これは幻だろうか。
はたまた夢だろうか。
喧騒の中でへたり込みながら、俺は明るく染まった夜空を、呆然と見上げていた。
一体なぜこんな事になってしまったのだろう。
ただ健全に武器屋を営んでいただけで、悪い事など何一つしていないはずなのに。
思い返してみても、心当たりなどちっとも見つからない。
今日も俺はいつも通りの時間に起きて、いつも通りに武器屋を開店させた。
商品である武器の手入れをしたり、店内を掃除したりするのも、いつも通り。
午前中に来た客は、アーチャーのおっさんが一人だけ。
消耗品である矢は、武器屋の貴重な収入源だ。
おっさんに矢を渡しながら、「冒険者は全員、ボウガンか弓を必帯すべし」という法律でもできればいいのにと、心の中でこっそりと願った。
願うくらい可愛いものだ。
罰なんて当たるはずがない。
午後からは、抜き身で飾るようになった魔剣の住人とくだらない会話を交わしたり、しつこく契約を勧められたりしながら暇な営業時間を潰して、夕方──。
そう、夕方だ。
ターニングポイントとなったのは。
「武器屋さんっ! 助けてぇ!」
いつぞやの勇者一味の妹系貧乳魔法使いが、悲鳴を上げながら店内に飛び込んできたのが、事の発端だった。
何事かと尋ねる隙もないほどオイオイ盛大に泣く後ろから、ツンデレ系鳩胸戦士も顔を出す。
「ほら、だから無駄だって言ったろう? リリー。
ピュアボーイは溜まり過ぎてるせいで、腰が重くて上がらないんだから」
まだ内容も聞かされていないうちから、随分な言われようだ。
ムッとした所へ、お決まりのように天然系巨乳僧侶が現れて、オチをつける。
「ライラ、決めつけは良くないです~。
まだリリーはお願いを言ってないみたいですよ~。
それに武器屋さんはきちんと毎日抜いてるので、溜まってないっぽいですよ。
その証拠に、お店までイカ臭いですから~」
小馬鹿にしに来たのか、それとも何やら頼みに来たのか、はっきりしてもらいたいものだ。
早くも頭痛を覚え始めた俺は、一旦深呼吸して苛立ちを抑えてから、親切にも質問を投げてやった。
「で? 武器屋に何の用だ、勇者のとりまき共。
肝心の勇者の姿が見えねぇけど、どうかしたのか?」
「ああ……じつは、西のはずれに朽ちた聖堂があるだろう?
そこにファイヤードラゴンが巣を作っててさ。
翼竜が手に入れば移動が格段に楽になるからって、勇者とうちらで、捕獲クエストに向かったんだよ」
「ところがどっこい、フルボッコにされちゃったんです~。
私の回復魔法で傷は完治したんですけど、メンタル面の傷が深くて深くて~」
「勇者様はああ見えて、とってもナイーブなのぉ。
もちろん腕も立つんだけど、やっぱりその剣の恩恵が大きかったみたい。
自信喪失で、別のトコロが勃たなくなっちゃって、つまんないのぉ」
代わる代わる語られた中で、俺に関わりのありそうな情報は、何一つなかった。
けれど直感が告げる。
こりゃ面倒な展開になりそうだと。
こういった場合、妙な事に巻き込まれる前に一線引いてやるに限る。
俺はニッコリとサービススマイルを作って、わざとらしいほど大きく腕を広げてみせた。
「それは大変だ。
さぁ、どんな武器でも買っていくといい。ドラゴンスレイヤーなんて珍しい大剣も、うちには置いてあるぞ。
しかもお前ら、運がいいな。
今日は商工会の定めた、ワクワクスタンプ二倍デーだ。いつもの倍、スタンプを押してやれる」
「このままだと魔王どころか、ファイヤードラゴンだってやっつけられないよぅ!
ねぇ、武器屋さん!
すぐにゼクロスと契約して、アタシ達のパーティーに入って、勇者様を助けてぇ!」
ワクワクスタンプ二倍の耳寄り情報を無視して、自分達の要求を突き付けてくる、妹系貧乳魔法使い・リリー。
可憐な見かけによらず、心臓になかなかの剛毛が生えているようだ。
だが俺の強心臓だって、負けてはいられない。
「断る!
要件はそれだけか? 武器を買わねぇんなら、とっとと帰れ帰れ!」
強気で返したものの、よほど切羽詰まっているのか、三人は引き下がろうとしない。
そればかりか、契約のキーワードに反応したゼクロスまでもが、とりまき共の肩を持つ始末。
俺の頭の中に説得をキンキン響かせてくるせいで、いよいよ頭痛が本格化してきた。
「あー、もう、うるさいうるさいっ!
俺はただの武器屋だ!
お前らのパーティーに加わって冒険する気もねぇし、ゼクロスと契約もしねぇ!」
大声で吠えてから、俺はひらりとカウンターを飛び越えた。
そして壁に掛けてあったゼクロスの宝剣をおもむろに引っ掴み、板床にザックリと突き立ててみせる。
突然の行動に、その場の誰もが面食らう中、ウォーハンマーを手に取れば、準備完了。
「出て行かねぇんなら、今すぐこいつを叩き折るぞ!
そうしたらもう、契約もできねぇし、お前らの助けにもなれねぇ!
何もかも全部おしまいだ!」
目を血走らせ、口の端から泡を吹きながらの、渾身の──演技だ。
ゼクロスは契約契約とうるさいけれど、今となっては、俺の良き話し相手。
見た事もない世界や、魔族の珍しい生活習慣、冒険の話などは、店番の退屈しのぎにぴったりだ。
なので剣を壊す気など毛頭ない。
体良く追い払うための、ただの脅しだ。
俺の心の声が聞こえるゼクロスもそれを悟り、沈黙を守っている。
しばらくの睨み合いの末、諦めの悪いツンデレ系鳩胸戦士・ライラが、背中の大剣をスラリと抜き放った。
「……なら仕方ない。
実力行使に出るしかないな」
そのすぐ後ろには、赤い宝石を冠した魔法杖を構えた、妹系貧乳魔法使い・リリーが控える。
「こうなったら、力ずくでも仲間になってもらうんだもんねっ!」
攻撃態勢を整える二人とは対照的に、まだ名前の出てきていない天然系巨乳僧侶は、おろおろとうろたえた末に、仲間をたしなめるような、俺をけなすようなセリフを口にした。
「ライラ、リリー! ダメですよ~、実力行使なんて!
チェリーボーイさんには、色仕掛けが一番効果的で平和的です~!」
「そういう役目は、馬鹿みたいに乳のでかいあんたのもんだろ、ロザリエ」
「ひ~んっ!
お乳の話はやめてください~!」
「そうよぉ! ライラの言う通り!
乳の無駄遣いしてないで、こういう時こそ何とかしてよぉ、ロザリエ!」
言い争いを始める女達を前にして、俺の頭に浮かんだのは、「乳差別」という言葉。
もちろん俺が勝手に作った造語だ。
乳は言わずと知れた、女性らしさの象徴。
それゆえ同性からの嫉妬の対象にもなり得る。
女性側からは巨乳の方が優位だろうと思われがちだが、一般的な男からしてみたら、じつはそこまで強いこだわりはない。
確かに大きくて立派な乳には、目を奪われてしまう。
しかしそれは、ただの条件反射のようなもの。
大きかろうが小さかろうが、どんな色形であろうが、関係ない。
乳が乳たる事にこそ、魅力を感じるのだから。
そんな繊細な男心を理解しようともせず、乳の如何でいがみ合うなど、愚の骨頂。
けしからん。
許すまじ乳差別。
「いい加減にしろ、お前ら!
でかい乳小さい乳、皆違って皆イイ!
俺はどんな乳でも好きだ! 大好きだ!!」
世の一般男性を代表しての魂の叫びに、愚かな女達はキョトン顔になった。
直後、こちらに向けられていた視線と店内の空気が、一気に氷点下と化す。
「……最低です~!」
平和的解決を望んでいたはずの天然系巨乳僧侶・ロザリエさえも、ついには攻撃態勢に入ってしまった。