これはまずい。
さして長くない自分史上、一二を争うピンチだ。
いくら相手が全員女だとて、手練れの冒険者三人を相手に、勝てる気がしない。
どうにか穏便に済ませる術が、どこかに転がっていないものだろうか。
助けを求めて彷徨わせた視線が、床に突き立ててある剣に、はたと留まった。
この剣を差し出して命乞いをすれば、もしかしたら見逃してもらえるかもしれない。
三人の狙いは、ゼクロスと契約した者の力。
別に俺が契約者でなくとも、他のチェリーボーイがその役割を担えば、何の問題もないはずだ。
(けど、ゼクロスが……俺以外の誰かと契約……?)
今まで無下に断ってきたくせに、いざ想像してみると、じわりと未練が湧いてくる。
まるで散々言い寄ってきた女が、すんなり他の男に乗り換えてしまったかのような虚無感。
何だか裏切られたような気さえする。
心境の変化に戸惑いつつ、床から刃を引き抜いた途端、剣の中のゼクロスが訳知り顔でニヤリと笑った。
『私と離れがたいのだろう、武器屋よ。
ならば契約を受け入れるがいい。
さすれば私があの小娘共に、すぐさま魅了の術を使ってやろう。
ピンチを脱出できるばかりか、貧乳と鳩胸、それから巨乳、皆違って皆イイ乳を、揉み放題だぞ?』
喋りながら、立派な角の先で親指を傷付け、こちらに差し向けてくる上級淫魔。
朗々と紡がれる金色の鈴の音のように甘美な勧誘文句に、俺の心の下の方が、やわやわとくすぐられる。
確かにゼクロスと契約すれば、手っ取り早く問題解決できるかもしれない。
しかしその手段は、ただの一時逃れ。
呪いをとくだの何だのと、新たな悩みの種を蒔くだけで、断じて救いなどではない。
俺達のやり取りなど聞こえない三人娘は、そうこうしている間にも、じりじりと距離を縮めてくる。
「く、来るなっ! 来たらこいつを叩き折るからな!
本気だぞ、俺は!」
「もういい。
アンタみたいな腰抜け変態野郎に頼ろうと思った、アタシらが馬鹿だったんだ」
「魔剣と契約したチェリーボーイなんかより、もっと強くてイケメンの冒険者を仲間に入れるもんっ!」
「武器屋をたたんで、アダルトショップでも開店させたらいいと思います~!」
罵声を浴びせられながら、俺はいよいよ壁際にまで追い詰められた。
絶体絶命だ。
こうなったらもう、ゼクロスと契約する以外に逃げ道がない。
この店と平穏な生活を守るためにと、今まで頑なに拒んできたけれど、ついに年貢の納め時だ。
違う誰かに取られるくらいならと、独占欲がチラリと見切れたのも確かだし、これはこれでいいきっかけなのかもしれない。
ついに覚悟を決めた俺は、切っ先で親指を傷付け、血判を交わす準備をする。
俺の心の声が聞こえるゼクロスも、絶妙なタイミングで手順の説明を始めた。
『まずはお互い、宣言からだ。
契約の意志を言霊に乗せるのだ。
その後、そちらとこちらの親指同士で血判を捺し合えば、契約成立だ。
さぁ……始めよう、武器屋』
俺が頷けば、剣の向こうのゼクロスも、しっかりと頷き返す。
いよいよ契約の儀式の始まりだ。
指示通りに宣言をしようと、息を吸い込んだ直後、
「すまなかった、皆!」
おもむろに開かれたドアの音とやたらと大きな声が、ほぼ固まっていた決意を瓦解させた。
「オレが弱いばかりに、ファイヤードラゴンのクエストをリタイアさせちまって……。
でももう、心配無用だぜ!
なんたってオレは、最速の鎧をまとっているんだからな!」
店舗出入り口に立ち、大声で謝罪と口上を述べたのは、例の勇者。
ははははは! と爽やかに笑うその姿を、一言で形容すると、「変態」だ。
なぜならば勇者の言う最速の鎧とやらは、どこからどう見ても普通ではない。
その形状を筆舌するのは、非常に難しい。
ざっくり言うと、水泳パンツの腰部分を無理矢理引き上げ、肩に掛けている感じ。
遠目からだと、身体に黒いV字が描かれているように見えなくもない。
「なぁ勇者、その……鎧?
本当に防具なのか?」
恐る恐る尋ねると、勇者はくるりと一回転してみせる。
もちろん尻は丸出しだ。
「驚いたろう、武器屋!
たまたま出会った伝説の防具行商人から買った、この『風の羽衣』は、無駄な装飾を一切排したデザインで、文字通り風のように軽いんだぜ!」
「いや……丁寧な説明で、しかも良い買い物した! 的なホクホク顔のとこ、悪りぃんだけどさ。
どう見てもそれ、防御力低いだろ?
風の羽衣っつーか、ただのマンキ」
「二」まで、たった四文字の短い単語を紡ぎ切れなかった。
魔杖がみぞおちに、大剣の柄頭が左脇腹、聖杖が反対の脇腹に食い込んだせいで。
むせ返る俺の耳元に、鬼の形相の女三人が、代わる代わる囁きを落としいていく。
「余計な事言っちゃダメぇ!」
「邪魔したら去勢するぞ、この腐れチェリー!」
「私達の旅の娯楽を奪わないでください~!」
どうやらこいつらは勇者が行商人に騙されている事を知りながら、己の目の保養のために、口を閉ざしているようだ。
(酷い……酷過ぎて、どこからツッコめばいいのか、全然分かんねぇ!)
こちら側のやり取りなど露知らず、腰に手を当て得意満面の勇者。
彫像のようなその身にまとう、風の羽衣の正体は──黒いマンキニ。
つまり、男性用ビキニだ。
申し訳程度の布が、ぴっちりと股間を覆い隠している。
けれど前屈みになったら隙間から見えてしまうだろうし、激しく動こうものならば簡単に具がこぼれてしまうはずだ。
肌を覆う面積が極端に少ないこの防具に、果たして防御力はあるのだろうか。
いや、ない。
あるはずがない。
視覚的な攻撃力は半端じゃないが。
「なぁ、ちょっと訊いてもいいか?」
「何だ、武器屋?
オレの知ってる事なら、何だって答えてやるぜ!」
「あのさ、もしかしてお前、その装備でファイヤードラゴンに挑んだのか?」
「もちろんだぜ!
何しろ風の羽衣は、その軽さゆえ、通常の鎧を着てる時の倍の速さで動けるそうだからな!
けど、敵もなかなか手強くてな。
さすがにドラゴンをスピードだけでいなす事は、できなかったんだぜ」
──まずどこから捌いていこう。
鎧を着ている時よりも速く動けるのは、至極当然の事だ。
金属製の防具を兜までフルで装備すると、初等教育課程の子供を背負って動くのと同じくらい、機動力が下がる。
革製の物でも、その半分程度。
それに比べ、マンキニ……もとい、風の羽衣は、グリフォンの羽根一枚分の重さもないだろう。
いくら素早く動けるからといって、マグマほど高温の炎を吐くモンスター、ファイヤードラゴンに、露出度の高いそれで挑むのは、無謀の極み。
いや、無謀を通り越して、もはや自殺行為の域だ。
唯一褒められるとしたら、五体満足で生還できた事だけ。
さすがにこの界隈で名を知られているだけある。
勇者のアホ由来の頑丈さは、人並み以上だ。
脳内でツッコミを入れ終えた俺は、どうしたものかと唸りながら、目頭を揉んだ。
絶体絶命のピンチを救ってくれたお礼代わりに、一応アドバイスをしておいてやった方が、いろいろと好都合な気がする。
もしかしなくても、女達の恨みを買うだろうけれど。
「あのな、勇者。風の羽衣よりも、鱗の鎧の方が、ファイヤードラゴンとの戦闘に向いてると思うぞ。
隣りの防具屋で、種類とか値段とか、相談してみるといい。
今日はニコニコスタンプ二倍デーだし、買い時で間違いない」
三人の鋭い視線が頬にビシビシ突き刺さるのを感じるけれど、関係ない。
どうせこの先、こいつらと関わる機会なんて、二度とないだろうから。
俺のアドバイスに感心したように何度か頷いてから、勇者はふと、マンキニの股間部分をまさぐり始めた。
「なっ、何やってんだよ!
いじるな、こんな時にこんな所でそんな部位っ!」
「いやいや、いじってる訳じゃないぜ。
この風の羽衣の難点は、収納が一箇所しかない事だけだな……っと、あったあった!
ほら、武器屋!
耳寄りな情報のお礼に、これをやるよ!」
そう言って、股間から取り出されたのは──手乗りサイズの、金色に輝く、球体だった。