目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第9話



 これはまずい。


 さして長くない自分史上、一二を争うピンチだ。


 いくら相手が全員女だとて、手練れの冒険者三人を相手に、勝てる気がしない。


 どうにか穏便に済ませる術が、どこかに転がっていないものだろうか。


 助けを求めて彷徨わせた視線が、床に突き立ててある剣に、はたと留まった。


 この剣を差し出して命乞いをすれば、もしかしたら見逃してもらえるかもしれない。


 三人の狙いは、ゼクロスと契約した者の力。


 別に俺が契約者でなくとも、他のチェリーボーイがその役割を担えば、何の問題もないはずだ。


(けど、ゼクロスが……俺以外の誰かと契約……?)


 今まで無下に断ってきたくせに、いざ想像してみると、じわりと未練が湧いてくる。


 まるで散々言い寄ってきた女が、すんなり他の男に乗り換えてしまったかのような虚無感。


 何だか裏切られたような気さえする。


 心境の変化に戸惑いつつ、床から刃を引き抜いた途端、剣の中のゼクロスが訳知り顔でニヤリと笑った。


『私と離れがたいのだろう、武器屋よ。

ならば契約を受け入れるがいい。

さすれば私があの小娘共に、すぐさま魅了の術を使ってやろう。

ピンチを脱出できるばかりか、貧乳と鳩胸、それから巨乳、皆違って皆イイ乳を、揉み放題だぞ?』


 喋りながら、立派な角の先で親指を傷付け、こちらに差し向けてくる上級淫魔。


 朗々と紡がれる金色の鈴の音のように甘美な勧誘文句に、俺の心の下の方が、やわやわとくすぐられる。


 確かにゼクロスと契約すれば、手っ取り早く問題解決できるかもしれない。


 しかしその手段は、ただの一時逃れ。


 呪いをとくだの何だのと、新たな悩みの種を蒔くだけで、断じて救いなどではない。


 俺達のやり取りなど聞こえない三人娘は、そうこうしている間にも、じりじりと距離を縮めてくる。


「く、来るなっ! 来たらこいつを叩き折るからな!

本気だぞ、俺は!」


「もういい。

アンタみたいな腰抜け変態野郎に頼ろうと思った、アタシらが馬鹿だったんだ」


「魔剣と契約したチェリーボーイなんかより、もっと強くてイケメンの冒険者を仲間に入れるもんっ!」


「武器屋をたたんで、アダルトショップでも開店させたらいいと思います~!」


 罵声を浴びせられながら、俺はいよいよ壁際にまで追い詰められた。


 絶体絶命だ。


 こうなったらもう、ゼクロスと契約する以外に逃げ道がない。


 この店と平穏な生活を守るためにと、今まで頑なに拒んできたけれど、ついに年貢の納め時だ。


 違う誰かに取られるくらいならと、独占欲がチラリと見切れたのも確かだし、これはこれでいいきっかけなのかもしれない。


 ついに覚悟を決めた俺は、切っ先で親指を傷付け、血判を交わす準備をする。


 俺の心の声が聞こえるゼクロスも、絶妙なタイミングで手順の説明を始めた。


『まずはお互い、宣言からだ。

契約の意志を言霊に乗せるのだ。

その後、そちらとこちらの親指同士で血判を捺し合えば、契約成立だ。

さぁ……始めよう、武器屋』


 俺が頷けば、剣の向こうのゼクロスも、しっかりと頷き返す。


 いよいよ契約の儀式の始まりだ。


 指示通りに宣言をしようと、息を吸い込んだ直後、


「すまなかった、皆!」


おもむろに開かれたドアの音とやたらと大きな声が、ほぼ固まっていた決意を瓦解させた。


「オレが弱いばかりに、ファイヤードラゴンのクエストをリタイアさせちまって……。

でももう、心配無用だぜ!

なんたってオレは、最速の鎧をまとっているんだからな!」


 店舗出入り口に立ち、大声で謝罪と口上を述べたのは、例の勇者。


 ははははは! と爽やかに笑うその姿を、一言で形容すると、「変態」だ。


 なぜならば勇者の言う最速の鎧とやらは、どこからどう見ても普通ではない。


 その形状を筆舌するのは、非常に難しい。


 ざっくり言うと、水泳パンツの腰部分を無理矢理引き上げ、肩に掛けている感じ。


 遠目からだと、身体に黒いV字が描かれているように見えなくもない。


「なぁ勇者、その……鎧?

本当に防具なのか?」


 恐る恐る尋ねると、勇者はくるりと一回転してみせる。


 もちろん尻は丸出しだ。


「驚いたろう、武器屋!

たまたま出会った伝説の防具行商人から買った、この『風の羽衣』は、無駄な装飾を一切排したデザインで、文字通り風のように軽いんだぜ!」


「いや……丁寧な説明で、しかも良い買い物した! 的なホクホク顔のとこ、悪りぃんだけどさ。

どう見てもそれ、防御力低いだろ?

風の羽衣っつーか、ただのマンキ」


 「二」まで、たった四文字の短い単語を紡ぎ切れなかった。


 魔杖がみぞおちに、大剣の柄頭が左脇腹、聖杖が反対の脇腹に食い込んだせいで。


 むせ返る俺の耳元に、鬼の形相の女三人が、代わる代わる囁きを落としいていく。


「余計な事言っちゃダメぇ!」


「邪魔したら去勢するぞ、この腐れチェリー!」


「私達の旅の娯楽を奪わないでください~!」


 どうやらこいつらは勇者が行商人に騙されている事を知りながら、己の目の保養のために、口を閉ざしているようだ。


(酷い……酷過ぎて、どこからツッコめばいいのか、全然分かんねぇ!)


 こちら側のやり取りなど露知らず、腰に手を当て得意満面の勇者。


 彫像のようなその身にまとう、風の羽衣の正体は──黒いマンキニ。


 つまり、男性用ビキニだ。


 申し訳程度の布が、ぴっちりと股間を覆い隠している。


 けれど前屈みになったら隙間から見えてしまうだろうし、激しく動こうものならば簡単に具がこぼれてしまうはずだ。


 肌を覆う面積が極端に少ないこの防具に、果たして防御力はあるのだろうか。


 いや、ない。


 あるはずがない。


 視覚的な攻撃力は半端じゃないが。


「なぁ、ちょっと訊いてもいいか?」


「何だ、武器屋?

オレの知ってる事なら、何だって答えてやるぜ!」


「あのさ、もしかしてお前、その装備でファイヤードラゴンに挑んだのか?」


「もちろんだぜ!

何しろ風の羽衣は、その軽さゆえ、通常の鎧を着てる時の倍の速さで動けるそうだからな!

けど、敵もなかなか手強くてな。

さすがにドラゴンをスピードだけでいなす事は、できなかったんだぜ」


 ──まずどこから捌いていこう。


 鎧を着ている時よりも速く動けるのは、至極当然の事だ。


 金属製の防具を兜までフルで装備すると、初等教育課程の子供を背負って動くのと同じくらい、機動力が下がる。


 革製の物でも、その半分程度。


 それに比べ、マンキニ……もとい、風の羽衣は、グリフォンの羽根一枚分の重さもないだろう。


 いくら素早く動けるからといって、マグマほど高温の炎を吐くモンスター、ファイヤードラゴンに、露出度の高いそれで挑むのは、無謀の極み。


 いや、無謀を通り越して、もはや自殺行為の域だ。


 唯一褒められるとしたら、五体満足で生還できた事だけ。


 さすがにこの界隈で名を知られているだけある。


 勇者のアホ由来の頑丈さは、人並み以上だ。


 脳内でツッコミを入れ終えた俺は、どうしたものかと唸りながら、目頭を揉んだ。


 絶体絶命のピンチを救ってくれたお礼代わりに、一応アドバイスをしておいてやった方が、いろいろと好都合な気がする。


 もしかしなくても、女達の恨みを買うだろうけれど。


「あのな、勇者。風の羽衣よりも、鱗の鎧の方が、ファイヤードラゴンとの戦闘に向いてると思うぞ。

隣りの防具屋で、種類とか値段とか、相談してみるといい。

今日はニコニコスタンプ二倍デーだし、買い時で間違いない」


 三人の鋭い視線が頬にビシビシ突き刺さるのを感じるけれど、関係ない。


 どうせこの先、こいつらと関わる機会なんて、二度とないだろうから。


 俺のアドバイスに感心したように何度か頷いてから、勇者はふと、マンキニの股間部分をまさぐり始めた。


「なっ、何やってんだよ!

いじるな、こんな時にこんな所でそんな部位っ!」


「いやいや、いじってる訳じゃないぜ。

この風の羽衣の難点は、収納が一箇所しかない事だけだな……っと、あったあった!

ほら、武器屋!

耳寄りな情報のお礼に、これをやるよ!」


 そう言って、股間から取り出されたのは──手乗りサイズの、金色に輝く、球体だった。




コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?