頭の中で盛大に涎を撒き散らしつつ、俺は気のないそぶりで、ゼクロスを見下す。
「ふぅん? とびきりの財産か。
でもあいにく俺は、いつもニコニコ現金主義だからな。
目の前にこれだけ金貨積まれたらなぁ。どうしよっかなぁ」
『目を覚ませ、武器屋よ! そして今すぐ私と契約するのだ!
剣を渡すが最後、返す刀でズバッとやられて、枯れ果てるまで血をすすられるぞ!』
「妾がそんな卑怯な真似をするはずがなかろう?」
『するだろう、フェリス!
吸血族は人を騙して血を奪うのが生業なのだからな!』
「そんな妾すら騙したのは貴様だろう、ゼクロスよ」
何やら会話の流れが、痴話喧嘩的な方向に向かっているような気配がする。
騙すだ騙されただの話の中に、男女のゴシップめいた香ばしさを嗅ぎ取り、俺は色めいた。
娯楽の少ないこの街で、他人のゴシップネタは垂涎の的だ。
「へぇ~、かわいそうにな。
騙されたんだ、あんた?」
建前の同情を含んだ問い掛けに、フェリスは綺麗な顔を曇らせる。
「そうだ。元々ゼクロスは、妾とつがうはずだったのだ。
それなのにこの男は、女を取っ替え引っ替え、浮気ばかり」
『それは周りが勝手に決めた事だろう!
私は認めてなどいない!』
「しらばっくれるでない!
妾の純潔を奪う時に、しかと娶る約束を交わしたではないか!」
口論の末に女が憐れっぽく泣き出すのは、大衆演劇にありがちな展開だ。
だがしかし実話というだけで、面白みが何倍にも増す。
さらに深い事情を聞こうと、俺はフェリスに同調してみせた。
「そりゃひどいな、男として最低だ。それで?」
「聞いてくれるか、武器屋よ。
妾の再生能力も難儀なものでな。姦通を果たしても、放っておくとそこすらも再生してしまう。
夜伽のたびの苦痛を和らげ快感を得るためには、常に張型を挿しておかねばならぬのだ」
「ハリガタ?」
「そんな物も知らぬのか、貴様は。さすがはピュアボーイだな。
つまり夫となる男のアレを型取って……と、実際に見せた方が話が早かろうな。
待っておれ」
言葉を切ったフェリスは、こちらに背を向けてしゃがみ、ミニワンピースの裾から手を差し入れた。
「……ンっ!」
鼻にかかる甘い声の後ずるりと産み落とされたのは、水晶か何かの宝石でできた、それはそれはご立派な──男のシンボル。
キラキラぬらぬらと光り輝くそれこそが、張型なる物。
要するに、ゼクロスのアレの実物大模型だ。
なぜ今の今まで、浮気症の婚約者の張型を抜かずにいたのか、想像に容易い。
呪いをかけて剣に封印してからも、フェリスはゼクロスの事を憎みつつ、一途に想い続けていたのだろう。
ゼクロスのためのいじらしさが、何とも羨ましい妬ましい。
しかしチェリーボーイをこじらせている俺の想像は、どうやらまだまだ甘っちょろかったようだ。
「妾はここまでして、身を捧げたのだ。
だのに……だのにっ!」
ギリギリと歯噛みしたフェリスが、いきなり張型をスパーン! と床に投げつけた。
宝石は無残に砕け散り、さらにとどめとばかりにジャリジャリと踏みにじられる。
「ひぃぃぃ!
なんかイタイなんかイタイ!」
本物ではないけれど、まして自分のモノでもないけれど、俺とて男で、同じお宝をぶら下げている身。
まるで自分の股間を踏みつけられているような錯覚に陥り、反射的に前屈みになってしまうのは、全男子共通の反応だろう。
同じく剣の中で股間を押さえるゼクロスは、怒りもあらわにフェリスに食ってかかった。
『何と酷い事をするのだ!
模造品とはいえ、私はちょっぴり切ないぞ!』
「貴様の張型など、もう必要ない。
妾の愛は、もはや憎しみに転化した。
だからこそ過去と決別しようと、貴様を葬りに来たのだ。
妾の純潔を散らし弄んだ罰、しかと受けよ!」
『何度目の純潔だ! 前の夫との間に子供までいるくせに!
それはもはや純潔詐欺だぞ!』
訳ありの男女がギャンギャン舌戦を繰り広げる中、俺は「砕けた水晶でも買い取ってもらえるのかな」なんて、のん気に考えていた。
ところが、
「武器屋! 早く剣を妾に!」
『武器屋! 早く私と契約を!』
目を三角に吊り上げた二人に、決定権らしきものを押し付けられてしまった。
フェリスとゼクロス、それぞれの言い分も分からないでもない。
要するに、男女独特の恋愛観の温度差だろう。
二人の痴情のもつれともかく、俺がどう判断を下すかが大きな問題だ。
ズバッとやられるかもしれない可能性をはらんだまま、剣を渡して金を受け取るか。
はたまたゼクロスと契約して、この女魔族を殺るか犯るか。
二者択一だ。
考えに考えて、それでも優柔不断に決めあぐねる俺に、痺れを切らしたのだろう。
フェリスが苛立たしげに、深く長く息を吐き出した。
「……なるほど。どちらも選べないのならば、仕方がない。
妾が引導を渡してくれようぞ」
その溜め息だろうか。
花を思わせる芳しい香りが漂ってきた途端、俺はふいに目眩を覚えた。
時を同じくして、ゼクロスの怒声が上がる。
『危ない、武器屋! 息を止めろ!
フェリスが吐く花の香りの溜め息には、痺れ薬が仕込まれている!』
どうしてこいつは毎度毎度、ギリギリでアドバイスをよこすのだろう。
しかも今回は、ギリギリセーフではない。
吸い込んでしまった後だから、ギリギリアウトだ。
巡る血液が鉛のように重く感じられ、徐々に体が命令を受け付けなくなってくる。
唯一の命綱である剣は、振るえる気が全くしないけれど、意地でも手放す訳にはいかない。
痺れ薬の効果が隅々まで行き渡り自由を奪われた俺は、女の細腕に押されただけで、簡単に尻もちをついてしまった。
「く……そっ!
どうする気だ……!」
「案ずるな、殺しも吸血もせぬ。
貴様に少し良い思いをしてもらうだけだ」
太腿の上にまたがり、俺のベルトを勝手に外していくフェリス。
その行動から、「良い思い」の意味が、容易に悟れる。
こいつはゼクロスとの契約者の資格を、俺から剥奪するつもりだ。
それはつまり、少年から男へと一皮むくための儀式を執り行う──という意味。
ゼクロスの悲痛な叫びとこちらの意思を無視して、準備は着々と進んでいく。
フェリスの胸元を編み上げていた革紐も、ほどかれてしまった。
「妙案であろう、武器屋よ?
契約を結べなくなれば、貴様にとって、何の価値もなくなる剣だ。
妾に譲る気になろうて」
つきつけられた立派な胸と第三の選択肢に、ぐるぐると目が回ってくる。
「そんなにおぼこく緊張せずともよい。
張型を抜いたばりゆえ、すんなりだ。共に愉しもうぞ」
フェリスのしなやかな指が、いよいよ下着を脱がしにかかると同時、
「武器屋!
商工会の回覧板、雨の中わざわざ持ってきてやったわよ!」
出入り口のドアが、バーン! と勢い良く開かれた。
果たして天の助けか、はたまた邪魔か。
耳慣れた憎まれ口に若干安堵を覚えたという事は、たぶん前者だろう。
「メリッサ……助け」
「……最っ低っっっ!」
助けを求めている途中で、俺の目から星が飛び出した。
眉間にクリーンヒットして星を生んだ回覧板が、パタンと間抜けな音を立てて床に落ちる。
「角っ! おま、角が刺さったぞ!」
「見損なったわ、武器屋!
女性のお客さんだからって足元見て、カラダでお代を頂戴しようって魂胆ね?
商品のアックスと剣まで脅しに使って、商人の風上にも置けないわ!」
組み敷かれているのは俺の方で、襲われているのが一目瞭然な状況だというのに、なぜそんなとんちんかんな判断になるのだろう。
メリッサの頭の構造が分からない。
唖然とする俺を無視して、メリッサはあられもない姿のフェリスに、自分のマントを優しく掛けてやっている。
「もう大丈夫ですよ!
武器が必要でお困りなんでしょうけど、こんな変態武器屋で買い物しなくたって、もっといい武器屋が隣町にありますから。
さぁ、こんなイカ臭い店、とっとと出ましょ!」
助け起こされたフェリスが、松ヤニくさい手に背中を押されて、あれよあれよという間に店の外に退避させられる。
去り際に振り返ったメリッサは、呆然と見送る俺に向かって、冷ややかな視線と捨て台詞を残していった。
「下衆野郎……」
バタンとドアが閉まると、店内はさっきまでの喧騒が嘘のように、静寂に満たされる。
俺は痺れた首をどうにか起こし、足元を確認してみた。
そこには金貨の詰まった、大量の革袋が残されているはずだ。
まだ希望は墜えていない。
しかし、時すでに遅し。
俺の目が捉えたのは、宙空に浮かぶ小窓からニョキッと生えた青白い手が、最後の一袋を掴んだ瞬間だった。
フェリスの手と小窓が霧散してから、俺は悟った。
もしも売買契約が成立して宝剣を手渡した後にも、同じような光景を目にする羽目になっていただろう。
つまりは、騙されたのだと。
(何なんだよ、まったく……)
引っ掻き回されるだけ引っ掻き回されて、結局俺には何も残らなかった。
金貨の一枚も、一つ上の男の済印も。
そればかりか、不名誉な誤解まで生まれてしまった。
商工会へ報告されたら、この店は営業停止やら改善命令やらを食らってしまうだろう。
もし噂が広まりでもしたら、商売あがったりだ。
誤解をとくのは到底無理だろうから、メリッサには口止めの賄賂として、街一番の焼き菓子屋の菓子折りでも贈ろう。
ぼんやりと考え事をしているうちに、痺れ薬の効果が切れてきたのか、体に力が入るようになってきた。
のろのろと上半身を起こした俺は、魂さえも口から出てしまいそうなほど、大きな大きな溜め息をつく。
それが一区切りの合図だったかのように、沈黙を守っていたゼクロスが、恐る恐る声を掛けてきた。
『……なぁ、武器屋よ。
もしかして幼馴染みルートへのフラグが立って』
「んな訳ねぇだろ。
見たろ? あのスライムを見るような目。
女心が分かってねぇから命狙われたりするんだよ、お前は」
『チェリーボーイの貴様に言われる筋合いはないな。
ところで武器屋、契約は────』
軽口ついでにさらりと問われ、一瞬にして怒りの炎が、俺の黒髪を逆立てた。
「するか、ボケぇぇぇぇぇぇぇ!」
ドラゴンが口から火を吐くかのごとく勢いで放ったツッコミは、狭い店内の壁を微かに揺らしただけだった。