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第7話



 頭の中で盛大に涎を撒き散らしつつ、俺は気のないそぶりで、ゼクロスを見下す。


「ふぅん? とびきりの財産か。

でもあいにく俺は、いつもニコニコ現金主義だからな。

目の前にこれだけ金貨積まれたらなぁ。どうしよっかなぁ」


『目を覚ませ、武器屋よ! そして今すぐ私と契約するのだ!

剣を渡すが最後、返す刀でズバッとやられて、枯れ果てるまで血をすすられるぞ!』


「妾がそんな卑怯な真似をするはずがなかろう?」


『するだろう、フェリス!

吸血族は人を騙して血を奪うのが生業なのだからな!』


「そんな妾すら騙したのは貴様だろう、ゼクロスよ」


 何やら会話の流れが、痴話喧嘩的な方向に向かっているような気配がする。


 騙すだ騙されただの話の中に、男女のゴシップめいた香ばしさを嗅ぎ取り、俺は色めいた。


 娯楽の少ないこの街で、他人のゴシップネタは垂涎の的だ。


「へぇ~、かわいそうにな。

騙されたんだ、あんた?」


 建前の同情を含んだ問い掛けに、フェリスは綺麗な顔を曇らせる。


「そうだ。元々ゼクロスは、妾とつがうはずだったのだ。

それなのにこの男は、女を取っ替え引っ替え、浮気ばかり」


『それは周りが勝手に決めた事だろう!

私は認めてなどいない!』


「しらばっくれるでない!

妾の純潔を奪う時に、しかと娶る約束を交わしたではないか!」


 口論の末に女が憐れっぽく泣き出すのは、大衆演劇にありがちな展開だ。


 だがしかし実話というだけで、面白みが何倍にも増す。


 さらに深い事情を聞こうと、俺はフェリスに同調してみせた。


「そりゃひどいな、男として最低だ。それで?」


「聞いてくれるか、武器屋よ。

妾の再生能力も難儀なものでな。姦通を果たしても、放っておくとそこすらも再生してしまう。

夜伽のたびの苦痛を和らげ快感を得るためには、常に張型を挿しておかねばならぬのだ」


「ハリガタ?」


「そんな物も知らぬのか、貴様は。さすがはピュアボーイだな。

つまり夫となる男のアレを型取って……と、実際に見せた方が話が早かろうな。

待っておれ」


 言葉を切ったフェリスは、こちらに背を向けてしゃがみ、ミニワンピースの裾から手を差し入れた。


「……ンっ!」


 鼻にかかる甘い声の後ずるりと産み落とされたのは、水晶か何かの宝石でできた、それはそれはご立派な──男のシンボル。


 キラキラぬらぬらと光り輝くそれこそが、張型なる物。


 要するに、ゼクロスのアレの実物大模型だ。


 なぜ今の今まで、浮気症の婚約者の張型を抜かずにいたのか、想像に容易い。


 呪いをかけて剣に封印してからも、フェリスはゼクロスの事を憎みつつ、一途に想い続けていたのだろう。


 ゼクロスのためのいじらしさが、何とも羨ましい妬ましい。


 しかしチェリーボーイをこじらせている俺の想像は、どうやらまだまだ甘っちょろかったようだ。


「妾はここまでして、身を捧げたのだ。

だのに……だのにっ!」


 ギリギリと歯噛みしたフェリスが、いきなり張型をスパーン! と床に投げつけた。


 宝石は無残に砕け散り、さらにとどめとばかりにジャリジャリと踏みにじられる。


「ひぃぃぃ!

なんかイタイなんかイタイ!」


 本物ではないけれど、まして自分のモノでもないけれど、俺とて男で、同じお宝をぶら下げている身。


 まるで自分の股間を踏みつけられているような錯覚に陥り、反射的に前屈みになってしまうのは、全男子共通の反応だろう。


 同じく剣の中で股間を押さえるゼクロスは、怒りもあらわにフェリスに食ってかかった。


『何と酷い事をするのだ!

模造品とはいえ、私はちょっぴり切ないぞ!』


「貴様の張型など、もう必要ない。

妾の愛は、もはや憎しみに転化した。

だからこそ過去と決別しようと、貴様を葬りに来たのだ。

妾の純潔を散らし弄んだ罰、しかと受けよ!」


『何度目の純潔だ! 前の夫との間に子供までいるくせに!

それはもはや純潔詐欺だぞ!』


 訳ありの男女がギャンギャン舌戦を繰り広げる中、俺は「砕けた水晶でも買い取ってもらえるのかな」なんて、のん気に考えていた。


ところが、


「武器屋! 早く剣を妾に!」


『武器屋! 早く私と契約を!』


目を三角に吊り上げた二人に、決定権らしきものを押し付けられてしまった。


 フェリスとゼクロス、それぞれの言い分も分からないでもない。


 要するに、男女独特の恋愛観の温度差だろう。


 二人の痴情のもつれともかく、俺がどう判断を下すかが大きな問題だ。


 ズバッとやられるかもしれない可能性をはらんだまま、剣を渡して金を受け取るか。


 はたまたゼクロスと契約して、この女魔族を殺るか犯るか。


 二者択一だ。


 考えに考えて、それでも優柔不断に決めあぐねる俺に、痺れを切らしたのだろう。


 フェリスが苛立たしげに、深く長く息を吐き出した。


「……なるほど。どちらも選べないのならば、仕方がない。

妾が引導を渡してくれようぞ」


 その溜め息だろうか。


 花を思わせる芳しい香りが漂ってきた途端、俺はふいに目眩を覚えた。


 時を同じくして、ゼクロスの怒声が上がる。


『危ない、武器屋! 息を止めろ!

フェリスが吐く花の香りの溜め息には、痺れ薬が仕込まれている!』


 どうしてこいつは毎度毎度、ギリギリでアドバイスをよこすのだろう。


 しかも今回は、ギリギリセーフではない。


 吸い込んでしまった後だから、ギリギリアウトだ。


 巡る血液が鉛のように重く感じられ、徐々に体が命令を受け付けなくなってくる。


 唯一の命綱である剣は、振るえる気が全くしないけれど、意地でも手放す訳にはいかない。


 痺れ薬の効果が隅々まで行き渡り自由を奪われた俺は、女の細腕に押されただけで、簡単に尻もちをついてしまった。


「く……そっ!

どうする気だ……!」


「案ずるな、殺しも吸血もせぬ。

貴様に少し良い思いをしてもらうだけだ」


 太腿の上にまたがり、俺のベルトを勝手に外していくフェリス。


 その行動から、「良い思い」の意味が、容易に悟れる。


 こいつはゼクロスとの契約者の資格を、俺から剥奪するつもりだ。


 それはつまり、少年から男へと一皮むくための儀式を執り行う──という意味。


 ゼクロスの悲痛な叫びとこちらの意思を無視して、準備は着々と進んでいく。


 フェリスの胸元を編み上げていた革紐も、ほどかれてしまった。


「妙案であろう、武器屋よ?

契約を結べなくなれば、貴様にとって、何の価値もなくなる剣だ。

妾に譲る気になろうて」


 つきつけられた立派な胸と第三の選択肢に、ぐるぐると目が回ってくる。


「そんなにおぼこく緊張せずともよい。

張型を抜いたばりゆえ、すんなりだ。共に愉しもうぞ」


 フェリスのしなやかな指が、いよいよ下着を脱がしにかかると同時、


「武器屋! 

商工会の回覧板、雨の中わざわざ持ってきてやったわよ!」


出入り口のドアが、バーン! と勢い良く開かれた。


 果たして天の助けか、はたまた邪魔か。


 耳慣れた憎まれ口に若干安堵を覚えたという事は、たぶん前者だろう。


「メリッサ……助け」


「……最っ低っっっ!」


 助けを求めている途中で、俺の目から星が飛び出した。


 眉間にクリーンヒットして星を生んだ回覧板が、パタンと間抜けな音を立てて床に落ちる。


「角っ! おま、角が刺さったぞ!」


「見損なったわ、武器屋!

女性のお客さんだからって足元見て、カラダでお代を頂戴しようって魂胆ね?

商品のアックスと剣まで脅しに使って、商人の風上にも置けないわ!」


 組み敷かれているのは俺の方で、襲われているのが一目瞭然な状況だというのに、なぜそんなとんちんかんな判断になるのだろう。


 メリッサの頭の構造が分からない。


 唖然とする俺を無視して、メリッサはあられもない姿のフェリスに、自分のマントを優しく掛けてやっている。


「もう大丈夫ですよ!

武器が必要でお困りなんでしょうけど、こんな変態武器屋で買い物しなくたって、もっといい武器屋が隣町にありますから。

さぁ、こんなイカ臭い店、とっとと出ましょ!」


 助け起こされたフェリスが、松ヤニくさい手に背中を押されて、あれよあれよという間に店の外に退避させられる。


 去り際に振り返ったメリッサは、呆然と見送る俺に向かって、冷ややかな視線と捨て台詞を残していった。


「下衆野郎……」


 バタンとドアが閉まると、店内はさっきまでの喧騒が嘘のように、静寂に満たされる。


 俺は痺れた首をどうにか起こし、足元を確認してみた。


 そこには金貨の詰まった、大量の革袋が残されているはずだ。


 まだ希望は墜えていない。


 しかし、時すでに遅し。


 俺の目が捉えたのは、宙空に浮かぶ小窓からニョキッと生えた青白い手が、最後の一袋を掴んだ瞬間だった。


 フェリスの手と小窓が霧散してから、俺は悟った。


 もしも売買契約が成立して宝剣を手渡した後にも、同じような光景を目にする羽目になっていただろう。


 つまりは、騙されたのだと。


(何なんだよ、まったく……)


 引っ掻き回されるだけ引っ掻き回されて、結局俺には何も残らなかった。


 金貨の一枚も、一つ上の男の済印も。


 そればかりか、不名誉な誤解まで生まれてしまった。


 商工会へ報告されたら、この店は営業停止やら改善命令やらを食らってしまうだろう。


 もし噂が広まりでもしたら、商売あがったりだ。


 誤解をとくのは到底無理だろうから、メリッサには口止めの賄賂として、街一番の焼き菓子屋の菓子折りでも贈ろう。


 ぼんやりと考え事をしているうちに、痺れ薬の効果が切れてきたのか、体に力が入るようになってきた。


 のろのろと上半身を起こした俺は、魂さえも口から出てしまいそうなほど、大きな大きな溜め息をつく。


 それが一区切りの合図だったかのように、沈黙を守っていたゼクロスが、恐る恐る声を掛けてきた。


『……なぁ、武器屋よ。

もしかして幼馴染みルートへのフラグが立って』


「んな訳ねぇだろ。

見たろ? あのスライムを見るような目。

女心が分かってねぇから命狙われたりするんだよ、お前は」


『チェリーボーイの貴様に言われる筋合いはないな。

ところで武器屋、契約は────』


 軽口ついでにさらりと問われ、一瞬にして怒りの炎が、俺の黒髪を逆立てた。


「するか、ボケぇぇぇぇぇぇぇ!」


 ドラゴンが口から火を吐くかのごとく勢いで放ったツッコミは、狭い店内の壁を微かに揺らしただけだった。




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