ・ロザリエのとりまき三人娘、さらにメリッサまでもが追い打ちをかけるかのごとく、もみくちゃにしてくる。
頭をくしゃくしゃと撫で、背中を叩き小突く、ちょっと乱暴な祝福。
学生時代に見た憶えがある、仲間同士の戯れだ。
こんな青春っぽいやり取りすら初めてで、嬉しくて嬉しくて、思わず涙が出そうになる。
しかしその感動も束の間、
「本当にすごいぜ、武器屋! いや、ドラゴンマスター!
これでオレ達のパーティーも機動力が上がって、より遠くまで冒険に出られるな!」
勇者の言葉が、俺の高揚を撃墜した。
「……ちょっと待て、勇者。
俺がいつお前らのパーティーに加わるなんて言った?」
「いや、加わらなくていいぜ?
オレ達が君のパーティーに加わるから。
オレ達はリーダーの君に従うし、力も貸す。ついでにオレ達の目的達成に協力してくれればいい。
ギブアンドテイクだぜ!」
ビシッと立てられた親指に怒りが込み上げてきたのは、これで二度目だ。
今度は鳩尾を突き上げるのではなく、マンキニの肩紐をぎゅうっと引き上げてやった。
「はうぁぁぁぁぁっ!
食い込む食い込むっ!」
「やいコラ、勇者! 勝手にパーティーを結成すんな!
いいか、あくまで俺は武器屋だ。
これから俺は、壊された家の再建費用と、売り物の武器を集めなくちゃならねぇ。
だからお前らのリーダーになって、魔王討伐なんかに付き合う暇はねぇ!」
「つまり冒険に出るんだな?
だったら旅は道づれ世は情けで、オレ達も一緒に」
「道づれも情けもいらねぇ!
どうせお前らの狙いは、ゼクロスの剣の力と、ファイヤードラゴンの機動力だろ?」
「違う! それは誤解だぜ、武器屋!」
急に勇者の顔から笑みが消え、深い海を思わせる青い瞳がきらめいた。
反論を重ねるより先に腕を引かれ、俺の体はあれよあれよという間に、筋肉質な男の腕の中に取り込まれる。
「そう捻くれて考えるな。
オレは君の知識の豊富さとか、物怖じしない性格とか、負けん気の強さとか……そういった所に惚れたんだぜ?
だから賄賂を渡してまで、仲間にしようとしたんだ」
耳元で囁かれ、トクン、と心臓が奇妙なうねりを生む。
これはまさかの──BLフラグという奴ではないだろうか。
否、俺に男色の趣味はない。
現に全身にサブイボが立っている。
心臓のうねりは、ただ単に吐き気に由来するものだ。
「離れろ、気色悪いっ!」
勇者の抱擁を振りほどき後ずさった先で、今度は背中が柔らかな壁にぶち当たる。
驚いて振り返ると、そこには氷の瞳のメリッサが立っていた。
「へぇ……アンタ、そっちの趣味だったのね。
どうりで浮いた話の一つもないわけだわ」
「違っ!」
「まぁ、性癖は人それぞれだから、とやかく言わないわ。
それより冒険に出るったって、今夜はどうするのよ、アンタ。寝床すらなくなっちゃったじゃない」
ついさっきまで祝福の戯れに加わっていたとは思えないほど、冷静な指摘だ。
急に現実に引き戻され、俺は改めて身の振り方を考えてみる。
家は全焼で全壊。
燃え残った武器のほとんどは、地金リサイクルに回すしかない。
金は釣り銭と今日の売り上げを除いて、全て王立銀行に預けてあるから大丈夫。
しかし預金額を鑑みると、武器屋を再建するにはまだまだ全然足りない。
行商武器屋でコツコツ稼いだとしても、再建できる費用が貯まった頃には、俺はジジイになっているだろう。
バーンと大金を稼ぐ一番手っ取り早い手段は、各都市の自警団が発注しているクエストをこなして、報酬を受け取る方法。
もしくはモンスターを倒したり、巣を探索したりして、集めたお宝を横取りする方法。
どちらにせよ、冒険に出る事が前提だ。
善は急げ、思い立ったが吉日とは聞くけれど、今夜の寝床すらないのだから選択の余地はない。
「もう……身一つで、すぐに出発する。
全部燃やされたから、持って行ける物もねぇしな」
「あっそ。じゃ、瓦礫の処理は商工会でやっといたげるわ。
何か使えそうな物があったら、遠慮なくもらうからね!」
傷心で旅立つ幼なじみに、もっと温かい言葉を掛ける優しさはないのだろうか。
けれどそんなドライな所が、メリッサらしいといえば、メリッサらしい。
やはり幼なじみルートなんてものは、存在しなかった。
ゼクロスのかけたキュンの魅了術も、全く効果なしだ。
改めて確信した俺は若干肩を落とし、とぼとぼと歩き始める。
少し進んでから何となく肩越しに振り返ると、メリッサが赤茶けた髪を苛立たしげに掻き回した。
「……あぁ、もうっ!
手ぶらで送り出して死なれたりしたら、気分悪いわ!
ちょっと待ってなさいよ!」
言うやいなや自分の店に駆けて行き、何やら防具を抱えて戻ってきた。
「これっ! 火鼠の革の鎧と兜と盾!
そんなに高い素材じゃないけど、万が一ファイヤードラゴンが反乱起こしたりしたら、炎もいくらか防げるから!
餞別代わりにくれてやるわ!」
唖然とする俺に、テキパキと防具を装備させてくれるメリッサ。
何だかんだ面倒見がいいのは、昔から変わっていない。
「……ありがと、な」
柄にもなく礼を言うのは照れ臭いけれど、言われた方も同じらしく、そばかすの頬がほんのりと赤く染まった。
ちょっぴり甘酸っぱいやり取りを経て、出立の準備はほぼ整った。
あとは武器さえあれば心強い。
(そういや、ゼクロスの剣はどうなったんだろうな)
思い出すのとほぼ同時に、借りてきた猫のようにおとなしくしていたドラゴンが、何かを咥えてきた。
受け取って確認してみると、それは煤にまみれたゼクロスの宝剣。
なぜこれをドラゴンが? という疑問への答えは、頭の中に直接返される。
『私がこのドラゴンに頼んだのだ。魔力は制限されているが、モンスターに語り掛けるくらいはできる。
さぁ、これで武器も揃った。
武器屋よ! 私と契約してモテモテになり、いざフェリスを倒す旅に出ようではないか!』
どいつもこいつも、本人の意思を無視して、自分達の都合ばかりを押し付けてくる。
しかも何度断っても諦めない。
度を超えたスルースキルとポジティブ思考が、ある意味羨ましくもある。
「ついてくんなよ!」
俺は勇者達に一喝して背を向け、ずんずんと歩き出す。
目的地はまだないが、目的はある。
武器屋の再建と安定した平穏なんてささやかではあるけれど、俺のような没個性平凡キャラには、それだけで充分だ。
ドラゴンマスターとか魔剣の使い手とか、物々しい肩書きなどいらない。
俺は武器屋。
ただそれだけだ。
「よし、出発だ!」
俺の合図を受けて、下僕となったファイヤードラゴンがゼクロスの宝剣を咥えたまま、夜空に舞い上がった。
勇者パーティーは少し距離を取りながら、まるでピクニックにでも出掛けるかのように、楽しげにはしゃぎながらついてくる。
そっとしておいて欲しいのに、どうやら周りが放っておいてくれそうにない。
武器屋一色だった俺の人生に、どんどん他の色が足されていく。
(しょうがねぇな……)
諦めの苦笑と共に振り仰いだ夜空には、満点の星が煌めいている。
そのうちの一つが、俺の旅立ちを祝うかのように力強く輝いて、流れ落ちた。